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2004年10月26日
平林直哉『クラシック100バカ』
- 平林直哉『クラシック100バカ』(青弓社)を読了
- しばらく前に許光俊氏がHMV.co.jpのWebpageで、内容よりも著者の覚悟を絶讃していた書籍。
- あとがきに曰く
- 「(本当の復讐以外の)どのような反応に対しても、私には受ける準備がある。私は業界人からバカ呼ばわりされるのは全く気にしない。怖いのはとにかく、読者から『あいつの書いていることはデタラメだ』とか『いつも内容が退屈だ』と思われることである。」
- 許氏も上記Webpageで、この部分を引用し、
- 「氏には妻があり、三人の子供がいる。(略)そう簡単に言い切れる言葉ではないのである。」
- と頌えている。
- とはいえ、読んでみると意外に常識的というか、目新しい指摘はさほどない。
- 吃驚したのは、一部若手~中堅評論家(又は音楽学者)を実名で批判していることぐらいだった。
- (これに対して、大物については「某有名評論家」等と匿名にするのは残念な処置だ。例;225頁)。
- まあ、斉諧生も「マイナーであればあるほど喜ぶバカ(180頁)」など、何点か思い当たるフシがあるので(笑)、揚げ足取りや難癖は控えておこう。
- ここでは、大いに共感した次のような指摘を引用する。
- 「東京文化会館は時代遅れの遺物だと思い込むバカ」
- 全体の音も、ややデッドではあるものの、妙なくせがなく、全体像が捉えやすい。
- 「廉価盤をパラダイスだと勘違いするバカ」
- ベルリン・クラシックスの音質も、私は好きになれない。輪郭だけが強調され、響きの豊かさが不足し、どれも似たような雰囲気になっている。
- 「あきらめが早すぎるバカ」
- 石の上にも三年というが、三年たって出てこないものはさらに三年探す覚悟でいることだ。
- 「ロシアの演奏家を色メガネでしか見ないバカ」
- ロシア人がロシアの作品を、フランス人がフランスの作品をそれぞれ演奏するときは、『自国の演奏家の強み』とか『自然ににじみ出る味わい』とか、一見まっとうに思われるような表現に終始し、そうでない場合はいいかげんにけなす。
- 「ザンデルリンクをほうっておいたバカ」
- (1990年のブラームス;交響曲全集から2002年のラスト・コンサートまでの)最後の十年以上の、おそらく最も実りの多い時期に録音が全くないのである。
- 「曲の長短、編成の大小で優劣が決まると思っているバカ」
- クラウディオ・シモーネ指揮/イ・ソリスティ・ヴェネティ、ユハ・カンガス指揮/オストロボスニア室内管弦楽団、サウリュス・ソンデツキス指揮/リトアニア室内合奏団、ほかにも指揮者なしのフランツ・リスト室内合奏団やイタリア合奏団など、これらは並の有名ブランド・フル・オーケストラよりも、よっぽど素晴らしい感動を約束してくれる。
- あとがきに曰く
投稿者 seikaisei : 2004年10月26日 22:48
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