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| カール・フォン・ガラグリCarl von Garaguly(1900-1984) | 
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| ガラグリのことカール・フォン・ガラグリの名前は、あまり知られていない。 その上、なかなか憶えてもらえない。「ガラグル?」「グリガレ?」等々(^^;;;。  『指揮者のすべて』(音楽之友社、1996年)は「内外780名を収録」と銘打っているが、それにも収録されていない。 ガラグリ小伝ガラグリは、1900年12月28日、ハンガリーのブダペシュト生まれ。同地でイェネ・フバイにヴァイオリンを学んだ。ヨゼフ・シゲティ(1892〜1973年)、ユージン・オーマンディ(1899〜1985年)と同門である。のち、ベルリンでアンリ・マルトーにも師事し、17歳でベルリン・フィルに入団した。当時の常任指揮者はアルトゥール・ニキシュである。 資料によれば、彼のポストは「assistant deputy leader」とあるが、どれぐらいの地位だったのだろう? ニキシュが没するのが1922年、後任はもちろんヴィルヘルム・フルトヴェングラーだが、それと関係があるのかないのか、ガラグリは、1923年、ヨェーテボリ響の第1コンサートマスターに招かれてスウェーデンに渡った。 また、これと同時に、ヨェーテボリ弦楽四重奏団を率いた。室内楽活動は、1940〜1953年にガラグリ四重奏団を組織する等、盛んに行っている。  1930年、ストックホルム・フィルの副コンサートマスターに転じ、12シーズンにわたって在籍する。首席指揮者はイェオリ・シュネーヴォイクトからヴァーツラフ・ターリヒ、その後をフリッツ・ブッシュが継いだ。 彼は、この間、クレメンス・クラウスに指揮を学び、わずかながら、学校巡回コンサートで指揮台にも立っていた。  定期演奏会デビューは1940年3月6日、1940〜41年のシーズンに13回の演奏会を指揮した。 在任中に、294回の定期演奏会、12回の青少年コンサートと91回の学校巡回コンサートを指揮し、また、オーケストラのロンドン演奏旅行(1952年)に同行して2回のコンサートを指揮している。 その後は、ベルゲン・フィル(1952〜58年)、アーンヘム・フィル(1959〜70年)、南ユトランド響(1965〜80年)のポストを歴任しつつ、各地のオーケストラに客演した。 なお、ベルゲン・フィル在任時には、ベルゲン音楽祭の創設という功績も遺している。  1984年10月8日、ストックホルムで没した。 (追補) このページを御覧いただいた方から、ガラグリの命日・没地等の情報を頂戴したので、本文を改訂した。心から感謝申し上げる。(1999/9/11) 関連リンク集
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