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5月6日(休): ウィーン旅行第5日。夜中に激しい雨音がしていたが、目覚めてみると快晴である。
 

 ケルントナー通りのEMIオーストリアに行ってみる。3階がかなり広いクラシック売り場になっているが、やはりメジャー・レーベルのものばかりである。日本こそCD天国であることを痛感。

オズヴァルト・カバスタ(指揮)ミュンヘン・フィル
ブルックナー;交響曲第7番(PREISER)
ワゴン・セールにカバスタのブルックナーが格安で入っていたので購入。
終戦の翌年に自殺した指揮者が、1942年9月に楽友協会大ホールで録音した演奏である。
同じワゴンに第4番のCDもあったのだが、東芝EMIの覆刻セットで架蔵済みと思って見送った。
ところが帰宅してみると架蔵済みなのは第7番、これはショック(涙)。
 
ジョルジュ・プレートル(指揮)パリ・オペラ座管 ほか
モーツァルト;管楽協全集(FORLANE)
福島章恭『モーツァルトをCDで究める』(毎日新聞社)の推奨盤で、捜していたのだが、国内の音盤屋や通販サイトで見つからなくなっていたもの。
CD3枚組に、
Fg協(ジャン・クロード・モンタ(Fg))
Fl&Hp協(カトリーヌ・カンタン(Fl)、シルヴィ・ペル(Hp))
Fl協第1番(カトリーヌ・カンタン(Fl))
Ob協(イヴ・ブーセル(Ob))
Hrn協第1〜4番 ほか(フランソワ・キャニョン(Hrn))
Cl協(ミシェル・アリニョン(Cl))
を収録している。
福島氏の推奨はOb協で、
牧童の吹く笛のように、夕映えもゆるアルプスの山々に木霊するかのような純朴さが胸に染みてくる。ああ、もっと聴いていたい。なんとカデンツァが短く思えることだろう。フィナーレの微笑みも忘れ難い。
他の演奏も、すべて高水準とのこと、楽しみである。
 
エルンスト・オッテンザマー(指揮&Cl)ウィーン・モーツァルト管 ほか
モーツァルト;Cl協 ほか(WAR)
モーツァルト時代の衣装扮装で演奏する、いわゆる「コスプレ・オケ」のプロモーション用のごときCD。
とはいえ、独奏はウィーン・フィルの首席奏者、演奏は素晴らしいという評を出発前にWebで見かけており、ぜひ入手したいと思っていたもの。
目出度く見つけたので購入。
カプリングは勿論モーツァルトで
協奏交響曲K.364(ベッティーナ・グラディンガー(Vn)エステル・ハフナー(Va)マヌエル・エルナンデス・シルヴァ(指揮))
1998年、ウィーン・ローナッハ劇場(ホテルのすぐ裏にあった)での録音である。
なお、オーケストラの公式Webpageは→ここを押して
 
ベルンハルト・パウムガルトナー(指揮)カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク ほか
「音楽とザルツブルクのための生涯」(Gramola)
好きな指揮者パウムガルトナーの記念盤であり、直ちに購入。
パウムガルトナーのスピーチや、指揮者の埋葬式におけるカラヤンの追悼の辞(1971年7月28日の実況録音)のほか、
標記の演奏者によるモーツァルト;行進曲K.335-1(1957年8月21日録音)や、パウムガルトナーの作曲が収録されている。
後者ではシャーンドル・ヴェーグ(指揮)カメラータ・アカデミカ・ザルツブルクによる声、Ob、弦楽とCemのための協奏曲というものもあり、ヴェーグの記録としても嬉しい。
…と思っていたところ、3日に購入したばかりの、指揮者の回想録附属のCDと同じもので少々落胆。豪華な造りとブックレットだけが儲けもの。

 続いて楽譜出版・販売で高名なドプリンガーを訪ねる。
 特に古書部では膨大なストックに目を見張るものの、一つ一つひっくり返すわけにもゆかず、特段捜している譜面のない身にとっては、宝の山に入って手を空しゅうして帰る心地。
 新本の部でニールセン;Vn協のポケット・スコアを買うのが精々であった。これは前にネット通販でオーダーしたところ、ピアノ伴奏版が送られてきて臍を噛んだもの。
 一方、書籍コーナーでは、家人が "The Mahler Arbum" (The Kaplan Foundation) という、膨大なマーラーの写真集を入手してニコニコしている。
 斉諧生も

Dirk Stöve
"Meine herrliche Kapelle : Otmar Suitner und die Staatskapelle Berlin"(Henchel)
題名どおり、スウィトナーの評伝。
 
J.K.Glauber&W.Mämpel
"Heinz Wallberg"(Econ)
これも題名どおり、ハインツ・ワルベルクの評伝。
多くの写真が掲載されており、少女時代の内田光子とのものも。

を購入。
 
 次の行き先をあれこれ相談し、マーラーの墓参りに決定。
 地下鉄と市電を乗り継いでグリンツィング Grinzing で下車し、知人から拝借した『ウィーンの音楽地図』(ドイツ語版)の地図を見ながらグリンツィング墓地へ向かう。途中、花屋で花束をこしらえてもらうが、英語があまり通じず、要領を得ない。
 
 墓地の入り口を入るが地図などがなく、どこにマーラーの墓があるのか途方に暮れてしまった。掃除人(?)の若者が通りかかったので、"Excuse Me!"と声をかけると、それだけで、"Gustav Mahler?"と聞き返されて吃驚。たぶん、よく尋ねられるのだろう。あるいは日本人ならマーラーという図式なのかもしれない。
 場所を教えてくれるのだが、単語はわかっても場所はわからない。身振り手振り、とうとう彼が走ってきて、その場所に連れてくれる。角を曲がってすぐ次の墓なのだが、こちらは次の筋まで行かねば…と思っていたのだ。
 

(マーラーの墓碑銘) (献花) (墓前にぬかずく)

 
 写真で見るよりも木の葉が茂っていて、墓碑に刻まれた"GUSTAV MAHLER"の文字が読みづらい。マーラーの墓に花が供えてあるが、切り花はほとんど見あたらず、鉢植えを地面に埋め込んである。当地では、こういうやり方が一般的らしい。
 買ってきた切り花は、とりあえず墓前に置いたものの、家人はどうにも気に入らない様子。墓地の入口まで戻り、管理室と一緒にある花の売場で切り花容器と鉢植えの花を買い足してきた。
 花を供え直し、さらに家人は墓前の枯れ葉や吸い殻を拾っている。「掃苔録」というとおりで、やはり掃除をしなければ墓参りとはいえない。身内ながら、心がけに感心する。
 
 上記の本によると、アルマ・マーラーマノン・グロピウスの合葬墓も、この墓地にあるというのでウロウロしていると、やはり家人が見つけてくれた。作曲家の墓のすぐ裏の筋、ものの数メートルしか離れていないところである。
 
 グリンツィングの停留所前まで戻り、ぶらぶら歩いて、ベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書の家」の前を通る(月曜日なので休館)。更に「ベートーヴェンの散歩道」を通り抜け、ハイリゲンシュタットから市電に乗ってホテルに戻った。
 

(アルマ・マーラーの墓) (マノン・グロピウスの墓碑) (ベートーヴェンの散歩道)

 


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