ART-3028より

和波 孝禧

Takayoshi Wanami

(1945-)


<和波孝禧というヴァイオリニスト>

周知のとおり和波孝禧は生来の全盲という障害者である。
そのため福祉団体のチャリティ・コンサート等に招かれることが多く、斉諧生も地元京都ではその種の機会にしか聴いたことがない。
同じく全盲のピアニスト、梯剛之とのデュオ・コンサートという企画まで実施されたことがあるそうだ。
しかしながら、彼は、そういう「付加価値」だけで談じられてよい人ではない。彼自身その著書の中で繰り返し、
眼が見えないのは、確かに私の特徴の一つだが、それが私の全人格を司っているわけではない。
『全盲の』という肩書きなしでも通用する演奏をしているはずなのに、なぜ『一人の音楽家』として理解してくれないのだろう。
と書いているように。
少々長くなるが、氏の著書『ヴァイオリンは見た』から引用する。
寺西春雄先生が、以前ある音楽雑誌に次のようなことを書いておられた。
―和波は高校生の頃パガニーニの協奏曲を弾いていたが、彼の師、江藤俊哉先生から、「パガニーニはイタリアの作曲家だから、イタリアの青い空のような音を出さなくてはいけない」と言われたことを私に語った。眼の見えない彼が空の青さを口にしたのも、先生が彼にそういうヒントを与えたことも、私には驚きであった。しかし、彼は見事にイタリアの青い空のイメージを音で表現したのである。―
あのとき、私には青空のイメージがしっかりできていた。さんさんと降り注ぐ太陽、澄み切った美味しい空気、そんな中に立てば頭の上にはどこまでも真っ青な空が広がっているはずだ。空の青は見えなくても、陽射しや空気なら肌で感じることができる。だから私の青空へのイメージは、さほどとんちんかんなものではなかったと信じている。
演奏の中で「色彩感」を表現しようと思うとき、実際の色を見たことがないのはある程度ハンディかもしれない。だが、できないことを嘆いても仕方がない。私は、色がどんなものであるかをたくさんの人から聞き、その感覚を音で表現する訓練を続けてきた。実際の色を見ている音楽家の中にも、聴いていて色彩感の極めて乏しい単調な演奏をする人は少なくない。それを考えれば、色が見えないこともさほどのハンディではなさそうな気がしてくる。
 
斉諧生の見るところ、和波孝禧は、「眼が見えないのに」でも「眼が見えないから」でもなく、日本の現役ヴァイオリニストでは屈指の存在であり、バッハやブラームスなどのレパートリーに関しては、世界レベルで論じられるべき優れた演奏家なのである。
彼が内外のオーケストラの定期演奏会等に出演してその実力を広く知らしめる機会が少ないのは、まことに惜しまれてならない。
 
これは和波だけの問題ではない。
日本の音楽業界の通弊として、コンクールで優秀な成績を収めたばかりの若い奏者と、楽壇の大御所的な大家という、両極ばかりが持て囃され、中堅の実力派に光が当たらない。
これは推測だが、出演料の安い若手か観客動員が安心して見込める超有名人でなければ採算が立たないと、主催者やマネジメントが考えるからではないか。
一過性の話題や過去の名声に頼るだけでは、音楽が聴衆の心に根づき実を結ぶとは思えない。
「ああ、いい音楽を聴いた」という感動を積み重ねることこそ、否それだけが、オーケストラならオーケストラの経営基盤を強固にしていく筈である。
音楽であれ芸能であれスポーツであれ、良質のコンテンツを提供し続けることなしに業界の隆盛・安定があり得ないことは、幾多の〜あえて申せば死屍累々の〜実例が明らかにしているところであろう。
 
閑話休題、
和波孝禧のヴァイオリンは、聴く人の心を暖かくする。
ちょっと陰翳を帯びた暖かい中低音と細い絹糸のように美しい高音、深いヴィブラートと豊かな歌い回しが、彼の魅力である。
詳細は、下記「名演・名盤」で。
 
ただ、メカニカルな面で世界の超一流奏者に及ばないのは遺憾ながら事実で、コンサートや一部の録音では、速いパッセージで音の粒が潰れてしまうこと、音程の取り方が気になることがある。
和波のCDには演奏会のライヴ録音が少なくない。また、スタジオ録音であっても、楽章を通しての収録を良しとするそうだ。演奏家としては当然の希望であろうが、残念ながら音盤としての完成度を低めている面があることも否定できない。
彼を万能のスーパー・ヴァイオリニストとして、あるいは出ている音盤すべてを名演として崇めることはできないかもしれないが、好調時の演奏会や条件の整った録音に関しては、並み居る世界の巨匠連に伍して立派に存在価値を主張できると確信している。
 
「提琴列伝」に初めてヴァイオリニストを採り上げるに際し、数多の名匠・名奏者を後回しにしたのは、和波孝禧の活躍の場が少しでも拡がってもらいたいという、斉諧生の願いゆえ。
読者諸姉諸兄の御賢察を庶幾うものである。

 


<和波孝禧の名演・名盤>

(1) バッハ;無伴奏ソナタとパルティータ (全曲) (ART UNION、ART-3028・ART-3032)
ART-3028 (第1集)
パルティータ第3番 ホ長調
ソナタ第2番 イ短調
パルティータ第2番 ニ短調
 斉諧生が和波のヴァイオリンに惚れ込んだのは、このバッハのCDに接して以来である。
 この録音では、技巧上の難点が影を潜め、彼の美質だけが前面に出ている。暖かい音色、美しい和音が全曲を一貫して、バッハの慈愛で聴き手の胸をいっぱいにする。
 一点一画をおろそかにせず、端正な造型の中で、ときに踏み込んだ表現も見せるが、古典の矩を超える手前で引く節度が絶妙。難曲、パルティータ第2番のシャコンヌでも、喜び、悲しみや畏れを表現してやまない。また、舞曲のリズムと歌の要素が両立できている点も素晴らしい。
 録音も、ヴァイオリンのCDに関して望みうるベストといっていいもので、金属的なところが全くない。ウジェーヌ・イザイ遺愛の弓を特に貸与されたことも、この美音にあずかって力あったのだろうか。
 日本人によるバッハ;無伴奏全曲録音のベストを争うのみならず、世界の巨匠・有名奏者たちの音盤と比べても、互角あるいは更に優れた面を持つ演奏として、立派に存在価値を主張できるものであろう。
 この曲集のCDのファースト・チョイスとして推薦したい名盤である。
 
ART-3032 (第2集)
ソナタ第1番 ト短調
パルティータ第1番 ロ短調
ソナタ第3番 ハ長調
     
(2) ブルッフ;ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 (ART UNION ART-3005)
ART-3005 アナトール・フィストラーリ(指揮)
ニュー・フィルハーモニア管
 上記のバッハ同様、世界的なレベルに達しているのが、ブルッフ;ヴァイオリン協奏曲第1番。
 第1楽章の序奏から入魂の演奏であり、ゆったりしたテンポに乗って、暖かく豊かな音色で歌い抜いく。終始美しい音色で技巧の乱れもなく、これぞロマンティックと言いたい(少しセンチメンタルではあるが)音楽に、聴く者を酔わせてくれる。この演奏を聴いて「ああ、なんて美しいんだろう」と思わない人はいないのではないか。
 協演に名匠アナトール・フィストゥラーリを得たのも心強い。第1楽章終結での弦合奏の美しさ、第2楽章後半でのテンポのたゆたいの見事さ、ホルンの響きを生かしたコクのある音色が効果的な第3楽章など、まことに充実した管弦楽である。
 併録のチャイコフスキーは、ふっくらしたフィストラーリの伴奏ともども、丁寧に弾かれた暖かく美しい演奏。反面いくぶん春風駘蕩として、この曲の野趣や躍動が十分には表現されていない憾みがあり、数多い名盤の中では分が悪いかもしれない。
 なお、CHANDOSレーベルを興す直前のブライアン・カズンズが担当した録音の見事さも特筆すべきもの。
 
     
(3) ブラームス;ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 (IMP CLASSIC PCD-1062)
PCD-1062 エイドリアン・リーパー(指揮)
ロンドン・フィル
 バッハのCDを聴いて和波のヴァイオリンに惹かれはじめた頃、彼が1995年の「第26回サントリー音楽賞」を受け、その記念コンサートが大阪でも開かれた(1996年3月13日、ザ・シンフォニー・ホール)。
 その時のブラームス;ヴァイオリン協奏曲の素晴らしかったこと! 厳しい曲想では弓を弦にぶつけるようなボウイングのために音が割れ気味になるものの、常には深いヴィヴラートを掛けた美音で、端正でひたむきな緊張感の高い音楽。第1楽章のカデンツァあたりから満堂が引き込まれ、楽章が終わったところで感動の拍手が湧き起こったほど。これで斉諧生は、完全に和波のファンになってしまった。
 CDでも、そのときの感動を思い出させる、真摯な演奏を聴くことができる。
 実演同様、気迫を込めて弦に体当たりするようなアクセントや、思いの丈をうち明けるようなテヌートやレガートを織り交ぜながら、ブラームスの音楽に同化し、共感し、没入した感動的な演奏である。
 また、指揮者のリーパー(廉価盤専門というイメージで損をしている)と、ロンドン・フィルも、手堅く立派な協演を聴かせてくれる。
 もちろん名盤の多い曲のこと、和波盤がベスト・ワンとまでは言わないが、ぜひ耳にしていただきたいと願う。
 カプリングのシューマンは録音の少ない曲だが、シェリング、クレーメル、F.P.ツィンマーマンといった強力な競合盤が存在する。
 これらの中では少し遜色があるかもしれないが、和波自身「重厚なたくましさと、ロマンティックな美しさを兼ね備えた作品の雰囲気は、正にシューマンならではのものであり、深い味わいを湛えた名曲」と述べているような、曲の良さが十分発揮された演奏といえよう。
     
(4) イザイ;無伴奏ヴァイオリン・ソナタ (全集) (SOMM SOMMCD-012)
SOMMCD-012 第1番 ト短調
 (献呈;ヨーゼフ・シゲティ)
第2番 イ短調
 (献呈;ジャック・ティボー)
第3番 ニ短調
 (献呈;ジョルジュ・エネスコ)
第4番 ホ短調
 (献呈;フリッツ・クライスラー)
第5番 ト長調
 (献呈;マチュー・クリックボーム)
第6番 ホ長調
 (献呈;マヌエル・キロガ)
 この曲集の全曲録音を2回果たしたのは、今のところ彼だけだ。
 1回目は、まだ26歳だった1971年、当時唯一のステレオ盤全集としてLP2枚組で発売され、同年の「文化庁芸術祭優秀賞」を受賞した。
 それ以降、特にCD期に入って全曲盤が増え、特に日本人奏者の録音は(少なくとも)8種を数え、和波の新旧両盤を加えて10種あることになる。
 この新盤(1997年録音)は、さすがに曲が手の内に入っている感じで、どの曲も説得力が強い。
 和波は自身のWebpage
これを単なる華やかな技巧曲として演奏するのは危険なことです。作品の奥底には、イザイのヴァイオリンという楽器への並々ならぬ愛情と、後輩のヴァイオリニスト達への熱い思いが流れていると、私は考えています。ヴァイオリンの音の魅力やスピード感に加えて、そうしたイザイの内面性も表現したいというのが、イザイを弾くときの私の姿勢です。
 と書いているが、「愛情」と「熱い思い」という点にかけては、他の諸盤を圧しているだろう。
 メカニカルな面でも十全、熱っぽく弾いているが響きが荒れないのはスタジオ録音のメリット。
 同曲異盤の中で、ベスト・ワンとは言わないまでも、非常に有力な演奏であるといえるだろう。
     
(5) 「ユーモレスク/和波孝禧との輝けるひととき」 (ART UNION ART-3008)
ART-3008 土屋美寧子(P)  5枚目には、特にストラディヴァリの銘器(1736)を貸与されて録音した、小品集第1作を挙げる。収録曲は左記のとおり、知名度優先ではない選曲に、まず感心させられる。
 ゆっくりしたナンバーの出来が良く、とりわけラフマニノフ;ヴォカリーズとドヴォルザーク;ユーモレスクが素晴らしい。前者ではヴィブラートを強く掛けて綿々と歌い抜くが、ただの泣き節ではなく、どこか気品を感じさせるところが得難い美質だし、後者で重音が奏でられる部分の美しさ・懐かしさは筆舌に尽くしがたい。
 また、アウリン;子守歌は愛惜佳曲書に掲げた「4つの水彩画」の第3曲。あまりポピュラーな作品ではないはずだが、和波は少年時代に師・江藤俊哉のコンサートで接して感激したという。
 「以来、ことある毎に、私はこの大好きな曲を演奏し、『涙が出るほど美しい』と喜ばれたものでした。 (略) 先生が与えて下さったこの愛らしい作品との出会いもまた、私の少年時代の大切な思い出なのです。」とライナーノートに記している。
 音楽への愛情がこぼれ落ちそうなほど、気持のこもった演奏だ。
 
収録曲(作曲者のABC順)
アウリン;子守歌
バッハ(ウィルヘルミ編);G線上のアリア
ブラームス(クライスラー編);ハンガリー舞曲第17番
ドビュッシー(キャランバ編);「パスピエ」
ドヴォルザーク(ゼンガー編);ユーモレスク
クライスラー;「愛の喜び」・「愛の悲しみ」・「中国の太鼓」
クロール;バンジョーとヴァイオリン
マスネ;タイスの瞑想曲
ノヴァチェク;無窮動
パラディス;シシリエンヌ
ポルディーニ(クライスラー編);踊る人形
ラフマニノフ(ギンゴールド編);ヴォカリーズ
ラヴェル;ハバネラ形式の小品
シマノフスキ;アレトゥーザの泉
     

 


<和波孝禧・略歴>

和波孝禧は1945年4月1日東京生まれ。生来の全盲である。
4歳からヴァイオリンを始め、辻吉之助(辻久子女史の父君)、鷲見三郎、江藤俊哉に師事し、桐朋学園大学に学ぶ。大学在学中に斎藤秀雄(指揮)日本フィルの定期演奏会でグラズノフの協奏曲を弾いて本格的なデビューを果たした。
この間、1962年の日本音楽コンクールで第1位を受賞。
1965年、ロン・ティボー国際音楽コンクールに入賞して審査員のヨゼフ・シゲティの知遇を得、その指導を受ける。
この年の1位はリリアナ・イサカーゼ、2位久保陽子、3位ウラディミール・スピヴァコフ。
更にダヴィード・オイストラフやシャーンドル・ヴェーグ等の教えを受け、室内楽はセルジョ・ロレンツィに学んだ。
 
1980年以降、夫人のピアニスト土屋美寧子とのデュオを中心に活躍、最近では室内楽やサイトウ・キネン・オーケストラにも参加。また「八ケ岳サマーコース」の開催、「いずみごうフェスティヴァルオーケストラ」の組織等、熱心に後進の指導に当たっている。
1993年モービル音楽賞、1995年サントリー音楽賞を受賞。
 
著書に、『音楽からの贈り物』(新潮社)・『ヴァイオリンは見た』(海竜社)がある。
両著からは、和波の人柄の純真さと献身的な音楽への情熱とともに、夫婦間の葛藤や怠惰な生徒への怒り(+それらへの反省)、思うようにキャリアが開けないことへの悩み等々の正直な告白をも聞くことができる。
例えば1997年サイトウ・キネン・オーケストラでバッハ;マタイ受難曲の演奏に参加したときのこと、
マタイを演奏しながら心が浄化されていくような清々しい感動の中で、私は過去に経験した諍いや別れのいくつかを思った。『自分は絶対悪くない』と、肩をそびやかして生きているだけではいけない。知らないうちに犯してしまったかもしれない罪、知らないうちに傷つけてしまったかもしれない相手の心に思いをはせ、その人と自分のために祈る気持ちを忘れてはならないのだ。キリスト教徒でない私にも、バッハの音楽がそれを諭しているように思えてならなかった。
一人の音楽家の、一人の人間の魂の姿を現した文字として、この2冊、ぜひ御一読いただきたい。

 


<関連リンク集>

和波たかよし
本人の公式Webpage。日記あり。
 
梶本音楽事務所
所属マネジメントのWebpageにあるバイオグラフィー。
 
立花隆ゼミ『調べて書く、発信する』インタビュー集「二十歳のころ」
東京大学教養学部に立花隆が出講していた時期に、そのゼミ生が有名人を訪ねて二十歳の頃についてインタビューし、文章(本)にまとめる企画のWeb版。
和波へのインタビューが行われたのは1996年10月2日。
 
ART UNION
7枚のCDをリリースしているART UNIONのカタログ・ページ(和波に関する独立した記事はない)。
 
EPSON
3枚のCDをリリースしているEPSONのカタログ・ページ。
 
SOMM
イザイ;無伴奏ヴァイオリン・ソナタの新盤のカタログ・ページ。
サンプルのMP3ファイルあり。
 
「日本の作曲・21世紀へのあゆみ」
和波の演奏が1曲(平尾貴四男;ヴァイオリン・ソナタ)が含まれているシリーズのカタログ。
アリアCDがオーダーを受け付けているはず。
 

和波孝禧・ディスコグラフィを見る

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