パレーは、1886年5月24日、フランス・ノルマンディの港町ル・トレポールに生まれた。父親は象牙細工職人であったが、アマチュア合唱団を組織してカンタータを指揮するような人だったので、幼い頃から音楽に親しんでいた。
ルーアン大聖堂付属の音楽学校で教育を受けた後、パリ音楽院に転じ、作曲を学んで、1911年のローマ大賞を受賞している。
彼はこの頃、サン・サーンスやドビュッシー、フォーレやデュカら、近代フランス音楽の大作曲家たちと交流があり、デュカからは彼の作品のテンポについて秘訣を直伝されたという。
1920年代の終わり頃のことだが、ラヴェルをモンテ・カルロに招いて自作を指揮してもらったことがある。 演奏会終了後、ラヴェルと話をしたかったパレーが近くのカフェに連れて行っても、作曲家は黙々とアイスクリームを食べるだけ。なんとか口を開かせようと、パレーがカジノの方を指さして暗に誘ったところが、
「行かないよ、パレー。私は生涯に一度だけギャンブルをやって、勝った。それで十分なんだ。」
鼻白むパレー。続けてラヴェルは言った。
「私は一度だけギャンブルをやった……『ボレロ』を作曲することで……」
パレーは第一次大戦に出征して捕虜となり、戦後に指揮活動を始めた。ラムルー管やコロンヌ管の指揮者を務め、フランス近代音楽を好んで演奏した。イベール;「寄港地」は、パレーが初演している。また、メニューインのデビュー演奏会もパレーの指揮であったそうだ。
録音はSP時代から手がけており、野村あらえびす;『名曲決定盤』(中公文庫、下巻215ページ)でもダンディ;「フランス山人の歌による交響曲」(ピアノはマルグリット・ロン)やムソルグスキー;「禿山の一夜」が高く評価されている。
第二次大戦中、パリを占領したドイツ軍当局からユダヤ人楽員の追放を要求してくると、それをはねつけてマルセイユに逃れた。イタリア軍が占領していた同地でも、やはりユダヤ人楽員追放が命じられたとき、パレーは職を辞した。 彼はユダヤの血を引いてはいなかったが、持ち前の正義感が、そうした行動をとらせたようだ。 その後は招きのあったモンテ・カルロに、ユダヤ系の楽員たちを引き連れて異動し、そこを拠点に指揮活動を続けつた。また、レジスタンスの地下活動も支援していたらしい。
公式のバイオでは見かけない事実だが、1930年代の中頃、「マルセイユ・クラシック・コンサート・オーケストラ」を指揮していたと、ジャン・ピエール・ランパルの自叙伝にある。 同じくフルート奏者だった父が病気のとき、代わって一番フルートを吹いたランパル少年は、指揮者の「鷹のようなはげしい目つき」に縮み上がりながら、ベートーヴェン;「英雄」交響曲・「レオノーレ」序曲、フランク;「プシケ」というプログラム(いかにもパレーらしい)を演奏しおおせたとか。
1947年、ウィーン・フィルの戦後最初の演奏旅行(南フランス方面)に帯同したのはパレーだった。(もっとも、シュトラッサーの回想録『栄光のウィーン・フィル』によれば、芸術的成果より生活物資の買出しの成果の方が大きいようなものだったらしい。)
演奏旅行に先立ってウィーン・フィルの定期演奏会に客演し、楽友協会大ホールで次のプログラムを指揮している。
1946年9月22日 (21日に公開プローベ)
ベートーヴェン;序曲「コリオラン」
シューマン;交響曲第4番
ラヴェル;ラ・ヴァルス
ドビュッシー;「夜想曲」より「雲」・「祭」
R・コルサコフ;スペイン奇想曲
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1939年にニューヨーク・フィルを指揮したのがアメリカとのつながりの最初で、1952年、再建されたデトロイト交響楽団の常任指揮者に任命され、この楽団をアメリカのメジャー・オーケストラの一つに育て、1963年まで在任した。この約10年間が、録音活動がもっとも活発だった時期で、マーキュリーの「オリンピア・シリーズ」(モノラル)・「リヴィング・プレゼンス」(ステレオ)という優秀録音で数々の名演奏を残した。惜しむらくは、ホールに恵まれなかったことであろうか。
デトロイト離任後もかくしゃくとして自由な客演活動を続け、フランス国立放送管弦楽団、パリ管弦楽団、モンテ・カルロ歌劇場管弦楽団、イスラエル・フィル等を指揮していたが、1979年10月10日に死去した。この時期の録音は多くなく、録音技術の冴えないものもあるが、90歳を過ぎても若々しい音楽を指揮し続けたのは偉とするべきである。
作曲家としての遺産には、30の歌曲、ピアノ小品、ソナタ、ピアノと管弦楽のための幻想曲、2つのカンタータ、オラトリオ、ミサ、バレエ音楽、3つの交響曲がある。このうち「ジャンヌ・ダルク没後500年記念のミサ」は自演をCDで聴くことができる。LP時代には交響曲の自演盤もあった(冒頭のジャケット写真)。
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