シベリウス;交響曲第7番

 後期の交響曲の中で、ひょっとしたら最も取り上げられる曲かもしれない。20分程度と短く、演奏会の1曲目あたりに持って来やすい部分がある。
 
 交響曲としては珍しい単一楽章構成で、初演からしばらくは「交響幻想曲」と名付けられていたほど。しかし、構造的には「幻想曲」の不定型さはなく、むしろ、凝縮された緊密な音楽となっている。
 
 弱音のティンパニ連打から弦の音階上昇モチーフへという特異な始まり方から、弦の緩徐主題が出て、それが盛り上がると、この曲において最も印象深いトロンボーンの主題が吹奏される。これを「精神的境地に等しい深々とした幽久の核主題」と表現する人もいるほどだ。
 この主題は三たび出現するが、最後に雄々しく演奏された後、ヴァイオリンが高音域で感慨深く歌う。こうした手法はマーラーの交響曲第9番あたりにも見られるものの、音楽の趣はまったく異なる。
 
 最後の部分で、冒頭のモチーフが少し変形されてフルートに回帰するのも構造的な特徴の一つ。そして、終結は、古典派交響曲のような大団円ではなく、まるで放り出されるような不安定なもの。ここの表現方法が指揮者の解釈のポイントになると思う。
 
 なお、『作曲家別名曲解説ライブラリー 北欧の巨匠』(音楽之友社)では、ベルグルンドが400箇所に及ぶ出版譜(初版1925年)の誤りを修正した校訂版を1980年に Wilhelm Hansen社から出した…とされているが、手許にある同社のミニチュア・スコア"Revised Edition (1980) "は、校訂者を"Julia A. Burt"と表記している。何か事情があるのだろうか。
Disky HR703862 ボーンマス響
録音;1972年5月 HR 703862 (Disky) 21分55秒
ヘルシンキ・フィル盤に似たアプローチだが、管楽器はこちらの方が抵抗がない。
 
弦合奏は、一部、音程に不安定なところもあるが、響きは終始柔らかく、この点でもヘルシンキ・フィル盤を上回る。
 
終結でTimpの音量が大きすぎ、和音を濁すのがマイナス。
EMI、CC33-3282 ヘルシンキ・フィル
録音;1984年2月、ロンドン CC33-3282 (EMI、国内盤) 21分23秒
弦合奏の力強さは、ヨーロッパ室内管盤とは違った趣でこの曲を聴かせる。
ただ、録音の問題かもしれないが、時に硬い響き(特に高音域)になるのは、いただけない。
 
管楽器も全体に人間くさく、この曲の高い境地を損なうように感じる。
 
Timpも、マイクから遠く、埋もれがちなのが残念。
 
終結で、金管の響きが混濁しているのも、大きなマイナス。
 
総合評価では、ボーンマス響盤を下回る。
FINLANDIA、0630-17278-2 ヨーロッパ室内管
録音;1996年12月、ネイメーヘン
(オランダ)
0630-17278-2
(FINLANDIA)
22分04秒
ブックレットに掲載されている編成表から、弦合奏の人数が第1Vnから順に9−9−6−5−4人であることがわかる。このため、弦楽器の音程の良さがフルに発揮され、管楽器やTimpとのバランスも素晴らしい結果を生んだ。
また、時折聴かれるスフォルツァンドの鋭さも、編成の小ささの効果ではないか。
 
冒頭から弦合奏の清らかな美しさは神々しいほど。緩徐主題が出てVnからVcまでが各々二部に分かれるあたりの憧れいっぱいの雰囲気は他のどんな盤からも聴けないものだ。
全曲を通じて、この美しさは維持され、強奏しても濁らない。
 
やがて登場するTrb主題も、荘厳きわまりない。
また、Timpの音が、弦に埋もれずくっきり聴こえるだけでなく、実に意味深く響く
Flの抑えた音色も、この曲にはピッタリである。冒頭主題の回帰のところなど、まさしくこの音でなければならない。
 
この団体でいつも苦言を呈するObは、やはり今ひとつ。
Trbも、もう少し上手い(音の美しい)奏者であったら…と残念。
 
終結については、どう褒めても足りないだろう。
トロンボーンの主題が再現して盛り上がったあと、ラルガメンテで弦合奏だけに、更に第1・第2Vnだけになって、アフェトゥオーソの指定がつくあたりの浄福感は素晴らしい
最後の4小節では、あれほど目立っていたTimpが抑制され、金管が早めにデクレッシェンドして、弦楽器だけが残り、あまりクレッシェンドしないまま、虚空の中に音を投げ出すように、消え入るように曲を終える。
 
これこそ、この交響曲の特徴である、永劫回帰、無限の世界へ溶けこんでいく趣を十分に感得させる終結であるといえよう。
 
3種の中でというより、現時点で、この曲のすべてのディスクの中のベスト盤と信じる

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