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2005年12月25日

ブーランジェ姉妹の紹介記事

萩谷由喜子『音楽史を彩る女性たち 五線譜のばら2』((株)ショパン)を購入。
月刊誌『ショパン』に連載された同名連載記事の単行本化で、ブーランジェ姉妹が14頁(図版等含む)にわたって取り上げられている。
内容的には、連載時から多少の増補が行われ、マルケヴィッチナウモフらナディアの弟子たちによるリリー作品の録音活動についても触れられている。
その他、ヒルデガルト・フォン・ビンゲン、パラディス、コージマ・ワーグナー、オーギュスタ・オルメス、アンナ・パヴロワ、ココ・シャネル、クララ・ハスキルら計12人を紹介している。
 
なお、萩谷氏の公式Webpageもあるが、これほど「著者近影」の多いWebsiteも珍しいかもしれない…(汗)。

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2005年12月24日

学研(Platz)録音プロデューサーの随想集

皆川弘至『わが音楽巡礼』(一藝社)
クリスマス・イヴの家族サービスに神戸まで出かけ、その帰りに大阪・梅田の大型輸入盤取扱店に立ち寄る。
直接の目的は果たせなかったのだが、それでも何点かのCDをレジに持ってゆくと、その脇の書籍棚に並んでいたのが本書
見知らぬ名前の著者なので躊躇したが、帯に並べられた演奏家の中にアルヴィド・ヤンソンス清水高師など、通り一遍でない名前があったので「これは…」と買ってみた。
巻末の略歴によれば、皆川氏はクラシック音楽関係のジャーナリスト・プロデューサーで、雑誌・書籍の編集やレコードの録音に長く携わっていたとのこと。
本文をパラパラ見ると、学研(Platz)関係の音源の話題が多いので、それらの製作に当たっていた方のようだ。
収録された文章(長くても数頁まで)は、書き下ろしから1970年代初めに執筆されたものまで、日本人演奏家や来日演奏家、自身の録音活動に関する随想などを含む。
指揮者だけでもカラヤンバーンスタイン朝比奈隆山田一雄から、ロヴィツキプレヴィターリフリューベック・デ・ブルゴス小泉和裕まで、様々な人物が登場、読み進めるのが楽しみである。
(附記) 読了してみて気になった点が2つ。
(1)「世界の指揮界は、ムラヴィンスキーやクレンペラーを亡くし、カザルスを失った今、世代の交代期に入った感がある。」(63頁)
初出が1979年12月となっている文章だが、ムラヴィンスキーが長逝したのは1988年である。(クレンペラーとカザルスはともに1973年没)
(2)「私は1982年、音と楽譜による『ベリータ』と称するヴァイオリンの教則全集を企画した。」(185頁)で始まるヘンリク・シェリングに関する記事
それによると、シェリングの代表盤バッハ;無伴奏Vnソナタとパルティータは、この企画の一環として彼が発案し、ドイツ・グラモフォンに録音を依頼したという。
しかしながら、あの名盤は1967年の録音であり(例えば、びんわさんのディスコグラフィ参照)、1980年代のものではない。
先ごろCD化されたヘンデル;Vnソナタ集は1981年録音で、教材用のLPにのみ含まれていたものというから、あるいはそのことであろうか。
とはいえ「今でもレコード・アカデミー賞受賞の名盤としてカタログの中に燦然と光を放っている」と書いているから、上の記述は単なる曲名の記憶違いとは考えにくい。

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2005年11月01日

早坂文雄の評伝

西村雄一郎『黒澤明と早坂文雄』(筑摩書房)
頁を開くたびについつい全巻読了してしまう魅惑に満ちた本『巨匠のメチエ 黒澤明とスタッフたち』の著者による、黒澤と作曲家・早坂の評伝。
前半は両者を並行させ、後半で二人の共同作業(『酔いどれ天使』~『生きものの記録』)を密度高く描く。
800頁を超える大冊ゆえ、まだしばらく読み切れないだろうと思うので、とりあえず購入時点の記録を留めておく。

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2005年10月26日

リリー・ブーランジェ関連の新著

ヴェロニカ・ベーチ『音楽サロン』(早崎えりな・西谷頼子訳、音楽之友社)
「秘められた女性文化史」との副題を持ち、帯には「男性中心の社会のなかで、音楽史の表舞台に立てなかった才女たち。(略)知られざる女性文化の歴史と実態が、いまはじめて明らかになる!」と。
斉諧生にとっては、あまり気乗りのしないスタンスの本かもしれないが、もしかして…と思って手に取ってみた。
やはりブーランジェ姉妹が採り上げられている。
叙述の中心は19世紀後半~20世紀初頭にあるようだが(リスト、シューマン、アルマ・マーラーあたり)、ナディア・ブーランジェが最後の「サロニエール」(サロンを主宰する女主人)と位置づけられており、「エピローグ」の主人公として大きく扱われ、それに絡んでリリーも登場する。
…となれば、買わざるべからず。
なお、著者はリリーの宿疾を結核と書いているが、この見解は初めて聞くように思う。

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2005年10月19日

楽譜2点

リリー・ブーランジェ;歌曲集「空のひらけたところ」(DURAND)
 
ルクー;弦楽四重奏のための瞑想曲(BAYARD-NIZET)
di-arezzo.comにて購入
(申し訳ありませんが、本文は後ほど掲載します。)

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2005年09月13日

昭和32年、レイボヴィッツはメジャーな作曲家だった

『藝術新潮』昭和32年9月号
古雑誌を某オークションで落札。
というのも、レイボヴィッツオッフェンバック論が「現代作曲家のみた古典」という連載の一環として掲載されているので。
この連載、9月号で「完」となっているので、遡って集めないといけないか…と思ったのだが、どうやらレイボヴィッツが書いたのはオッフェンバックだけで、あとの回は違う作曲家の文章を掲載しているらしい(安堵)。
 
その他、ストラヴィンスキー「34の質問に答える」近衛秀麿「ロン・ティボー・コンクール その反省」パレナン「フランス弦楽四重奏の伝統」といった記事が目次を飾っている。
短信欄にも
「カサルスの三度目の結婚」
「チェロの王者、当年八十歳のカサルス老がこの八月四日結婚した。花嫁は、彼の愛弟子マルティータ・マンタネスという二十歳の娘」
とかLP評では
「カラヤン指揮のフィルハーモニアが入れたベートーヴェンの「第四交響曲」も、大したものではない。(略)やはりカラヤンは見る指揮者だ。」
などと、やはり古雑誌は面白い。

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2005年09月10日

第二次世界大戦(初期)のブダペシュト音楽体験

徳永康元『ブダペストの古本屋』(恒文社)
かねて評判を聞いていた書籍をAmazonを通じて福岡の古書店から購入、読了した。
著者(1912~2003)は長く東京外国語大学で教鞭を執ったハンガリー語・ハンガリー文学を専門とする言語学者で、1940~42年にブダペシュトに留学していた。
既に第二次世界大戦が始まっていたが、まだ戦火の及ばぬハンガリーで古書店に通っていた時期の回想や、戦後二十数年後に再訪したヨーロッパなどでの古書蒐集譚などをまとめた著書である。
 
徳永氏は、母方の祖父が明治期の薬学者柴田承桂、とはすなわち作曲家柴田南雄先生と従兄弟どうしの関係になる。(前記Webpageでの承桂博士の肖像写真、南雄先生を髣髴とさせるところがある。)
この関係については、本書でも、
早くから音楽に親しんでいた母方の従兄弟たち(作曲家になった柴田南雄君はその一人だが)の影響で、中学生の頃は神田のセコハン屋に日参するレコード・ファンだった。
と記されているところ。
 
どんな分野であってもマニアの蒐集譚は斉諧生の興味を惹くところだが、古書の話はさておいて、肝心の音楽の話題では、
リストの直弟子エミール・ザウアー(80歳近かった)のリサイタルを聴いたこと
ステージに上がるまでは人に手をひかれ、よぼよぼの隠居の爺さんとしか見えなかった。
ところが、ひとたびピアノをひきはじめると、両手だけがまるで独立した別の生きもののように鍵盤の上を走りまわり、すばらしく華やかな演奏をきかせるので、そのコントラストに私は何だか不気味な感じがして来たくらいだった。
亡命を決意したバルトークがハンガリーへの告別の意味を込めて開いた演奏会で、彼のピアノ演奏を聴いたこと(指揮はヤーノシュ・フェレンチク)
ピアニストとしてのバルトークは優れたバッハ弾きだときいていたが、たしかに彼のバッハには独特のふしぎな迫力があった。
このときのバッハの演奏の激しい気魄と、一見弱々しくさえ見える小柄なバルトークの異様に鋭い眼光とは、当時の私によほど強烈な印象をのこしたとみえ、あれから三十数年が過ぎた今でも、その情景をまるで昨日のことのようにまざまざと思い浮かべることができる。
当時無名のシャーンドル・ヴェーグとは個人的に親交があったこと
ヴェーグは一向なりふり構わぬ呑気そうな男だったが、ヴァイオリンの音はすばらしく綺麗だった。
繊細な美しさという点では、ヴィーンのシュナイダーハンに匹敵するものといえよう。
あたりが主要な内容となっている。
 
そのほか、レハールの自作自演や、1941年のモーツァルト没後150年記念にウィーンで開かれた音楽祭を聴きに行ったことなど、興味深い曲目・演奏者が列挙されており、後者ではクナッパーツブッシュ指揮の 『魔笛』『ドン・ジョヴァンニ』や、フルトヴェングラー指揮のレクイエムが登場する。

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2005年08月21日

山崎浩太郎『名指揮者列伝 20世紀の40人』

山崎浩太郎『名指揮者列伝 20世紀の40人』(アルファベータ)
演奏史譚を標榜する山崎氏の新刊を購入。
もとは『レコード芸術』誌に不定期連載された記事を集成したもので、IMGレーベルの "Great Conductors of the 20th Century" シリーズ発売に合わせての企画。
したがって指揮者の人選も、それと一致しており、アルバート・コーツニコライ・マルコアルトゥール・ロジンスキーパウル・クレツキなど、日本の音楽ファンの嗜好からすると「40人」には入りにくいと思われる名前も混じっている。
(詳細は版元の新刊案内参照)
「はじめに」に曰く、
本書は、いわゆる『名指揮者お買い物ガイド』ではない。その順位づけをする本でもない。(略)四十人がそれぞれに生きた時代と状況と、その生きざまにこそ、興味があった。レコードをその存在証明として、聴きたいと思った。
まだ拾い読みの段階だが、上記に偽りなく、またリズムのよい名文(だと思う。大岡昇平さんの文章を連想した)で、読み進めるのが勿体ないくらいに感じられる。
読了する前から恐縮だが、ぜひぜひ続編を期待したい。

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2005年08月19日

柴田南雄先生の作品リスト

『柴田南雄作品集』(サンガクシャ)
某オークションに標記の冊子が出品されていたので落札。柴田先生の関連資料は見逃せない。
1991年、かねて「自分の手頃な作品表がない」ことを不便に感じていた作曲家のために、彼を敬愛する4人の音楽学者が中心となり、サントリー音楽財団の助成を得て出版したものとのこと。
40頁強の簡素なもので、1991年以降、遺作「無限曠野」までの作品については別紙が添付されていた。

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2005年08月15日

一気通読『のだめカンタービレ』

二ノ宮知子『のだめカンタービレ』第1~12巻(講談社)
旅先で1、2時間つぶさねばならない空きが出来て、旅宿近隣のインターネット & コミック喫茶に足を踏み入れてみた(実はこれまでこの種の店に行ったことがない)。
なかなか清潔快適な環境で、しかも、ずっと気になっていた『のだめ』が既刊全部揃っていた。2時間弱では全12巻を読み切れず、夕食後に再度出直して、昨日の山崎著につづき、通読に成功。
一読して思ったのは、二ノ宮氏とさそうあきら氏の並行関係。
天才というより自然児と呼ぶべきピアニストが主人公である点では、さそう氏の『神童』に、臨時(特別)編成のオーケストラに集う一癖も二癖もある演奏家たちの生態(?)を描く点では『マエストロ』に、類似しているのだ。
もちろん作品世界はまったく異なり、それぞれの人物像の掘り下げや「音楽って何?」というテーマを追求する後者に対して、『のだめ』は(今のところ)ある種の青春小説であり、紙面に満載された作者のたぐいまれなギャグ感覚を楽しむべきものであるように思われる。
斉諧生にとっては『神童』は手元に置き続けたい作品であるが、『のだめ』は(今のところ)借りて目を通せば十分、という評価にとどまる。
もちろん、それゆえの親しみやすさや講談社というメジャーが手がけていることなどから、多くのファンと広がりを持ち、そのことがクラシック音楽受容の拡大につながるのであれば、非常に好ましい。むしろ、それを大いに期待したいといえよう。
作中でも、音大を卒業した登場人物たちのうち、オーケストラに就職したり演奏家として立つのは極めて少数で、レコード会社に就職したり、とりあえず居酒屋でバイトしたりする者も珍しくない様子なのだから…。

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2005年08月14日

カルショー回想録『レコードはまっすぐに』

ジョン・カルショー『レコードはまっすぐに』(山崎浩太郎訳、学研)
盆休みの小旅行に出かける。…とはいっても、ごくごく近場のホテルに2泊するだけだが(苦笑)。
以前ならば、あそこを観光して、ここの美術館へ行って、宿に戻ればどの音盤を聴いて、と綿密な予定を立てたところだが、ようやくそれは非現実的、ということを悟った。
今回必須のテーマはただ一つ、本書を読了すること。
上梓されたのは本年4月のこと。
すぐに関心ある項目の拾い読みはしているのだが、通読はまだだった。読み始めたら途中で止めることは不可能になることは明々白々(笑)、通勤電車に持ち込む等は下策、まとまった時間を確保できるときにと考えていたのである。
当初は黄金週間に読破する予定だったが、本業等の忙しさにかまけて、今までずれ込んだもの。ここを逃すと次は正月かもしれないと、不退転の決意で旅宿に持参した。
幸い、初日にそこそこ時間が取れ、深更に及んだものの、一気通読。
なるほどDECCAの関係者や各演奏家に関するゴシップや辛辣きわまりない評価が、歯に衣着せぬタッチで述べられている。これでも、あえて伏せられた事実も多いのだろうけれど(カラヤン絡みのエピソードや裏話など、もっとあるはずだ。本国出版時点では指揮者健在だったから…)。
斉諧生的には、ハンス・シュミット・イッセルシュテットのCAPITOL録音をカルショーがプロデュースしていたこと、またカルショーの同僚として採用された子息エリック・スミスに関する
父親譲りの辛辣なユーモアが趣を添えていた。
との記述に目を惹かれた(エリックをカルショーに紹介したのはピアニストジュリアス・カッチェンだったとのこと)。
 
何かにつけて対比されるEMI系のウォルター・レッグの回想録『レコードうら・おもて』同様、音盤愛好家の座右に置かざるべからざる貴重な好著であると、再度特筆大書したい。

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2005年08月12日

ルネ・レイボヴィッツ『現代音楽への道』

ルネ・レイボヴィッツ『現代音楽への道』(ダヴィッド社)
「バッハよりシェーンベルクまで」という副題の付いた、レイボヴィッツの邦訳書(遠山一行・平島正郎共訳)。原著は1951年にパリで出版され、訳書はその5年後に発行されている。
副題どおりバッハハイドンモーツァルトベートーヴェンシューベルトショパンシューマンブラームスリストワーグナーマーラードビュッシーシェーンベルクの13人を採り上げ、「音楽の進化」(原題)の歴史を論じたもの。
1951年の段階でマーラーを上げていることは興味深い。
また、そもそも本書が訳されたことに、出版当時のレイボヴィッツの地位が窺えるといえよう。
某オークションで落札したもの。

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2005年08月06日

『圓生の録音室』

京須偕充『圓生の録音室』(青蛙房)
毎回更新を楽しみにしている唐沢俊一氏の裏モノ日記7月11日の項で「私の青春の愛読書のひとつ」と紹介されていた書籍。
 落語界に残る大業績のひとつ『圓生百席』のレコードを製作したCBSソニーのプロデューサー(当時)の製作記録である。自分が惚れ込み、入れ込んだ芸を、レコードという商品のカタチにしていく手順を、最初の交渉の段階から製作の作業、商品化に至るまでの(トラブルをも含めての)一切を克明に、冷静に、しかし興奮を秘めて記した一書。
(略)およそものを製品に作り上げるという行為に関わっている全ての人必読の書であるが、これを十数回読み直しながら、『いつか自分もこういう仕事がしたい』と思っていた。
音盤製作に関わる傑作ドキュメンタリーということならば読まざるべからず、と日本の古本屋で捜してオーダーしたところ、あっという間に届いたもの。
さっき調べていて、中公文庫に入っている(品切れ?)ことを知った。
巻を披くや擱く能わず、一気に読了。実に面白かった。
自ら編集に立ち会い、ちょっとした「間」のタイミングにもこだわり抜いた圓生が、いつもと違う録音技師に対して見せた反応、
出囃子に唄が入るときには自分が唄うと言いはって、それじゃ辻褄が合わないと反対するプロデューサー(著者)に「どうも今の方てえものは理が勝ちすぎていけませんね。お囃子は愛嬌なんですから、まァ遊びてえことで……。唄は下手くそでも、本人がやってるんだから言いじゃァありませんか」と押し切るところ、
「百席」30巻の構成を、手作りのノートに定規で線を引き、暇があればノートを見つめて想を練り、検討を重ねてはノートを作りかえした、その几帳面さ。 等々
たしかに「いつか自分もこういう仕事がしたい」という気持ちになるのが、実によくわかる(もちろん落語ではないけれど)。
あ、でも『三遊亭圓生人情噺集成』、欲しいかも…(自滅)。

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2005年08月01日

高宮利行『アーサー王伝説万華鏡』

高宮利行『アーサー王伝説万華鏡』(中央公論社)
1995年刊行の旧著。もともとは雑誌『マリ・クレール』への連載であったとか。
一昨日、浮月斎大人のblog即席浮月旅團を拝読していて、情報を頂戴した書籍。
なんとショーソン;歌劇『アルチュス王』に関する一文が掲載されているというから読まざるべからず。
日本の古本屋で捜してオーダーしたところ、あっという間に届いたもの。
ショーソン作品については16頁が割かれており、梗概や簡単な上演史、ワーグナーとの比較と「脱ワーグナー化」等について、説明されている。短いが、まず有用な情報であった。
そのほか、これも鍾愛の映画、ジョン・ブアマン監督の『エクスカリバー』も取り上げられているし、巻末の「軍艦から医療器具まで~アーサー王伝説我楽多市」は蒐集癖者には麻薬のような章。同じものを集めたいわけではないが、非常に刺激される。
久しぶりに「アーサー王伝説」熱が、ぶり返しそうである。

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2005年07月26日

鶴我裕子『バイオリニストは肩が凝る』

鶴我裕子『バイオリニストは肩が凝る』(アルク出版企画)
NHK響のVn奏者による、『音楽現代』『フィルハーモニー』への連載を主体とした文集。
同種の著作は、茂木大輔氏のものをはじめ数多いが、その中では比較的「本音」に近い線で書かれている感じである。
どうもブロムシュテットスクロヴァチェフスキは嫌われ、シュタインスヴェトラーノフマタチッチなどが好まれているようだ。
Web上で見る限り、そうした著者の姿勢(たぶん楽員の平均的な反応だろう)に多少反発を覚える向きもあるようだが、斉諧生的には次の記述で著者の真摯さを評価できると思っている。
たとえば、1回しか経験していないブーレーズ。あのとき、かれのレヴェルの高さについていけない自分を痛感し、『足を引っぱって申し訳ない』と思った。目が点になったまま終わった演奏会のあとも、『あの人のお役に立てるほど、うまくなりたい」と切に思った。

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2005年07月25日

河島みどり『ムラヴィンスキーと私』

河島みどり『ムラヴィンスキーと私』(草思社)
以前ヴィターリー・フォミーン『評伝 エヴゲニー・ムラヴィンスキー』(音楽之友社)を訳された、巨匠来日時の通訳・河島さんが、今度は御自分とムラヴィンスキー夫妻との交友を軸に、指揮者の生涯を著された。
指揮者への思い入れたっぷりのところは多少割り引くとして、人となりや家庭生活は活写されており、これはこれで貴重な記録であろう。

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2005年06月11日

ステーンハンマル;セレナードのスコア

eBayステーンハンマル;セレナードのポケット・スコアを落札。
楽譜自体は以前にスウェーデンの版元から購入しているのだが、たまたま在庫が切れているときだったので、未製本のコピー譜(要するに紙の束)になってしまった。
今回は "Serenissima Music" というアメリカの出版社、もちろん製本されている(ペーパーバック)。
中味はスウェーデン版と同一なので、Dover版などと同じリプリントものと思われる。
念のため検索してみると、amazon.comでも購入できることがわかった。

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2005年04月28日

<特報>カルショー自伝の邦訳成る!

ジョン・カルショー著(山崎浩太郎訳)『レコードはまっすぐに』(学研)
英DECCAの名プロデューサー、カルショウの自伝。まさしく待望の翻訳であり、クラシック音楽ファンの宝としか言いようのない、まさしく待望の翻訳である。
原著の出版は1981年、前年に急逝したカルショウの遺著となったものであった。
かつて半年だけ存在した雑誌『音楽通信』(ステレオサウンド社、編集長は黒田恭一氏)に抄訳が連載され、1950~60年代の楽壇の裏事情、面白いことこの上ない内容であった。
同誌が短命に終わったため、ごく一部しか読むことができず、以来、ぜひ全体を読みたいと念願してきた。
数年前にWeb通販でオーストラリアの古書店から原書を入手し、長年の渇きを癒したものの、英文を読む余裕がなく、いつか時間ができたとき(退職後?)の楽しみにしておこうと考えていたのである。
それが、前にレジナルド・グッドールの評伝を出版された、演奏史譚家・山崎氏による達意の訳文で出版された。
500頁を超える労作ゆえ、まだ読み切れていないが、とにかくクラシック音楽に関心のある方には絶対に有用有益な書物ゆえ、是非是非、手に取られるよう、お薦めしたい。

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2005年04月05日

「クラシック音楽と本さえあれば」

季刊『考える人』2005年春号(新潮社)
所用あって書店に立ち寄ると、平積みになった新着雑誌の表紙に特集「クラシック音楽と本さえあれば」と記されているのが目についた。
ぱらぱらと見て面白そうだったので購入。
安岡章太郎が「ウェスタン・エレクトリック社の真空管を搭載したアンプ」とクォードのスピーカーでキーシンを聴いていたり、中島義道が街を歩くときヘッドフォンでカラヤン「ローエングリン」を聴いて騒音を除けているとか、なかなか面白い。
「作家に聞く『ベスト・クラシックCD』」のセレクションが意外に常識的だったり(意外でもないか)、「音楽家に聞く『好きな本3冊』」大野和士「枕草子」堀米ゆず子さんが「菜の花の沖」を挙げているなど、興味を惹かれる。
ただし、そういう興味だけからすると、定価1,400円はちょっと高い。

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2005年04月02日

福島章恭『交響曲CD 絶対の名盤』

福島章恭『交響曲CD 絶対の名盤』(毎日新聞社)
昨日の記事に書いた職種の変化で、当面必要な書籍の買い出しに出かける。
もっともいったん書店に足を踏み入れたからにはクラシック関係の書棚を点検せざるべからず(笑)。
そうしたところ、福島章恭氏の新著が平積みになっていたので是非ともと購入。
五十年後、百年後に聴かれつづけるべき、『永遠の名盤探しの旅』」を試み、『一時の流行や外面のスタイルにとらわれず、深く心に響く『本物の演奏』を追い求める」ことを自ら課した、と序文に記しておられる。
同一の演奏であっても、国内盤CDや輸入盤CD、あるいはオリジナル盤LP等々、マスタリングやプレスの違いを追究、音質の差に言及しておられるので、蒐集には非常に役立つ。
分量的にも300頁近く、著者渾身の一書と言えよう。是非々々、手に取られることをお薦めしたい。
斉諧生的には、パレーレイボヴィッツシュミット・イッセルシュテットという「斉諧生音盤志」に立伝した指揮者、あるいはマークモントゥーシューリヒトクナッパーツブッシュといった憧憬の指揮者に多くの紙幅が割かれており、非常に悦ばしい。
パレーではシューマンベルリオーズフランクサン・サーンス、レイボヴィッツではベートーヴェンが採り上げられている。
 
一方、アンセルメハイドンベートーヴェンコリン・デイヴィスベートーヴェンなど、一般の評者が顧みない演奏にも光をあてておられるところ、非常に興味を惹かれる。
 
…これでまた、蒐集リストが伸びてしまった(汗)。

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2005年03月14日

アンゲルブレシュト作品の楽譜

アンゲルブレシュト;日時計(LYRA)
 
アンゲルブレシュト;森の精(LYRA)
ふと思い立って青山ハープのWebsiteで楽譜を検索してみると、アンゲルブレシュトによるフルートとハープ(又はピアノ)のための作品が見つかったのでオーダーしたもの。
ここと村松フルートは、通常の楽譜店・音盤店にないものがみつかるので、重宝している。
ヴァイオリンやチェロでも、こういう店があると助かるのだが。。。
(とはいえ、もし見つかったら破滅的にオーダーしてしまうかもしれない、という危険を感じるのも事実。)

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2005年03月09日

パレーの楽譜(歌曲)

パレー;ジャン・ラオールによる4つの詩(JOBERT)
先だってフランスの作曲家の楽譜等を扱っている、小さなWebshopを見つけた。
指揮者パレーの作曲の譜面が売られていたので、これは是非、手元に置きたいとオーダーしたもの。
フランスの詩人ジャン・ラオールによる「嵐の後で」「さよなら」「舞踏会の後で」「死を欲する」の4曲(作曲;1921年)。
ラオールは現在の日本では(たぶん)あまり知られていない人だが、当時のフランスでは流行だったのか、デュパルクが付曲していたり、堀口大學(訳編)『月下の一群』にも収録されているという。
なお、4曲とも音としてはGROTTOの歌曲全集に収められている。

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2005年03月07日

日本シベリウス協会20周年誌

『FINLANDIA 日本シベリウス協会20周年記念特別号』(日本シベリウス協会)
日本シベリウス協会に加入していることから、標記冊子が送付されてきた。
内容は同協会のWebpageにあるとおりだが、とにかく附録のCD-ROMに過去20年間の出版物すべてがpdfファイルで収録されているのが貴重。
現在の協会は舘野泉氏が会長だが、発足当初は渡邉暁雄氏が会長、大束省三氏が事務局長だったのだから凄い。
会報等への執筆陣も、大束氏のほか横溝亮一菅野浩和等、錚々たる顔ぶれ。
昨年、事務を委託していた日本学会事務センターが破綻するなど多難な運営を強いられる中、よくぞこれだけのものをお作りいただいたと感激している。
一般にも販売されており(売価1,700円)、上記Webpageをご参考の上、是非お申し込みを。

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2005年02月19日

「アイネ・クライネ」

モーツァルト;セレナード「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(Eulenburg/Zen-On)
音盤店の楽書コーナーでポケット・スコアを1点購入。
何を今更のポピュラー名曲だが、実は未架蔵(汗)。
先日ヴロンスキー盤に接して、これは一度本腰を入れて聴いてみないと…と思い、譜面を入手せねばと考えていたもの。

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2005年02月13日

義江彰夫氏の論考を読む

『公共哲学 15 文化と芸能から考える公共性』(東京大学出版会)
帯の惹句には、
「生活世界から公共世界を形成するために 生活者の視点に立って公共性の創成可能性を探究」
「人びとの共鳴・協働を生み出す芸能の世界に何を見いだせるか。 文化や芸能・芸術の持つ公共的な価値とはどこに求められるか。」
という題目が記されている。国家や政府、政治権力の枠にとらわれない汎世界的な共同体の有り様を論じた叢書の一巻である。
 
本書に、義江彰夫 「音楽と公共性・公共世界の関係に関する一試論」という論文が収められている。
著者の本業は古代・中世の日本史家。同書には別論文「日本中世の芸能をめぐる共同体と権力」も掲載されている。
 
20頁に満たない小論であるが、著者年来の考察が集成されており、強い問題提起をはらむ。
次の4人の作曲家・作品を取り上げ、それぞれの曲には、その時代に作曲家を取り巻いていた個人と社会、民族と世界の問題が凝縮されていると説く。
詳細は同書を参照されたいが、その手引きとして以下に抄録する。
 
ベートーヴェン;Vn協
第1楽章では管弦楽の提示する主題に従っていた独奏が、第2楽章では独自の旋律を歌い始め、第3楽章では管弦楽をリードするに至る。
独奏を個人、管弦楽を社会と見るならば、ヘーゲルの弁証法やルソーの社会契約思想を音楽で表現すればこの作品になる、と言っていい。
しかし、個人と全体の調和はなく、個人の理念や利害が公共性にすり替わる危険性を残す。
ワーグナー;ニーベルングの指環
西欧市民社会は資本主義が生み出す欲望の追求の結果として行き詰まるが、欲望からの解放と愛の絆がそれを解決する。
ベートーヴェンの個人中心的な公共性の矛盾を打破し、支配・被支配のない公共性を備えた社会を提示。
マーラー;交響曲第5番ほか
第1楽章の葬送行進曲から第3楽章までの抑圧的・悲劇的な曲調は男女の結婚に対する苦悩を現すが、第4楽章(アダージェット)で彼のホモセクシュアリティがアルマから承認されることにより第5楽章での勝利が導かれる。
第6~8番を経て「大地の歌」の終楽章「告別」(男同士の別れが歌われる)に至ってマーラーはホモセクシュアリティの世界からの訣別に成功し、第10番で更に高い次元でヘテロセクシュアリティの世界に向き合おうとする決意を表現する。
この歩みは、マーラーが、ホモジニアスな西欧市民社会を超越するヘテロジニアスな社会・民族間関係を構築する展望を示している。
シベリウス;Vn協、交響曲第7番
Vn協では、ベートーヴェンのような独奏(=個人)が管弦楽(=社会)を支配するものに成長するという図式を否定し、独奏のイニシアティブを介しての両者の対等な関係の構築という新しい境地を開拓している。
これは西欧市民社会の周縁に成立したフィンランド内の個人と社会の関係にとどまらず、フィンランドと諸民族との関係に発展する。
交響曲第7番において、相互に違和感のある数個の動機は諸民族間の葛藤を象徴し、螺旋状的な展開を通して全体の融合が示唆されたところで終結する。
音楽の上で最終的な結論が与えられないのは、真の解決は聴衆が主体的・持続的に取り組んでいく結果に委ねられているからである。
シベリウスの音楽は、民族性を基礎に置きながら、国民国家の枠を超え、諸民族との葛藤を通しての連係と共存を目指す内容で満たされている。
 
Vn協2曲の造型の違いなど、なるほどそうかもと頷ける気がする反面、マーラーのホモセクシュアリティと交響曲の意味関連については眉に唾したくなるのも正直なところ(笑)。
とはいえ、音楽史を音楽だけの(楽譜の中で完結する)発展の様相としてとらえるのではなく、音楽家が時代を・時代の精神を<深く>反映して作品をつくりあげてゆくという前提を承認するならば、簡単に笑殺するわけにもいかないだろう。
作曲家の言説の中にではなく、音楽そのものの分析から、作曲家と時代・社会との関わりを読みとることができる(読みとらねばならない)という、重大な問題提起として受け止めたい。
だからといってそれはないでしょう、という部分は否定しきれないかもしれないが、では何があるのか、という質問に答えられる音楽史家・音楽美学者は存在するのだろうか。
実は斉諧生は、義江彰夫氏と個人的な面識がある。もう20年以上も前のことだが…。
当時、音楽について話し合ったことはほとんど無かったのは今思えば残念だが、それでも既に
「ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ね、あれはね、弁証法ですよ。」
と力説しておられたことを思い出す。
また、ある時村上陽一郎氏が聞き役を務めるラジオ番組にゲスト出演され、
ダヴィード・オイストラフ(Vn) アンドレ・クリュイタンス(指揮) フランス国立放送管
ベートーヴェン;Vn協(EMI)
について語っておられたことも記憶している。
まだLP時代のことで、各種プレスにより音が違うが米Angel盤が最上、と言っておられた。
やはりマニアというほかない(苦笑)。

投稿者 seikaisei : 19:57 | コメント (2) | トラックバック

2005年01月31日

舘野泉『ひまわりの海』

舘野泉『ひまわりの海』(求龍堂)
斉諧生も加入している日本シベリウス協会が会長に戴いている舘野さんの著書。
御承知のとおり、舘野さんは3年前に演奏中の脳溢血で倒れ、ようやく最近、左手だけでの演奏活動に復帰された。
本書は昨年12月の発行だが、闘病記では今ひとつ読みたくないなと思っていたところ、先日店頭で手に取ると半分強がそれ以前に『ショパン』等に掲載された作曲家やピアニスト、演奏旅行等に関する文章というので、買って読むことにした。
巻頭に置かれているのはセヴラックのピアノ曲についての章で、書名もその章の題名を採っている。
著者が作曲家の故郷サン・フェリックス・ロウラゲという南フランスの小村を訪問したとき、その周囲がことごとくひまわりの畑だったことをふまえたもの。自身の撮影になる一面のひまわりの写真が表紙や図版を飾っている。
その他の章でも舘野さんの写真は詩情を湛えて美しい。玄人はだしといっても過言ではないだろう。
闘病中に「これからは執筆と写真で活動すれば」と言ってくれる人もいたそうな。
本人は「割り振りを決められるのは癪だ、できることは自分で見つける」とおかんむりだったらしいが。
 
もちろん文章も達意にして秀抜。
クラミ;P協第2番について。
哲学や数学のように純粋で、暖かくて優しくて、ユーモアもあるし神秘的でもある。秋の森のような香りや、冬の朝の光もふと漂い、ひとつひとつのフレーズや音が、不思議な小路や森の中に誘うような輝きを放っている。(略)クラミの協奏曲に私は孤独な精神と森の対話を聴くように思う。
あるいは、ピアソラについて。
その音楽は危ないほどに美しく、恐ろしいほどの激情に満たされながら、熱く奔放であるのに冷酷であり、誇りと絶望が背中合わせになっている。こんなにも矛盾する情念がひとつに凝縮された音楽がほかにあるだろうか。
 
その他、
ラフマニノフ;P協第1番
ハチャトゥリアン;P協
伊福部昭;協奏風交響曲
等、比較的知られていない作品に関して、想いのこもった文章が綴られており、読みごたえのある一冊になっている。
 
入院とリハビリ、左手での再起については、最近TV番組でも放送されており、一つだけ紹介するにとどめる。
コンサートのあと「左手だけの演奏はもどかしく、口惜しくないか」と訊ねられたとき、ピアニストはこう答えたという。
口惜しくないとは言えないだろう。今まで弾いてきた音楽を、どうして忘れ去ることができようか。(略)
今感じているのは音楽の喜びだけである。音楽がまたできる、指を通じて全身が、自分の全存在が楽器に触れ、聴いてくださる方々と、そしてこの世界と一体になっていく、その感覚だけである。(略)
左手だけで演奏することにも、なんら不自由は覚えない。演奏をしている時には、片手で弾いていることさえ忘れている。充足した音楽表現ができているのに、どうして不足など感じることがあろう。

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2005年01月19日

ストコフスキーのスコア

バッハ(ストコフスキー編);パッサカリアとフーガ ハ短調(Broude Brothers)
音盤屋の上階の楽譜売場で輸入楽譜1,000円均一のワゴン・セールを行っていた。
ひときわ大型の楽譜(指揮者用か)が目に付き、手に取ってみるとストコフスキーによるバッハ編曲。
「トッカータとフーガ ニ短調」の次くらいに有名な編作で、来月日本フィルでも採り上げられる。
かなり草臥れているのが惜しいが(だからこそセール品になったのだろうが)、7,000円ほどのものが1,000円ならばと購入してみた。

投稿者 seikaisei : 22:25 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月15日

リリー・ブーランジェ伝記新刊

Jérôme Spycket "À la recherche de Lili Boulanger" (Fayard)
昨年12月25日の記事に記した、ブーランジェの伝記本がfnacから届いた。
400頁近い大作で、びっしり文章が詰まっている。残念ながら斉諧生はフランス語が駄目で、からきし読みとれない。
それでも8頁ある口絵には、彼女の未見の写真や家族の肖像写真等が掲載されているので、それだけでも嬉しい(笑)。
2004年10月発行。

投稿者 seikaisei : 14:56 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月14日

草刈津三『私のオーケストラ史』

草刈津三『私のオーケストラ史 回顧と証言』(Duo japan)
著者は1926年生れ、戦後すぐに東宝交響楽団(現・東京響)のVa奏者として入団、その後マネージメントを通じての音楽文化づくりを志してプロデューサーに転じ、創設期の日本フィルや躍進期の東京都響の事務局で指揮者の招聘や演奏会の企画を担当した。
本書は『音楽現代』誌の連載を基にまとめられたもので、昨年12月に亡くなった草刈氏の遺著となった。
例えば、米軍に接収された東京宝塚劇場(米軍名;アーニーパイル劇場)の座付きオーケストラでの活動や、空襲で天井に穴が開いていた日劇(現・マリオン)で東宝響が行ったベートーヴェン・チクルス(指揮は近衛秀麿)、マンフレート・グルリット藤原義江等による「帝劇オペラ」の隆盛(「カルメン」「椿姫」を1か月間・二十数回公演し、すべてがほぼ満席、数万人の客を集めた)など、戦後まもなくの音楽シーンの回想も興味深い。
叙述に最も力が入っているのは日本フィル時代(1956~68年)で、構想段階から深く関わり、渡邉暁雄と二人三脚で進めた楽員の採用や客演指揮者の人選、「日本フィル・シリーズ」となった新作の委嘱、小澤征爾の登場等が、いきいきとした筆致で描かれている。
特に1965年7月のストコフスキー招聘については10頁もの紙幅が割かれ、客演交渉の顛末(「皇族が演奏会を聴きに来られること」が条件の一つ)、練習風景、アンコールの「星条旗よ永遠なれ」のためにブラスバンド1隊とピッコロ奏者数十名(少女に限る)を用意させたこと等々、まことに面白い。
 
斉諧生的に最も興味を惹かれるのは、1960年から数次にわたって日本フィルを指揮したイーゴリ・マルケヴィッチのエピソード。
・ホテルの部屋に等身大の鏡を運び込ませ、それに向かって指揮法の練習を欠かさなかった。
・指揮棒さばき以上に雄弁だったのが彼の眼で、ときに厳しくときに優しく変幻自在。ただし小さなミスでも聴き逃さず、必ず眼がそちらを向いて楽員を震え上がらせたという。
「春の祭典」では自分が改訂したパート譜を持ち込み、変拍子や複合拍子は棒の振り方に合わせて小節線を微妙にずらされているなど、演奏上の工夫が凝らされていた。
 
全部で300頁超、巻を擱く能わず一気に読了。ぜひぜひお薦めしたい。
発行元のWebpageに案内があり、メールでオーダーし、書籍に同封されてくる用紙で代金送料の計2,290円を振り込むようになっている。一般の書店では扱っていないらしい。

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2005年01月08日

吉田真『ワーグナー』

吉田真『ワーグナー』(音楽之友社)
音楽之友社の「作曲家◎人と作品シリーズ」の新刊。
全書判(新書判とB6判の間)、約280頁というコンパクトなスペースに、ワーグナーの伝記、没後から現在に至るバイロイト音楽祭の歩み、作品解説、年譜等を収めており、非常に上出来な書籍である。文章も簡素明快、流れがよい。
伝記部分では作家論を大胆に省筆し、ワーグナーと他の19世紀文化人との出会いや交友、訣別について丁寧に書き込んでいるのが大きな特長ではないだろうか。
メンデルスゾーンヴォルフといった音楽家に限らず、ニーチェルノアールといった人々も登場し、特にニーチェは詳しく描出されている。
借金や女出入りについて抑制した書きぶりになっていることにも好感が持てた(沈黙しているわけではない)。そのあたりをしつこく書かれると、読んでいて嫌になってしまうものである。
斉諧生はワーグナーに詳しいわけではないが、例えば、ロンドンを訪問した作曲家が「ここではアルベリヒの野望が実現している」という感想を漏らしたことを紹介し、『指環』四部作の根底に資本主義批判があることを指摘した部分など、ハッとさせられた。
 
なお、最近の同社の出版物としては珍しく人名索引を備えていることも評価したい。

投稿者 seikaisei : 18:04 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月26日

「奇書」到着

宮下誠『迷走する音楽』(法律文化社)
HMVのWebsiteで許光俊氏が本書を紹介しており、興味を惹かれてbk1にオーダーしたのが昨日、速くも届いた。送料250円が必要だったが、その甲斐はあったのかもしれない。
許氏が「思わず絶句の奇書」と評しているが、なるほどなるほど凝りに凝った内容。
「長い曲」へのこだわりからマーラー;交響曲第3番28種聴き比べる(しかも配列は演奏時間の長い順)などということは小手調べ。
ティンパニを追究した章では、ウィーン・フィルの音盤17種、ドレスデン・シュターツカペレの音盤39種に、その響きを確かめる。
作品ではプフィッツナーヒンデミットのオペラ、演奏家ではクレンペラーケーゲルシュトルツェ(性格派テノール)といったあたりを採り上げる等、著者の嗜好はなかなか面白そうである。
全320頁、年末年始にじっくり読ませてもらうつもりだが、とりあえず入手報告まで。

投稿者 seikaisei : 14:54 | コメント (3) | トラックバック

2004年12月13日

ムック『フルトヴェングラー』

宇野功芳(企画編集)
『フルトヴェングラー 没後50周年記念』(学研)
斉諧生は(今のところ)フルトヴェングラーの讃仰者ではないが、宇野師の著作ということで購入、読了。
名だたるフルトヴェングラー・ファン、フルトヴェングラー研究者が名を連ねておられるが、あまり新奇又は有用な情報は含まれていない。
丸山真男宇野功芳『フルトヴェングラーの名盤』に施した書き込みの翻刻というのは、見方によっては貴重だが、う~ん、そこまでしなくても…(苦笑)。
唯一面白かったのは、作曲家佐藤眞と宇野師の対談。
トスカニーニを評価する佐藤氏は、「バイロイトの第九」(1951年)を俎上に、「拙演に近い」「オケが下手」等、辛口の発言を連発、またそれ以上に、楽曲分析に関する指摘も興味深い。

投稿者 seikaisei : 22:39 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月27日

小石忠男『続・世界の指揮者』

小石忠男『続・世界の指揮者』(音楽之友社)
演奏会の帰り道、通りがかった古本屋で購入。
初版1975年の古いものだが、指揮者18人を扱った中に、ハンス・シュミット・イッセルシュテットが含まれているのである。
以前から~クラシックを聴きだした1980年頃から~気になってはいたのだが、買いそびれていたものが格安で入手でき、喜ばしい。
その他、トスカニーニストコフスキーアンセルメフルトヴェングラー、あるいはメータアバドマゼールブーレーズらを掲載している。

投稿者 seikaisei : 22:27 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月30日

『200CD ベルリン・フィル物語』

『200CD ベルリン・フィル物語』(学習研究社)を読了。
これまで立風書房から発行されてきた「200CD」シリーズが学研から出ていたので吃驚。
もっとも企画編集は同じプロダクションなので、体裁等は継続性を維持している。
このオーケストラを振った指揮者としてマルケヴィッチロスバウトといった、斉諧生好みの人が紹介されているが、いずれも1頁だけの小さな扱いなのが残念。
かつてカラヤンのアシスタントとしてベルリン・フィルに接した高関健のインタビューが最大の収穫である。
堂々17頁を占めているが、彼にはもっと喋らせてほしかったところ。元来、豊富な話題をよく整理して語ることができる人である上に、
少しマニアックな話ですけど、フルトヴェングラーの全録音の三分の二は持っています。
とも発言しているくらいなのだから。

投稿者 seikaisei : 23:32 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月26日

平林直哉『クラシック100バカ』

平林直哉『クラシック100バカ』(青弓社)を読了
しばらく前に許光俊氏がHMV.co.jpのWebpageで、内容よりも著者の覚悟を絶讃していた書籍。
あとがきに曰く
(本当の復讐以外の)どのような反応に対しても、私には受ける準備がある。私は業界人からバカ呼ばわりされるのは全く気にしない。怖いのはとにかく、読者から『あいつの書いていることはデタラメだ』とか『いつも内容が退屈だ』と思われることである。
許氏も上記Webpageで、この部分を引用し、
氏には妻があり、三人の子供がいる。(略)そう簡単に言い切れる言葉ではないのである。
と頌えている。
 
とはいえ、読んでみると意外に常識的というか、目新しい指摘はさほどない。
吃驚したのは、一部若手~中堅評論家(又は音楽学者)を実名で批判していることぐらいだった。
(これに対して、大物については「某有名評論家」等と匿名にするのは残念な処置だ。例;225頁)。
まあ、斉諧生も「マイナーであればあるほど喜ぶバカ(180頁)」など、何点か思い当たるフシがあるので(笑)、揚げ足取りや難癖は控えておこう。
 
ここでは、大いに共感した次のような指摘を引用する。
東京文化会館は時代遅れの遺物だと思い込むバカ
全体の音も、ややデッドではあるものの、妙なくせがなく、全体像が捉えやすい。
廉価盤をパラダイスだと勘違いするバカ
ベルリン・クラシックスの音質も、私は好きになれない。輪郭だけが強調され、響きの豊かさが不足し、どれも似たような雰囲気になっている。
あきらめが早すぎるバカ
石の上にも三年というが、三年たって出てこないものはさらに三年探す覚悟でいることだ。
ロシアの演奏家を色メガネでしか見ないバカ
ロシア人がロシアの作品を、フランス人がフランスの作品をそれぞれ演奏するときは、『自国の演奏家の強み』とか『自然ににじみ出る味わい』とか、一見まっとうに思われるような表現に終始し、そうでない場合はいいかげんにけなす。
ザンデルリンクをほうっておいたバカ
(1990年のブラームス;交響曲全集から2002年のラスト・コンサートまでの)最後の十年以上の、おそらく最も実りの多い時期に録音が全くないのである。
曲の長短、編成の大小で優劣が決まると思っているバカ
クラウディオ・シモーネ指揮/イ・ソリスティ・ヴェネティ、ユハ・カンガス指揮/オストロボスニア室内管弦楽団、サウリュス・ソンデツキス指揮/リトアニア室内合奏団、ほかにも指揮者なしのフランツ・リスト室内合奏団やイタリア合奏団など、これらは並の有名ブランド・フル・オーケストラよりも、よっぽど素晴らしい感動を約束してくれる。

投稿者 seikaisei : 22:48 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月20日

『レコード芸術』の北欧特集

『レコード芸術』11月号が発売された。
特集記事の一つが北欧の指揮者と交響曲、もちろんステーンハンマルも採り上げられている。
北欧指揮者界の名教師ヨルマ・パヌラのインタビューは快挙だが、スティグ・ヴェステルベリが紹介されていないのは寂しいところだ。

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2004年10月17日

パレーとモントゥーのディスコグラフィ

ジョン・ハント(編)
『フランス人三人組;ミュンシュ、パレー、モントゥー』
先だってカデンツァさんのカタログを眺めていて、ハントがパレーとモントゥーのディスコグラフィを出したことに気づき、慌ててオーダーしたもの。
昨年に発行されていたものらしい。迂闊だった…(汗)。
パレーについては、データの異同など詳細をチェックしてディスコグラフィに加えたいが、とりあえず、未架蔵の音源は次の2点。
フォーレ;組曲「ペレアスとメリザンド」 フランス国立放送フィル(録音;1971年・パリ)
プロコフィエフ;P協第3番 バイロン・ジャニス(P) フランス国立放送管(録音;1963年・パリ)
いずれも "unpublished video recording" と注してある。どこかDVD化して発売してくれないものだろうか。
なお、ハント氏のディスコグラフィの公式Webpageがあり、オンラインでオーダー可能なようだ。

投稿者 seikaisei : 21:55 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月01日

立花隆の新著

立花隆『思索紀行』(書籍情報社)を読む。
大学生時代の著者が反核映画を担いでヨーロッパを放浪したときから、中東遍歴、あるいはアメリカ訪問まで、
旅行を契機として、いろいろ考えごとをした記録
を集成したもの。約500頁の大冊である。
斉諧生的に注目するのは「神のための音楽」と題された、1982年8月、ギリシャ正教の聖地アトス山を訪問した旅にまつわる一章。
初出は1984年2~3月の『FMファン』(共同通信社、1984年2~3月)だから、もう20年ほども前のことだが、これを読んだことから東方教会の音楽に関心を持ち、あれこれと音盤を買って聴くことになったのである。
雑誌の切り抜きはまだ保存しているが、ちゃんとした単行本で架蔵できるのは嬉しい。
音楽好き、オーディオ・マニアとして知られる立花なので、他の章でも音楽に関する話題が散見されるようだ。読み進めるのが楽しみである。
 
かつて『文學界』に連載された武満徹へのインタビューも、早く単行本にまとめてもらいたいものだ。

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2004年08月27日

ペレーニ監修の楽譜(ドビュッシー)

ドビュッシー(コチシュ編);レントより遅く(EMB)
ドビュッシーのピアノ曲をコチシュがチェロとピアノのために編曲し、ペレーニがチェロ・パートのフィンガリングとボウイングを監修した楽譜。
以前、小組曲を入手しているが、今回、「レントより遅く」がアカデミア・ミュージックから届いたもの。
オーダーしたのは5月はじめだったが、在庫になく海外発注を経たため、ずいぶん時間がかかった。
 

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