特集 シベリウス;交響曲第4番 聴き比べ


 このところ、中古音盤堂奥座敷試聴会でヘルベルト・ケーゲル(指揮)ライプツィヒ放送響、シベリウス;交響曲第4番(Berlin Classics)を議論している関係で、ずっと比較試聴している、シベリウス;交響曲第4番の記事を抜粋したものです。
 指揮者のアルファベット順に掲載しています。
 御本尊のケーゲル盤が脱けていますが、これはいずれ、上記のURLで議論が掲載されていますので、そちらで御覧ください。


エルネスト・アンセルメ(指揮)スイス・ロマンド管(英DECCA、LP)
嘘みたいな録音だが、実在する。カプリングは交響詩「タピオラ」、この他に交響曲第2番の録音もある。
およそ雰囲気のない演奏で、特に木管の音に違和感が大きい。ヴィブラートをかけすぎるフルート、妙に音の震えるクラリネット、フランス式のファゴットは音が軽すぎる。
、シベリウスはこの曲あたりから、ベートーヴェン以来の交響曲書法(ソナタ形式とか第1主題と第2主題の対比とか)を解体して、独自の世界を構築しているのだが、「数学者」アンセルメには、どうも、そういう問題意識がないようだ。
第2楽章は通例のスケルツォに引きつけていて、フルート独奏など、"Tranquillo"指定にもかかわらず、速いテンポでリズミックに吹かせている。
第4楽章では、何とかフィナーレらしく盛り上げようと一生懸命、弦や金管のffなど乱暴なくらいに奏させるのだが、それではシベリウス(特に後期)の世界は沈黙してしまう。
なお、第4楽章では全面的にチューブラー・ベルを使用している。
 
ジョン・バルビローリ(指揮)ハレ管(EMI)
LP時代に親しんだ、1969年録音の名盤である。珍しく国内盤、"HS-2088 Remaster Series"というもの。
イギリスのオーケストラからか、バルビローリのヒューマニティか、弦合奏は暖かめの音色。
それでいてティンパニの打ち込みは厳しく(第1楽章真ん中あたり)、金管の「バリッ」という咆哮も鋭く凄まじい。
ただ、弦にdolceの指定があるところで、ちょっと甘い表情がつくのは疑問。また第3楽章のクライマックスで、弦合奏の高揚感は素晴らしいが、裏の木管が掻き消されるのは残念。
第4楽章では鉄琴を使用しているが、一部でスコアに無いところで叩かせているのが気になった。
 
パーヴォ・ベリルンド(ベルグルンド)(指揮)フィンランド放送響(芬FINLANDIA、LP)
ベルグルンドは同曲を4回録音しているが、そのうち最初のもので、1968年5月のヘルシンキ録音。オリジナルは英DECCA
もう30年前、ベルグルンドも39歳(1929年生れ)の演奏だが、既にシベリウスとしては完成されたスタイルを持っている。
冒頭のチェロ独奏は、ずっと聴いてきた第4の中でも絶佳、実に凛とした素晴らしいソロを、第3楽章等でも聴かせてくれる。
音色からすると、ひょっとして若き日のアルト・ノラスではないかと思うのだが、彼の経歴にはオケにいたことなど出てこないので、あるいは知られざる名手がいるのかも。
オーケストラ全体に緊張感がみなぎり、「雄渾」といっていい音楽が終りまで続く。
聴かせどころのヴァイオリン(第3楽章で主題が2回目に出る直前とか、第4楽章でグロッケンシュピールがフォルテで鳴るクライマックスのあととか)は絶美、木管はいずれも北欧の音色感で可憐そのもの、特にフルートが素晴らしい(オーボエが少し弱いか)。
試聴したのはLPだが、FINLANDIAからCD化されているので、一度、聴いていただきたいと思う。
なお、第4楽章では鉄琴を使用(以下のベリルンド盤でも同様)。
 
 
パーヴォ・ベリルンド(ベルグルンド)(指揮)ボーンマス響 (Disky)
ベリルンドの2回目、1975年6月の録音。
全体にゆったりしたテンポで、心理の深淵にたたずむような味わいがある。「沈潜」と評せよう。
第1楽章の終結近いクライマックス(スコア10〜11頁)において、遅いテンポの上に雄大な金管の吹奏とTimpの連打が築かれる部分が好例である。
第2楽章も遅めのテンポで始まり、スケルツォ的な印象は薄い。
また、第4楽章半ばでは、練習番号Fから減速し、念を押すような効果が目覚ましい。
オーケストラも、目立って上手いソロや性格的な特徴はないが、充実した出来映え。
例えば、第3楽章冒頭のFlや第4楽章終結手前のTrpからTrbへ受け渡される ff の動機など。
弦合奏の響きもしっかりしている。
 
パーヴォ・ベリルンド(ベルグルンド)(指揮)ヘルシンキ・フィル (EMI)
ベリルンドの3回目、1984年2月の録音。
弦合奏をはじめ、ちょっとかすれたような硬質の音色から、厳しさを前面に出した音楽がひろがる。夜明け前、闇が最も深いときに吹いてくる風の如し。
第1楽章冒頭の独奏Vcも抑制をきかせた辛口の表情。
rfz や、金管などによく見られる「〜ズバッ」という音型は、実に鋭く決められている。
木管群も、華麗さとは程遠い、渋めの音色を持つ。
第3楽章冒頭のFl独奏も、淋しく、暗い。それに続くFgもまた、寂のきいた音色である。
弦合奏に主題が全容をあらわす全曲のクライマックスを導くObの力強い音と、弦合奏の勁烈な響きは、この演奏の厳しさを象徴するものだ。
それに続く楽章最後の高揚も、弦合奏中心に盛り上がり、fz の切れ味も随一。
第4楽章でも厚みのある音楽が素晴らしい。
それに負けまいと強打したせいだろうか、クライマックスで鉄琴の音が割れてしまうのは残念。
この曲の「森厳」な側面を最も強調した演奏であろう。
 
パーヴォ・ベルグルンド(ベルグルンド)(指揮)ヨーロッパ室内管(FINLANDIA)
ベルグルンドの4回目、1995年9月の録音。
第1楽章は、やや早目のテンポが人間くささを吹き払い、小編成を生かした清澄な弦合奏が優に美しい。
第2楽章冒頭のオーボエの諧謔味、後半は雰囲気を一変させて悲劇性を表出、乾いた音のティンパニで締め括る。
第3楽章では透明な寂しさを漂わせ、主題が出るところも、木管の音型を聴かせつつ、弦合奏はラトル盤になかった高揚感を持つ。
第4楽章は鉄琴だが、ちょっと鐘に近い肉厚の音で、もっとも美しい。裏を吹くクラリネットがきちんと聴こえるバランスも見事。
トランペット・トロンボーンが、やや非力な様子だが、第4楽章終わりのクライマックスでは見事な自然音を吹き抜いている。
この「清寂」の境地が、今日聴いた中でのベストといえよう。
 
ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)サンフランシスコ響(DECCA)
オーケストラはヨェーテボリ響よりかなり上手く、ブロムシュテットの指揮も堂々たるもの。
ただし、第1楽章冒頭のチェロ独奏の語り口や、フルートのヴィブラートなどが、少々人間的というか、余分なものが付いているのが不満。残響豊かな録音が、その印象を助長している。
もっと非人情@漱石な、自然音がほしい。
第4楽章で、終始、チューブラー・ベルを鳴らしている、珍しい盤。
 
コリン・デイヴィス(指揮)ロンドン響(BMG)
冒頭のffが、ずいぶん柔らかい。チェロ独奏は音色は佳いが音量が弱すぎる。
オーケストラは上手いのだが、木管やティンパニは、*意味*を感じさせない。緊張感のある運びだが、スカッと抜けた透明な抒情ではなく、湿潤の憂愁に傾斜している。
壮大といえば壮大だが、どうも鈍重な感じ。残響が多めで音像がやや遠い、ソフト・フォーカスな録音が、その印象に輪を掛けている。
この演奏で、この曲を好きになる人はいないのではなかろうか。デイヴィスは、むしろ前期の交響曲(第1番〜第3番)に適性のある人だと思う。
第4楽章はチューブラー・ベルと鉄琴を打ち分けたり重ねたりしているが、ちょっと細工が煩わしい。
 
アレクサンダー・ギブソン(指揮)スコットランド国立管(CHANDOS)
第1楽章の所要時間が8分3秒、かなり短い。ケーゲル盤では10分23秒と9分6秒、デイヴィス盤では10分55秒。冒頭のチェロ独奏は、このテンポに乗った、ぶっきらぼうな表情。変に濃いよりは良いが、ちょっと感じが出ていない。
全体に不満はないが、これでなければというところも少ない。中では第4楽章のグロッケンの音色は、現在のところ、この盤がベスト。鉄琴ではなく小さな鐘のような感じである。
弦合奏の押し出しはあるが、逆にもう少しクリアに響いてほしい場面もある。木管はやや非力、金管は強力で良い。
 
タウノ・ハンニカイネン(指揮)ソビエト国立響(蘇MELODYA、LP)
ハンニカイネンはEMIに第2・5番を録音しており、いずれも素晴らしい演奏、メロディアには第4番とレミンカイネン組曲を遺している。
モスクワのオーケストラなので心配したが、別にチャイコフスキーにもならず(^^;、それどころか、実に渋いシベリウス。
モノラル録音で盤質も良くないが、それを超えて、厳しい音楽が伝わってくる。
ヴィブラートを排したフルート、重心の低いファゴット、渋みの利いた弱音器付きのホルン、ティンパニの轟き…
丁寧なマスタリングでCD化してほしい秀演である。
第4楽章は鉄琴だが、少々音は貧弱。
 
ネーメ・ヤルヴィ(指揮)ヨェーテボリ響(BIS)
第1楽章冒頭の低弦のffが、「ゴリッ」という感じで入ってくる。
このコンビの全集は、CDが出始めた頃、まだ@4,000円位のころに輸入盤で聴いていたが、その記憶を蘇らせる音だ。
それまでのシベリウス演奏とは一線を画す「自然音」の響きを、無名の指揮者とオーケストラ(だったんですよ。イェルヴィとかヨーテボリ響とか、いろんな書き方をされていたのです)が奏でるのに、瞠目したものだ。
あらためて聴き直してみると、細部がやや甘く、込み入ったところでは響きが混濁気味になったり、横の線の絡みが見えにくくなったり、指揮者・オーケストラの力不足が垣間見える。
この曲の演奏でよく問題になるのが、第4楽章でグロッケン(チューブラー・ベル)を使うか、グロッケンシュピール(鉄琴)を使うかなのだが(楽譜の指定が曖昧)、ヤルヴィは両方を重ねているようだ。
 
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)ベルリン・フィル(DGG)
第1楽章は、やたらに弦をディヴィジ(各パートを更に分割すること)にしている精緻な書法で、冒頭からチェロとコントラバスを2つに分け、4つのパートの合奏になっている。このバランスや和音の美しさは、さすがカラヤン&ベルリン・フィル、感心させられる。
独奏チェロの塩辛い音色も佳いが、ちょっとグリッサンドがかかるのは感心しない。
管楽器の音色も素晴らしく、とりわけフルート独奏の渋い音色はどこのオーケストラからも聴けないものだ。
ただ、木管楽器がしばしばヴィブラートを派手にかけるのは賛成しかねる。
また、全体にどうも音楽がしんねりむっつり、スカッとしない。シベリウスの後期交響曲の演奏は、何か*ひんやり*とした空気を感じさせてほしいのだが、それが得られない。
リズムがベッタリしているというか、あるいは、これがカラヤン流のレガート奏法なのだろうか? 金管が峻厳な自然音を響かせてほしいところで、なんともヤワな吹奏(音は美しいのだが)。
第2楽章冒頭のオーボエは、なぜか音量的に弱く、堪能させてくれない。副主題のフルートも心弾むものに欠ける。
楽章後半では雰囲気が一変するはずのところ、木管や弦のフォルテに厳しさがなく、なんとも腑抜けた音楽にしかなっていない。
第3楽章、フルートは実に上手いが、この曲で大きなヴィブラートは余計だと感じる。
この楽章に12分を要しているのはかなり長い方だ。速い演奏では9分台、通常は11分未満である。長い短いには拘るわけではないが、音楽がしんねりむっつりになるのは困る。
ここぞという弦のフォルテが、相変わらず、アタックの圭角をすりつぶす奏法なのも、ガッカリさせられる。合奏自体は美しいのだが。
主題が全容を現すところは、まずまず良い。先導するオーボエの音色にはコクがあるし、弦合奏の裏の木管の動きもよく聴こえる。そのあとの弱音器付きのヴァイオリンとヴィオラは、死んだような音色が素晴らしい。
最後の盛り上がりでティンパニがまるで聴こえないのは残念、ただしトロンボーンの重い音は上乗。
第4楽章、鉄琴というより鐘の類だと思うが、なかなか佳い音色である。もっとも、ちょっと音量的に弱いのは残念。
その弱い鐘に合わせたのか、クライマックスが一向に盛り上がらない(音量を抑制する)のには閉口。そのあとは、やや雑然となってしまった。
 
ジェイムズ・レヴァイン(指揮)ベルリン・フィル(DGG)
1994年録音、いろいろ言われているが、こうやって各盤と聴き比べると、やはりベルリン・フィルは名人揃いだと思う。
特に木管には感心、中でもオーボエ(あるいはシェレンベルガーか)は、最美。第2楽章のソロはもちろん、第4楽章最後の下降跳躍音型も、見事に決める。
弦合奏も、ハーモニーが美しい。ヴィブラートを大きめに掛けた時でも、掛け方が揃っているからか、音が濁らない。
問題は予想どおり(^^; レヴァインの指揮で、dolceやespressivoの指定があると、すぐ甘ったるい表情をつけるし、第3楽章のクライマックスの弦合奏など、ほとんどブラームスの第3交響曲の第3楽章みたいな盛り上がらせ方。
第4楽章は主題を歌いすぎてリズムが甘く、肝心の鉄琴にも意味を感じていないようで、音が弱すぎる。
開放的で壮麗な音響を良しとする向きには好適だが(オケも上手いし)、後期シベリウスの凝集した音楽世界は再現されない。
 
ユージン・オーマンディ(指揮)フィラデルフィア管(BMG)
1978年3月の録音。このコンビにはモノラル期LP(1954年録音)もあり、再録音に当たる。
さぞ華麗で脳天気な音楽だろうと余分な先入観を抱いたのは、大きな間違いだった。
冒頭の低弦の響きの剛直なこと!
全曲を通じて、華麗どころか、重く渋い響きを聴かせる。
第1楽章のVc、第2楽章のOb、第3楽章のFlなど、独奏はソリスト級の音楽を聴かせ、Cbパートの上手さは冠絶している。
特徴的なのは第2楽章前半のテンポが遅いこと。この圧迫する音楽は、"vivace"からは程遠い。
おそらく楽章後半の暗く厳しい雰囲気に合わせたものだろう。こういう解釈も面白い。
ただ、音楽の輪郭がわずかに曖昧、求心力・凝集力の点で少々物足りない。
第4楽章では、基本的には鉄琴を用いるが、クライマックスのみ、チューブラー・ベルを叩かせている。
1955年、北欧演奏旅行の途次、シベリウス本人に面会した際の直話に基づく処理という。
 
サイモン・ラトル(指揮)バーミンガム市響(EMI)
弦合奏の和音が美しく、ヴィブラートを抑えた木管の音色は清澄、横の線の絡みも明晰に表出した、ラトルらしい快演。
第3楽章後半で、初めて主題が全貌を顕すところ、普通の演奏だとクレッシェンドする弦合奏に木管の音型がマスクされてしまうのだが、ラトルのバランスは絶妙で、きちんとオーボエ→クラリネット→ファゴットという受け渡しが聴き取れる。
音場の立体感が見事な録音も、この演奏にぴったり。
一部でオーケストラが力量の限界を見せるのと、無い物ねだりかもしれないが、更に突き抜けた情感がほしい気がする。
第4楽章では鉄琴を使用。
 
クルト・ザンデルリンク(指揮)ベルリン響(Berlin Classics)
第1楽章冒頭の弦合奏は、同じ東独のケーゲルに比べ、クリアな鳴らし方。全体に、あまりオーケストラを轟々と鳴らさず、すっきりした和音を指向しているようで、北欧らしさ乃至伝統的シベリウス演奏を意識しているように思われる。
とはいえ、やはりお里が知れるというか、ドイツ音楽の語法が顔を出す
例えば、弦の刻みが来ると、小節の頭にアクセントを置いて、拍節感を強調する。シベリウス的には、逆に拍節感をぼかして、「森のざわめき」にしてほしいところだ。
その他、ディミヌエンド指定があると、ついリタルダンドしてしまうとか、金管やティンパニを抑えめにするバランスを取りがち、とか。
オーケストラの個性もあるのかもしれない。北欧のオーケストラとの演奏でも聴ければ面白いかも。
なお、第4楽章は鉄琴使用。
 
ジョージ・セル(指揮)クリーヴランド管(クリーヴランド管自主製作盤)
セル生誕百年記念の自主製作盤(7枚組)に収められた、1965年12月のセヴェランス・ホールでのライヴ録音。聴衆が盛んに咳きこんでいるのが季節を感じさせる。(^^;
セルのシベリウス録音というと、Philipsにコンセルトヘボウ管と録れた2番しか知られていないが、実演では盛んに演奏したようで、前に出たクリーヴランド管75周年の記念盤には3番(1946年)と2番(1970年、東京文化会館)が、今回のセットには同年の7番「エン・サガ」が収録されている(この2曲については↓)。
第1楽章冒頭のチェロ独奏が、ややぼやけ気味の録音でガッカリさせられたが、その後の静謐さは素晴らしい。
弦合奏の透明感はライヴとは思えない素晴らしさ、これは全曲を通じて感心。第3楽章のクライマックスでも第4楽章でも極めて美しい。このコンビの演奏芸術の高みを思い知らされる。
あるいは第4楽章で轟然と鳴りつつも見事に整理された音響、セルのオーケストラ捌きの非凡さを示すものだろう。
惜しむらくは、管楽器の音色感が、少々、生暖かいこと。
第3楽章冒頭のフルート独奏など、ちょっと入れこみすぎで煩わしい。金管のフォルティッシモも、もう少し厳しければと思われる。
第4楽章の鉄琴にチューブラー・ベルを重ねているのは感心しない。

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