吉松隆「シベリウスと宮沢賢治」より

日本シベリウス協会『フィンファンディア』第18号(1994年)所収


 シベリウスの「交響曲第6番」と宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の類似は、この交響曲の持つ聖歌のような弦の響きと、ハープで刻まれる細かいリズムの律動との対比にあるのかも知れない。それは銀河鉄道の夜に基調として流れている賛美歌やハレルヤの響きと、全編を貫くように走る列車の細かい律動との対比を思わせる。特に第1楽章の、祈るような弦の賛美歌に続いてハープが刻む軽やかなリズムに乗って木管楽器が歌い始めるところなど、まさに天気輪の柱の丘から銀河鉄道に乗り込んだジョバンニを彷彿とさせるのである。


 続く第2楽章と第3楽章は、プリシオン海岸や鳥を取る人、孔雀の森やインディアンのいる草原…といったエピソードに不思議なくらい呼応していて、恐ろしいくらいだ。第2楽章の短いかすかなハープのアルペジオは、プリシオン海岸の星と水のきらめきを思わせるし、後半に弦の細かいざわめきに乗ってフルートが聞こえてくる部分はまさに渡り鳥が銀河鉄道の回りに飛んでくるシーンに対応する。リンゴの香の中からタイタニック号の沈没で死んだ姉弟が現れるシーンは第3楽章。ここの重いリズムはまさに草原を走るインディアンなのだ。


 そして第4楽章、冒頭に聞こえるハレルヤの声で他の乗客たちは降りてしまい、カンパネラとジョバンニだけを乗せた銀河鉄道は暗黒星雲に向かって走り始める。しかし死の影がカンパネラを連れ去ってジョバンニは一人になってしまう。別離の悲しさと独立の意志が交錯するものの、最後に寂しげなコラールがよぎって終わり、不思議な印象を余韻として残すところまでそっくりなのである。