<ペレーニと出会う>斉諧生がミクローシュ・ペレーニの名を強く印象づけられたのは、この長谷川陽子さんの言葉である。上掲書の「演奏家が語る『不滅の名盤』」というコラム(1頁)に登場して、彼女が「私の白馬の王子様」と憧れるヨーヨー・マでも師匠のアルト・ノラスでも、はたまた幼時にチェロへの愛を植え付けられたカザルスの録音でもなく、日本ではあまり知られていないペレーニの名を挙げられたのに、少々驚いた。 長谷川さんのペレーニ讃を更に掲げる。(上掲書より) 長谷川さんほどのチェリストをして、ここまで言わしめるペレーニのチェロはどんなものだろうと強い関心を持っていたところに発売されたのが、アンドラーシュ・シフと共演したシューベルト;アルペジオーネ・ソナタ他のアルバムだった(TELDEC)。アルペジオーネはもともと好きな曲なので、買って一聴、衝撃を受けた。なるほど、音楽的にも技術的にも途方もない高みにいる人だ、と。
<ペレーニの音盤を集める>その後は、彼のCD・LPを捜しに捜し、集めに集めた。HUNGAROTONのCDは珍しくはないが入荷が安定しない憾みがあり、なかなか店頭で見つからない。海外のオンライン・ショップでオーダーしたり、LPの通販業者のカタログを蚤取り眼で読んだりしたものである。そうして集めた音盤をペレーニ・ディスコグラフィにまとめたので、どうぞ御覧いただきたい。 HUNGAROTONには、ハンガリーの現代作曲家の作品集の、ごく一部にだけ参加したCDも少なくない。こういうものは検索が難しく、店頭でチェックが欠かせない。有名でないとはいえペレーニを捜している人は少なくないようで、バッハ;無伴奏チェロ組曲のLPは、カタログに見つけて、すぐ電話したのに既に売れてしまっている…ということが3度も続いた。ようやく東京・神保町の輸入LP店で見つけたときの喜びと、演奏を聴いたときの感激は忘れられない。 また、同じくペレーニを敬愛する畏友かとちぇんこさんには、何度もお世話になった。改めて謝意を記したい。 それにしても、これだけの人なのに、録音活動が極めて低調なのは本当に残念。 エルガー・ショスタコーヴィッチの協奏曲や、ラフマニノフ・ショスタコーヴィッチのチェロ・ソナタは録音してほしいし、ドヴォルザークの協奏曲やベートーヴェン・ブラームスのチェロ・ソナタは、もっといい条件で再録音を、そして、バッハ;無伴奏チェロ組曲のCD化か再録音を、是非是非、行ってもらいたい。
<ペレーニの演奏会を聴く>ぜひ一度、彼の生演奏を聴きたいと願っていたが、1998年10月の来日時には、折悪しく本業の出張が重なり、関西で演奏会のあるときは自分が東京に、東京で演奏会があるときは京都に帰っている…という間の悪さ。ようやく2000年2月、NHK交響楽団に来演する際にカザルス・ホールで無伴奏リサイタルが行われる…という情報を知人から得て、チケットを取ってもらった。年度末を控えて本業の日程が詰まっている時期だったが、その日(2月2日)はちょうど、やりくりをつけて午後から東京へ出かけることができた。1日早くても1日遅くても聴きに行けなかったので、まさしく僥倖だった。終演後は夜行バスで京都に帰ることになり、翌日の仕事には厳しいものがあったが…。 やはり知る人は知っているもので、満席の盛況。玄人筋の評価が高いとの噂どおり、当日券(学生券)の売り出しにはチェロ・ケースを抱えた行列ができたとか。また、藤森亮一(N響首席奏者)・向山佳絵子夫妻の姿も見えた。 当夜の曲目は、 バッハ;無伴奏チェロ組曲 第3番最後のコダーイが、文字どおり「天下一品」と唱うべき名演。技術的な完璧性に情熱や気迫が加わり、ただただ心を奪われるばかり。第2楽章の、どこか馬子唄のような、民俗的旋律の味わいに熱いものを感じた。 しかしながら、やはり感動したのはバッハ。 どこがどうとかいう問題ではなく、どんどん、心が満たされてゆく。毎日毎晩、このバッハを聴いていても、他の音楽が何もなくても、それでいい…という思いで、胸いっぱいになってしまった。
<ペレーニのチェロ>ペレーニのチェロ、ペレーニの音楽には、虚飾がない。「虚」どころか「実」として派手なところのあるロマン派の大曲であっても、見得を切って大向こうを唸らせるような、派手な身振りはない。ドヴォルザーク;チェロ協奏曲の第1楽章、独奏チェロの入りを、ペレーニはフォルテ(フォルティッシモではなく!)で美しくじっくりと弾きはじめる。冒頭に引用した長谷川さんの言葉どおり、彼のドヴォルザークには望郷と孤独がある。何と美しく、何と哀しいのだろう…と思わずにはいられない。 1997年にN響定期でこの曲を演奏した録画を見ても、客席よりも楽員が熱烈に拍手し、足踏みして感動を表現しているのが印象的だ。 こうした点で、その薫陶を受けたと言ってもカザルスとは資質が異なる。 ペレーニのチェロは、右手(弓の方)が物凄く上手く、弾きはじめのところで汚い音が出たり、弓の先の方で音が揺れたりということが、全くない。音程は弦のどこへ行っても完璧、和音の美しさも比類がない。 これは専門家から見てもペレーニ最大の特長のようで、上記2000年2月2日のリサイタルのプログラムに寄稿した藤森氏は、彼の人柄を讃えるとともに、 ペレーニさんの魅力の一つは、日頃の鍛錬から生み出された強靱なテクニック、そしてそれがこれ見よがしに前面には現れないところではないだろうか。と述べておられる。 また、斉諧生的には、彼の少々渋めの音色、「塩辛い音」と形容したくなる音色が好ましい。聴きはじめには少し抵抗があるかもしれないが、すぐ慣れて、病みつき(?)になってしまう。 強いて難点をあげれば、最高弦の高音が、やや硬い音になることだろうか。もっとも他のチェリストに比べれば、ずっと上のレベルでのことだが。 20年来、彼が教授を務めるブダペシュトのリスト音楽院ではもはや大御所のごとき地位を占めるそうだが、同地では聖者のように尊崇されているという。 このことはステージでの彼を見ているだけで実感される。挙措動作は訥々として、誠実で仁慈ある人柄を想像させずにはおかない。 弾いているときの表情が、また佳い。本当に暖かな微笑を湛えているのである。
略歴等 1948年、ブダペシュト生まれ。音楽一家に育ち、幼時から才能を認められて7歳でリスト音楽院に入学、エデ・バンダに師事。9歳でソロ・デビュー。 推薦盤
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