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2004年09月21日

ギョーム・ルクー作品の実演

ドビュッシー四重奏団フェニックス・ホールを聴く。
今日の目標はルクー作品の実演を聴くこと。
上記ホールのWebpageでも主催者のWebpageでも、ルクー;弦楽四重奏曲とアナウンスされているのだが、実際のプログラムは弦楽四重奏のためのモルト・アダージョだったので吃驚。
曲目変更の告知もお断りもなかったので、もしかしたら違う曲だという認識がなかったのかもしれない。Vnソナタ以外の知名度は非常に低いのであり得ないことではなさそうな気がする(汗)。
ルクー伝道にも励まねば…と決意した次第。
 
さてそのモルト・アダージョにしても実演を聴くのは初めて。
この作曲家の特徴である「熱に浮いた感じ」は控えめで、どちらかというと落ち着いた優しい音楽になっていた。
特に第1Vn以外の3人の音楽に、その印象が強い。
したがって「暗さ」や「哀しみ」が前面にあらわれ、節目節目に現れるVaやVcによる探るような音型のソロからは、どこか無明の迷路を深くさまよい歩く趣を感じることになった。
 
ルクーの音楽は、もっともっとステージでも聴きたいものである。
VnソナタP四重奏はもちろん、弦楽のためのアダージョや、今日はボツになった(?)弦楽四重奏なども、ぜひぜひ実演で採り上げられてほしいもの。
 
2曲目はドビュッシー;弦楽四重奏曲
団体の名前に負っている作曲家の作品ゆえ、当代随一の演奏を聴かせてくれるのでは…と期待していたのだが、ちょっと違った。
上記したように彼らの音楽は生真面目な傾向が強く、このためドビュッシーの音楽本来の味わいには到達していなかったように思う。
第2楽章での「遊び」の感覚や終楽章のファンタジーなどが、もっともっと聴きたかった。
その生真面目さがプラスに出たのは第3楽章で、弱音の幽玄美が素晴らしく、結尾などどこか遠いところへ連れ去られそうな感じを受けたのである。
 
休憩後はフランク;P五重奏曲
これも斉諧生偏愛の曲の一つだが、実はあまり期待していなかった。
というのも、この団体、毎日のように違うピアニストとこの曲を演奏しているのである。
本来なら一人のピアニストとリハーサルを重ね、彼(彼女)を帯同してツアーを行うべきところ、おそらくマネジメント側が集客上の配慮から地元の演奏者を起用することにしたのだろう。
ゲネプロで「はじめまして」、本番で「さようなら」のような関係では、ろくな音楽になるまい…と諦めていた。
 
この予想が裏切られて「斉諧生は浅はかであった」と反省できればよかったのだが、残念ながら、実際のステージは想像どおりの結果となってしまった。
弦楽の4人については、彼らの生真面目さがもっとも良い成果を上げていたのだが、ピアニストがまったく鈍感。
弦の燃焼にも沈潜にも我関せず、一本調子に音符を音に変換するだけ。何とも情けない思いで全曲を聴き通す羽目になった。
 
また、アンコールがフランクの第2楽章結尾を繰り返すという…(泣)。

投稿者 seikaisei : 2004年09月21日 23:34

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