シベリウス;交響曲第1番

 第2番の陰に隠れて一般的な人気が低く、後期交響曲の好きなマニアからも軽んじられる不遇な曲である。実際、チャイコフスキー的な要素もあり(クラリネットで始まるところなど第5交響曲を連想させる)、いつぞや秋山和慶氏は「ワーグナーの影響を強く感じる」と語っておられた(たしか黛敏郎時代の「題名のない音楽会」)。
 
 とはいえ、和声感にはシベリウス以外の何者でもない個性が刻印されているし、フルートのきらめきやティンパニの打ち込み、金管の厳しい自然の息吹等々、後期の名曲につながるものも多い。
 また各楽章とも旋律的な美しさが際立っており、とりわけ終楽章の緩徐主題など、チト映画音楽風に響くところさえある(笑)。
 
 第2番では愛国的心情が鼓舞され高揚して讃歌のうちに終結するが(これがこの曲の人気の所以だろう)、この曲は、旋律の美しさにもかかわらず、むしろ厳しさ・重苦しさを終始感じさせつつ、苦みのあるピツィカートで閉じられる。
 
 斉諧生按ずるに、これはやはり独立前のフィンランドにおける帝政ロシアの圧迫と、それとの闘争を抜きには語れないものではなかろうか。
 ヘルシンキでの初演が大成功を収めたのも、この音楽に民族の運命を重ね合わせて聴いた人が多かったからではないかと想像する。
 
 そういう悲愴感や闘争の趣を強く感じさせるカール・フォン・ガラグリ盤(Berlin Classics)が、斉諧生にとってのベストだが、ベリルンドの表現や如何。
Disky HR703862 ボーンマス響
録音;1974年9月、サウザンプトン HR 703862 (Disky)
第1楽章 第2楽章 第3楽章 第4楽章
12分05秒 9分12秒 5分10秒 12分33秒
第1楽章冒頭のClソロは、やや明るいが立派な出来。ここまでの試聴ではいつも弱さを嘆いてきたボーンマス響の木管だが、この曲では不満を感じない。最初の高揚のあと、弦の刻みに乗って歌うObも上乗。
それが終わってVnが出す主題が金管で盛り上がるところ、Timpがやや弱い。
全体に弦合奏や金管の表情に厳しさを欠き、終結の緊張感も薄い。この楽章を全曲の序奏的なものと捉えているのかもしれない。
 
第2楽章では、中間でのHrnソロやそれに続くClやFlのきらめきが美しいが、やはり厳しさは後退している。
 
第3楽章スケルツォで主部のリズムを叩き出すTimpも地味で(録音の問題かもしれない。マイクから遠く感じられる)、異形さが抑えられているかのようだ。
 
"appassionato"、"risoluto"、"espressivo"などの指定が頻出する第4楽章での表情が、今ひとつそれらしくない。むしろ嘆きや哀切さがクローズアップされ、しみじみと終結する感がある。
 
全体に地味な印象を受ける演奏だ。録音(ないしCD復刻時のマスタリング)がぼやけ気味なのも、それを助長している。
東芝EMI、CE33-5126 ヘルシンキ・フィル
録音;1986年5月、ヘルシンキ CE33-5126 (EMI、国内盤)
第1楽章 第2楽章 第3楽章 第4楽章
10分55秒 8分59秒 4分57秒 11分21秒
ボーンマス響盤に比べ、演奏時間が短く、両端楽章では各1分ほどの差がある。演奏自体も引き締まり、厳しさが感じられるものになっている。
 
第1楽章冒頭のClは音色に渋みがあり、そうそうこうでなくては…と思わされる。Obも風土感のある音色が佳い。
弦合奏のズッシリとした重量感、金管のキリリとした吹きぶりの厳しさが素晴らしい。オーケストラの民族的共感というものだろうか。
 
ベリルンドの表現も雄大さを増し、オーケストラの力感と相まって、感動的だ。
特に楽章終結に向けて、速度を上げるのではなく、金管のバランスを強めることで緊迫感を増し、更に終結でTimpを抑え低弦のクレッシェンドを強調して鬱勃とした緊張感を与える部分は素晴らしい。
 
弱音で提示される第2楽章の主題の懐かしいこと!
中間、テンポを速めて盛り上がるところの緊張感もよく、特にFlは北国の暗い嵐を思わせる。
 
第3楽章のTimpも迫力充分、辛味のきいた木管の音色、きっぱりした弦のフレージング等々、間然とするところない出来映えだ。
 
第4楽章も、ボーンマス響盤よりは、よほど振幅が大きくなった。
いくぶん速めのアレグロ・モルトから追い込んでいってトライアングルの鳴る部分に快速で飛び込む運びには快哉を叫び、緩徐主題再現での堂々たる歌い上げには胸を熱くする。
FINLANDIA、3984-23388-2 ヨーロッパ室内管
録音;1997年10月、
ヒルフェルスム(オランダ)
3984-23388-2
(FINLANDIA)
第1楽章 第2楽章 第3楽章 第4楽章
10分36秒 9分18秒 4分58秒 11分35秒
ベリルンドの解釈自体はヘルシンキ・フィル盤から更に練れてきており、そこかしこで、ちょっとした強弱やバランス、内声部の活かし方にハッとさせられる
 
とりわけ第4楽章終結の手前、緩徐主題が再現して高揚していく頂点で、"Poco tenuto"の指定がある部分。
ここでグッとテンポを踏みしめるガラグリ盤が感動的なので、遅めのイン・テンポを維持するベリルンドを心許なく思ってきた。
この盤では、テンポは動かさぬまま、金管に付されたテヌートやアクセント指定を活かして、音楽をひときわ大きくするのである。これは素晴らしい表現だ。
 
ただ、問題は、ヨーロッパ室内管の音色が明るすぎると感じられること。
これまでの3曲では違和感なく聴いてきたのだが、この曲に至って大きなマイナスと思える。これも初期と後期の違いだろうか。
 
また、Vn計26人、Va10人、Vc8人、Cb6人と編成を拡大しており(これまでは順に18・6・5・4)、そのためか弦合奏にいつもの精度・透明感がないこと、特に強奏時の音に濁りが聴こえることもマイナス。
さあ困った。
 
↑のように表現自体はヨーロッパ室内管盤がより練れており、ベリルンドの到達点としては、より高いところにある。
 
しかし、オーケストラ・サウンドの違和感は大きく、シベリウスの音楽としてはヘルシンキ・フィル盤を採りたい。
 
換言すれば、この曲を初めて聴く人にはヘルシンキ・フィル盤をお薦めしたいし、他の指揮者で聴きこんできた人にはヨーロッパ室内管盤を座右に備えてほしいのである。
 
散々迷ったあげくの結論ではあるが、ヘルシンキ・フィル盤を推す
シベリウスの音色感に関する斉諧生の好みを優先することにした。

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