ルネ・レイボヴィッツRene Leibowitz(1913-1972) |
輝ける50年代斉諧生の手許に2冊の古本がある。いずれも紙は黄ばみ、造本はいまにも壊れそうであるが。 柴田南雄著『現代音楽』(1955年、東京、修道社) 前者には作曲家として「ルネ・ライボヴィッツ」(ママ)が取り上げられている。前後はジョリヴェとマルタンが並んでいる。後者には指揮者としてルネ・レイボヴィッツが紹介されている(1ページ)。前後はオイゲン・ヨッフム(1ページ)とブルーノ・ワルター(2ページ)である。
忘れられた現在では、現在ではどうなっているか。ONTOMO MOOK『指揮者のすべて』(1996年、東京、音楽之友社)に辛うじて掲載されているものの、わずか13行。 作曲家としてはどうであるか。彼の作品集として発売されたCDはわずか1枚(もちろん輸入盤のみ)にすぎない。 『シェーンベルクとその楽派』(入野義朗訳、1965年、東京、音楽之友社) をはじめ、絶版となって久しい。 まず、忘れられた指揮者と化していると言っていいだろう。 数年前、許光俊氏等、いわゆる*洋泉社系*の執筆者から注目された時期もあったが、すぐに顧みられなくなってしまった。
レイボヴィッツとの出会い斉諧生がレイボヴィッツに注目しはじめたのは、1990年である。『レコード芸術』誌は、よく名曲の名盤選びを何カ月かかけて特集するが、この年の8月号から「CD時代の名曲名盤300」という企画が始まり、第1回がバッハからベートーヴェンまで。 レイボヴィッツ盤は大分以前の録音であるばかりでなく、他の二者(斉諧生注、ノリントン盤・ホグウッド盤)と異なって普通のオーケストラを振った演奏である。 普段は点の辛い丸山氏の絶讃なので気に留めていたところ、しばらくして輸入盤店で、ディスコグラフィにも掲げたCHESKY盤を見つけ、買ってみたところ、なるほど名演であった。 そして、このことが、「逸匠列伝」に彼の伝を立てる所以である。
謎の出生地レイボヴィッツは1913年2月17日生れ。生地は従来ワルシャワとされてきたが、上記の作品集のライナーノートではラトヴィアのリガでユダヤ人商人の家に生れたとある。5歳からヴァイオリンを始め、13歳ころまでは各地で演奏会を開いて「神童」時代を送ったようである。 1930年頃、ベルリンで音楽を学んでいたが、シェーンベルク;「ピエロ・リュネール」を聴き、作曲家を志した。ウィーンでウェーベルンに学び、のちシェーンベルク本人にもついた。 1933年からパリに居を定め(これはナチスのユダヤ人政策によるものだろう)、独学で作曲を始めた。もっともオーケストレーションはラヴェルに、指揮はモントゥーに学んだとか。
録音活動(1)−新ウィーン楽派の使徒指揮者としてのデビューは1937年とされているが、本格的な活動は戦後開始された。 モノラル時代に新ウィーン楽派の使徒として、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンの代表作を数多く録音し、そのほとんどが世界初録音かLP初出であった。とりわけハイドン・ソサエティから出したシェーンベルク;「グッレ・リーダー」はステレオ時代に入ってクーベリックらが録音するまで唯一のレコードであり続けた。
録音活動(2)−ベートーヴェン交響曲全集ステレオ時代に入ると、米RCAや、米RCAが製作を請け負ったリーダーズ・ダイジェスト(会員制の直販方式)に多く録音した。この頃、米RCAは英DECCAと提携関係にあったため、レイボヴィッツ等、ヨーロッパでの録音は英DECCAのスタッフが行っているケースがほとんどのようである。 リーダーズ・ダイジェスト社では家庭向けの名曲集の編曲・指揮も多く行ったようで、斉諧生も、その全貌は把握できていない。 リーダーズ・ダイジェスト社録音のうち最大のものは、ロイヤル・フィルと録音したベートーヴェン;交響曲全集である。 この録音のプロデューサー、チャールズ・ゲルハルト(その後指揮者としても活動している。)がライナーノートに寄せた文章によると、その経緯は次のようなものであった。 私たちはこの不朽の名作に対して、「王侯にふさわしい考え方」をしている指揮者に偶然出会ったのである。この九つの交響曲全曲をもう一度まとめて出そうという想念はパリの歩道に面したささやかなカフェーで生まれた。
録音活動(3)−うなるウィンドマシーンRCA本体に録音したもののうち最も有名になったのは、 "The Power of Orchestra" と題されたアルバム。メインの「展覧会の絵」ではなく、フィルアップの「禿山の一夜」が話題となったのである。 その他、*覆面オーケストラ*を振ってのフランス系作曲家のオペレッタの録音といった賃仕事も数多くこなしたようで、ディスコグラフィの全貌は明らかではない。
斉諧生推薦盤(1)−ベートーヴェン交響曲全集レイボヴィッツが指揮したCDで入手できるのは、米CHESKY社から復刻されたリーダーズ・ダイジェスト音源のものに限られると思う。 いちはやく20ビット・オーバーサンプリング技術を採用したCHESKY社の復刻はきわめて上質、最新録音に紛うばかりで、ウィルキンソンら英DECCAチームの優秀録音を伝えて余すところがない。とても1960年前後の録音とは思えぬほどである。 曲目等の詳細はディスコグラフィに拠られたいが、まずお薦めしたいのは上記の第2番を含むベートーヴェン;交響曲全集。キビキビした進行、各声部の明晰さ、遠慮ない金管の咆哮、決め所で見せる迫力、まさに第一級のベートーヴェン演奏である。 全曲のベストはもちろん第2番(CD17)、ついで第1番(CD74)・第8番(CD69)をお薦めしたい。
斉諧生推薦盤(2)−フランス管弦楽曲集ついでは "A Portrait of France" (CD57)と題されたオムニバス物である。オーケストラは「パリ・コンセール・サンフォニーク協会管」という覆面オーケストラだが、実体はパリ音楽院管と噂される。 また、 "An Evening of Opera" (CD61)でも同じオーケストラとの名演を聴くことができる。この中では「カルメン」組曲が、管楽器のソロの魅惑、聴きどころ中の聴きどころを選りすぐった編曲、ツボを心得た指揮で、実に楽しめる。「魔法使いの弟子」も破壊的な迫力が凄まじい。
音楽理論家としてのレイボヴィッツさて、レイボヴィッツについては音楽理論家・教育者としての活躍も重要であり、20世紀の音楽史には、むしろ「十二音音楽の使徒」として記録されるであろう。とはいえ当「斉諧生音盤志」の趣旨からは外れる内容であるので、摘記するに留める。
なお、作曲家としての作品については、ディスコグラフィを参照されたい。 ルネ・レイボヴィッツは、1972年8月28日、パリで死去。59歳。
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