| 第2番の陰に隠れて一般的な人気が低く、後期交響曲の好きなマニアからも軽んじられる不遇な曲である。実際、チャイコフスキー的な要素もあり(クラリネットで始まるところなど第5交響曲を連想させる)、いつぞや秋山和慶氏は「ワーグナーの影響を強く感じる」と語っておられた(たしか黛敏郎時代の「題名のない音楽会」)。 とはいえ、和声感にはシベリウス以外の何者でもない個性が刻印されているし、フルートのきらめきやティンパニの打ち込み、金管の厳しい自然の息吹等々、後期の名曲につながるものも多い。 また各楽章とも旋律的な美しさが際立っており、とりわけ終楽章の緩徐主題など、チト映画音楽風に響くところさえある(笑)。 第2番では愛国的心情が鼓舞され高揚して讃歌のうちに終結するが(これがこの曲の人気の所以だろう)、この曲は、旋律の美しさにもかかわらず、むしろ厳しさ・重苦しさを終始感じさせつつ、苦みのあるピツィカートで閉じられる。 斉諧生按ずるに、これはやはり独立前のフィンランドにおける帝政ロシアの圧迫と、それとの闘争を抜きには語れないものではなかろうか。 ヘルシンキでの初演が大成功を収めたのも、この音楽に民族の運命を重ね合わせて聴いた人が多かったからではないかと想像する。 そういう悲愴感や闘争の趣を強く感じさせるカール・フォン・ガラグリ盤(Berlin Classics)が、斉諧生にとってのベストだが、ベリルンドの表現や如何。 |
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