(画像の下の "CLICK" ボタンをクリックすると、別窓が開いて大きな画像を表示します。)


5月4日(休): ウィーン旅行第3日。
 
 ゆっくりめにホテルを出て、ベルヴェデーレ宮殿へ。
 下宮のバロック美術館はパスして、上宮の19・20世紀美術館に直行。展示されているココシュカ、エゴン・シーレ、クリムトの代表作を鑑賞。
 ロダンによるマーラーの頭部像もあり、マーラー・ファンの家人と記念撮影をしたかったが、ここは撮影禁止とのことで断念(この像の画像がネット上にあったので、こっそりリンクしておく。→ここを押して)。
 ミュージアム・ショップで、土産物を買い込む。クリムトの紋様を活用したハンカチなど。
 
 質の高い展示品が大量にあり、予定以上に時間が経ってしまったので、ホテルへ戻る。

 

 連れだって楽友協会へ。コンツェルトハウスよりは遠いが、それでも歩いて数分程度。いいホテルを取ってもらったことにあらためて感謝する。

 

(ホーネック氏) (ラトル現る) (第1Vn第2プルト)

 

今日の演奏者は、
サイモン・ラトル(指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
曲目は、
ベートーヴェン;交響曲第2番
ベートーヴェン;交響曲第5番
というもの。ウィーン・フィルは来日公演も聴いたことがなく、初体験となる。
 
日本人の姿が目立つ。きっとフォルカーの部屋あたりでHNを知っている人がいるに違いない(笑)。
 
取ってもらった席は、一番前の列の中央で、目の前に指揮台。
舞台を下から見上げる形で、Cbが4本なのはかろうじてわかったが、あとはよく見えない。もちろん対向配置で、Vcが左手にくるかたち。
指揮者の燕尾服のしっぽを捕まえられそうなくらいの位置だったが、出てきたラトルは中国服のような立て襟の衣装で落胆(笑)。
 
あれこれ舞台上の楽員の写真を撮ったが、フラッシュは遠慮したのでシャッタースピードが遅く、ほとんどブレてしまった。
楽員の個体識別が出来ていないので、管楽器でわかったのはFlのヴォルフガング・シュルツ氏のみ。
Hrnの2人に、顔のわかるラルス・ストランスキー氏は含まれていない。
下手の袖で、2人のコンサートマスター、ライナー・キュッヒル氏とライナー・ホーネック氏が握手をして出てきたと思ったら、キュッヒル氏が内側に着席したので、そういうこともあるのかと驚いた。
訂正;↑でキュッヒル氏としたのは、「フォアシュピーラー」のアントン・シュトラーカ氏である旨、フォルカーさんから御教示いただいたので、関係記事を訂正。(平成15年2月19日)
 
第2番第1楽章冒頭から気合いの入った響き、ラトルがウィーン・フィルを「本気」にさせているのがよくわかる。
席が席なので、ラトルの足踏み等が振動として体感でき、否応なくこちらの気持ちも高揚した。
 
初めて聴くウィーンフィル、弦合奏の和音がオルガン的でいい感じ。
第1Vnは、ほとんど第1プルトの2人しか音が聞こえないような気もするが、キュッヒル、ホーネック両氏をたっぷり聴けるのだから、実に贅沢なもの。
第2Vnが和音をつけるダブル・ストップの音程など、実によい。
Va・Vcの音色は、少しくすんだような音だが、これまた実に渋いもの。これは楽器の問題かもしれない。
もっとも、ウィーン・フィル独特の音色が楽器にのみ原因しているわけではない。やはり、共通の音程感覚のもと、互いの音を良く聴きあい、ひとつのまとまりとして響きをつくっていることから来るのである。
楽友協会大ホールの美しい響きの中にいると、そのことが実感できた。
 
ラトルは、あまり細かい振り方ではない。振るのを止めてオケに任せる瞬間さえあるほど。
エネルギッシュな進め方で、内声・低弦には特に気を遣い、時に励声一番、叱咤する場面も。
Timpもかなり叩かせている様子だが(弦にマスクされるので、本当のバランスはわからない)、重めの音で、古楽器系オーケストラのように変に甲高く目立つことがないのは好ましい。
 
力感あふれるコーダは、斉諧生の好みにぴったりで、内心喝采。
 
第2楽章冒頭の旋律、弦の流れが美しい。
第2主題でのホーネック氏の歌い回し、まことに懐かしく感涙。
こうした古き佳き維納の風味を殺さないところがラトルの懐の深さであり、ウィーンで受け入れられる所以であろうか。
 
第3楽章は、実にスピーディ。
トリオ経過部など実にダイナミック。
 
第4楽章も力感十分、ラトルも唸りながら吼えながら、弦合奏に鞭を入れる。
本当に素晴らしい音楽で、大いに感激した。
 
休憩時、席を立ったときに譜面台を覗くと、やはりベーレンライター版。
楽友協会ホールの小冊子を売っているのを買い求める。日本語版があった。
 
第5番では、キュッヒル氏がコンサートマスター席に着き、ホーネック氏はトップサイドにまわる。
Hrnの1番奏者席に着いたのはストランスキー氏と見た。
Cbが6本に増強。他の弦も増えたのかどうかは視認できず。
 
第1楽章、力強い運命動機、間髪入れず2回目の提示。
第2主題を導くホルンの吹奏、物凄し。こういうあたりはウィンナ・ホルンの独擅場であろう。
196小節以下、管と弦の掛け合いになるところ、弦の音価をたっぷり取り、ずっしりとしたレガート。このあたりもウィーン流を取り入れている。
再現部に入って、有名なObのアドリブでは、ラトルはほとんど棒を振らず、思い入れ深くパウゼをとって、弦の歌へ引き継ぐ。
 
今の時代にベートーヴェンを熱演する意義を、ラトルはどう感じているのだろう…? ベートーヴェンから遠そうな人、熱演から遠そうな人というイメージが強かっただけに、彼の非常な熱演を見、聴きながら、興味を覚えた。
熱演は楽員たちも同様。キュッヒル氏はじめ、弓の毛を切るVn奏者を散見した。
キュッヒル氏といえば、終始、こめかみに青筋を立てていたのが印象に残っている。目の前だったので、よく見えたのだ。
もっとも、この人のVnは、ややきつい音色で、あまり好みというわけではない。
 
第2楽章では、主題提示でVa・Vcの渋い音色の美しさに感心する。ウィーン・フィルの特徴的な美質ではなかろうか。
87小節以降、ppを追求した、ひそやかな歌になり、キュッヒル氏以下、Vnに一気に緊張が走る。
こうした呼吸を目撃できるのも最前列ならではの楽しみであった。
 
第3楽章ではHrnの咆哮が印象深い。
 
第4楽章に突入して、主題提示のあと、ラトルはすぐ第2Vnに向き直って内声の刻みを鼓舞する。
↑でも書いたが、内声・低弦に気を遣っているのが目立ち、この楽章でも、展開部へ入る部分でVnを抑え、Va・Vcを強調していた。
 
テンポは速いが、カロリー十分で、物足りなさはいっさい残らない。
ラトルの励声というか、唸ったり吼えたりというのは、この楽章でますます激しくなった。
オーケストラも第2番以上に燃え上がり、キュッヒル氏は足踏みを始め、Vn連中は必死で刻んでいる。
突き抜けるピッコロ、咆哮するHrn。ウィーン・フィルも完全燃焼しているのではないか、と感じた。
ベートーヴェンを振って同レベルかそれ以上の音楽をできる指揮者は、他にも存在するに違いないが、海千山千のウィーン・フィルを本気にさせられるところが、ラトルの偉いところだろう。
 
総奏の余韻がホールに響くパウゼを愉しみながら、曲を閉じた。
もちろんブラボーの嵐だが、ラトルは慎ましく喝采をオーケストラに譲る態度を崩さない。
楽員が引き揚げても拍手は止まず、ラトルのみ再登壇する、いわゆる「一般参賀」状態となって、終了。
 
次にこのホールに来るのは何時になるのか、いくばくかの感慨を覚える。

午後3時半の開演だったので、ちょうど夕食に良い頃。食事のあと、リンク通り沿いにゲーテ像や王宮庭園のモーツァルト像を見物して、ホテルに帰る。

 

  (モーツァルト像の前で)  
   
   

 


トップページへ戻る

斉諧生に御意見・御感想をお寄せください。