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2005年09月13日
昭和32年、レイボヴィッツはメジャーな作曲家だった
- 『藝術新潮』昭和32年9月号
- 古雑誌を某オークションで落札。
- というのも、レイボヴィッツのオッフェンバック論が「現代作曲家のみた古典」という連載の一環として掲載されているので。
- この連載、9月号で「完」となっているので、遡って集めないといけないか…と思ったのだが、どうやらレイボヴィッツが書いたのはオッフェンバックだけで、あとの回は違う作曲家の文章を掲載しているらしい(安堵)。
- その他、ストラヴィンスキー「34の質問に答える」、近衛秀麿「ロン・ティボー・コンクール その反省」、パレナン「フランス弦楽四重奏の伝統」といった記事が目次を飾っている。
- 短信欄にも
- 「カサルスの三度目の結婚」
- 「チェロの王者、当年八十歳のカサルス老がこの八月四日結婚した。花嫁は、彼の愛弟子マルティータ・マンタネスという二十歳の娘」
- とかLP評では
- 「カラヤン指揮のフィルハーモニアが入れたベートーヴェンの「第四交響曲」も、大したものではない。(略)やはりカラヤンは見る指揮者だ。」
- などと、やはり古雑誌は面白い。
- というのも、レイボヴィッツのオッフェンバック論が「現代作曲家のみた古典」という連載の一環として掲載されているので。
投稿者 seikaisei : 2005年09月13日 23:54
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コメント
ごぶさたしております。近衞秀麿「ロン・ティボー・コンクール その反省」とは見逃せない人名を発見しました。国会図書館の雑誌検索でも引っかかっていない記事ですね。今度コピって来ないと。これはいいことをご教授いただきました。ありがとうございました。
投稿者 よしじゅん : 2005年09月18日 23:53
よしじゅん様、こんにちは!
そうそう、秀麿といえば…でしたね!
御連絡を差し上げずに、失礼いたしました。m(_ _)m
見開き2ページのコラムのような記事ですが、
僅かなりともお役に立てて光栄です。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
そうそう、秀麿といえば…でしたね!
御連絡を差し上げずに、失礼いたしました。m(_ _)m
見開き2ページのコラムのような記事ですが、
僅かなりともお役に立てて光栄です。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
投稿者 斉諧生 : 2005年09月19日 07:17