« 名匠ギブソンのウォルトン | メイン | 漆原朝子の20世紀作品 »
2004年09月22日
パラシュケヴォフ;ヴァイオリン・リサイタル
- ヴェッセリン・パラシュケヴォフ(Vn)のリサイタルを聴く。
- ピアノは村越知子。
- パラシュケヴォフ氏の実演には、一昨年から毎夏接しており、今日で3回目になる。
- 氏はブルガリア出身、レニングラードほかで学び、ヘンリク・シェリングの薫陶を受けた。
- 1973年からウィーン・フィルの、1975年からケルン放送響のコンサートマスターを務め、1980年から、サシュコ・ガヴリーロフの後任として、エッセン音楽大学の教授を務めている。
- 日本人の令室とともに毎夏来日、その機会に演奏会を開いたりしておられるとのこと。
- 今日の会場は金剛能楽堂。昨年6月に完成したばかりのホールで、いちど入ってみたいと思っていたので有り難かった。
- なかなか珍しいロケーションだが、昨年の演奏会はお寺のホールだったから面白い。
- どういう配置になるのかと考えていたのだが、能舞台の下、「目付柱」の外側あたりにピアノを置き、その向かって右側にヴァイオリニストが立たれた。
- したがって照明は、奏者・客席(「見所 けんじょ」)の区別がなく、演奏中は明るいまま。
- またピアノは能楽堂には備え付けられていないので、近隣の中学校から運び込まれた。
- 中学校のピアノとはいえニューヨーク・スタインウェイのグランド(ただし小ぶり)というからただものではない。何でも14年前に校舎の全面改築を記念して地域の後援会から寄贈されたものという(このあたりが明治以来京都市民らしいところ)。
- もっとも主催者によると「長年表舞台での活躍がなかったスタインウェイにも光を当て」たいという話なので、楽器の状態は少々心配だった。
- どういう配置になるのかと考えていたのだが、能舞台の下、「目付柱」の外側あたりにピアノを置き、その向かって右側にヴァイオリニストが立たれた。
- 今日の曲目は
- ヘンデル;Vnソナタ第4番 ニ長調
- シューベルト;Vnソナチネ第3番 ト短調
- ベートーヴェン;Vnソナタ第9番「クロイツェル」
- ヘンデル;Vnソナタ第4番 ニ長調
- ヘンデルの冒頭から、大げさな表情を排し、どこか淡愁の翳を宿した高雅な音楽が奏でられた。
- 毎回、この人の渋く暖かい音色には心を打たれる。重音の和声の美しさも特筆したい。
- シューベルトでは、一節ひとふし音色に変化が与えられ、あたかも歌曲を聴くかのような趣。
- 会場の音響はかなりデッドで(素直な響きなので不快感はない)、音色の変化が手に取るようにわかる効果があった。
- 前々回から感じていることだが、パラシュケヴォフの音楽は、例えば定規で引いたような(CADで描かせたような、といった方が現代的?)完璧さを誇るものではなく、時に「かすれ」や「滲み」、微妙な「ぶれ」がある。
- しかしながら、全体としての音楽にはまったく狂いというものがない。
- かつて薬師寺東塔を「凍れる音楽」と評した美術史家があったが、あの三重塔も微細に見れば幾何学的な歪みを免れてはいないだろう。それが全体としては白鳳文化の粋とされる美として成り立っている。
- パラシュケヴォフの音楽も同じことではないか…と、演奏者の背後に見える能舞台の檜皮葺の屋根を見ながら考えていた。
- パラシュケヴォフの音楽も同じことではないか…と、演奏者の背後に見える能舞台の檜皮葺の屋根を見ながら考えていた。
- 休憩後のベートーヴェンでは、そのことを一層強く感じさせられた。
- 第1楽章の激しい力感、第2楽章の雄大な変奏、第3楽章の明るい躍動が、まさに「かくあるべし」という存在感をもって現前している。
- 聴衆の集中も素晴らしく(客席が間近に演奏者を取り囲むような配置のおかげでもあろう)、今回もパラシュケヴォフ氏の演奏から「ほんとうの音楽を聴いた」という印象を強く受けたのである。
- 残念だったのは、やはりピアノの状態が悪かったこと。
- 素人の見た目の印象なのでもしかしたら間違っているかもしれないが、ffが鳴らない、ppがコントロールできない、トリルが回らない等々、おそらくピアニストにとっては思った音楽の2割ほども出せなかったのではなかろうか。
- アンコールの1曲目は、バッハ;無伴奏Vnパルティータ第3番より「ルール」。
- ここでヴァイオリニストは能舞台に上がり、「正先」の少し奥のあたりに立った。
- その響きの素晴らしかったこと! それまでの近くてデッドな音響が一変、やや遠いが美しい響きが得られたのである。
- ここでヴァイオリニストは能舞台に上がり、「正先」の少し奥のあたりに立った。
- このときは客席が暗くされ、舞台上だけが照明に浮き上がって、まことに幻想的な雰囲気。
- 一音一音を慈しむような演奏もまた素晴らしく、ぜひこのホールで無伴奏全曲が聴きたいものと、願わずにはいられなかった。
- 一音一音を慈しむような演奏もまた素晴らしく、ぜひこのホールで無伴奏全曲が聴きたいものと、願わずにはいられなかった。
- 2曲目は元の位置へ戻ってヴィニャフスキ;スケルツォ・タランテラ。
- こうした技巧的な曲をサラサラと弾いてしまうところも凄いが、何より中間部の懐かしい響きが佳かった。
- 最後に演奏されたブラームス;Vnソナタ第3番より「アダージョ」が、また圧巻。
- 深いヴィブラートをかけた豊かな音色から、深い祈りの音楽が響き渡り、深く聴衆の心に染みいった。
- 曲が終わっても、しばらく拍手が起こらなかったほど。
- 来年以降もパラシュケヴォフ氏の「本物の音楽」を聴きたい、より多くの人に聴いていただきたいと切に願っている。
投稿者 seikaisei : 2004年09月22日 23:29
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://202.212.99.225/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/122