あらすじと音楽: 以下にCDのトラックに沿って映画のあらすじを御紹介するが、やはり動いてこそのアニメーション、ぜひぜひDVDを購入(ないしレンタル)して、実際の映像と音楽に触れていただきたい。

プロローグ:天地創生の神話が語られる
フルートによる神韻縹渺たる音楽。
タイトル
古代軍楽ふうの勇壮な音楽。銅鐸絵画を模したクレジット画面に似合っている。
CD;トラック8 (前半)
スサノオ(素戔嗚尊)は、子どもながら虎と喧嘩して圧勝する剛力の持ち主。でも、優しくて美しい母・イザナミ(伊弉冉尊)のことは大好き。
伊福部作曲の「母のない子の子守唄」は、音階が特徴的。柔らかい女声とシングルトーンのピアノの響きが美しい。
CD;トラック8 (後半)
その母が「黄泉の国へ行ってしまった」という。「死」というものを理解できないスサノオは跡を追いかけようと、船を作って海に乗り出す。
船出のシーンに、所謂「伊福部マーチ」の典型的な音楽が被さる。この音楽は「倭太鼓とオーケストラのためのロンド・イン・ブーレスク」のテーマに引用された。
CD;トラック9 (前半)
 
海を荒らす怪魚アクルを退治した後、夜のオス国(夜食国、氷の世界)を治める兄のツクヨミ(月読命)に会うが、母の国の在りかは教えてもらえない。
火の国を通りかかって、非道を働く火の神を懲らしめ、彼が詫びのしるしに差し出した天鳥舟を駆って高天原に行く。
怪魚・火の神との闘いの音楽は、手に汗握る伊福部節。
CD;トラック9 (後半)
 
歴史屋としては、火の国=肥の国すなわち今の熊本県で、火の神は活火山・阿蘇山の神格化、と考えたくなるのだが、深読みだろうか(笑)。
高天原では姉のアマテラス(天照大神)に会うが、やはり母の国の在りかは教えてもらえない。
スサノオは高天原で生活することにし、開墾を試みるが失敗ばかり。それを責める神々とスサノオの喧嘩に業を煮やしたアマテラスは、天の岩戸に隠れてしまう。
古事記にあるような乱暴狼藉は、かなりソフトにアレンジされている。
神々は一計を案じ、アメノウズメ(天宇受賣命)に踊らせて歌い騒ぎ、岩戸が開いたところを、タヂカラ(天手力男神)に命じて引き開けさせる。
この部分の映像と音楽については、次のページで詳述する。
CD;トラック10
岩戸を出たアマテラスは、不本意ながらスサノオを追放する。
出雲国へやってきたスサノオは、母に生き写しのクシナダ姫(奇稲田姫)に出会い心惹かれるが、ヤマタノオロチ(八岐大蛇)が彼女を攫いにやってくるという。
スサノオは、ヤマタノオロチとの戦いに備え、空を飛ぶアメノハヤコマ(天早駒)を捉える。
弦楽主体の速い行進曲ふうの楽想は、アメノハヤコマを駆るスサノオのテーマ。
CD;トラック11 (前半)
戦いを控え、スサノオはクシナダ姫に決意を語り、アメノハヤコマに乗せて空を飛ぶ。
イングリッシュホルンが抒情的な旋律を吹き、弦楽に「子守唄」のモチーフが出て、音楽が高揚する。(これがオペラなら絶対「愛の二重唱」になるところだ)
CD;トラック11 (前半)
夜になって、いよいよヤマタノオロチが出現。スサノオはアメノハヤコマを駆って勇戦力闘、8頭のオロチを次々と斃してゆく。
映画では作曲家が処理に困ったほど長い場面だが、CDではごく短い。
CD;トラック11 (後半)
 
この場面を作画した大塚康生氏は、
自分の描いたヤマタノオロチが動き回るのを観て、ものすごい充足感を感じた。これぞアニメの醍醐味だと、大喜びしましたね。その後も、それに似たようなことはあったけど、あの、目もくらむような喜びとはちょっと違うような気がする……。
と回想するほどの迫力と躍動感に満ちた画面に、伊福部の音楽が加わり、とても40年前のものとは思えない、手に汗握る戦闘シーンとなっている。
ここは、ぜひぜひDVDを購入(or レンタル)して、実際の映像と音楽に触れていただきたい。
 
なお、古事記では八岐大蛇が酔いつぶれたところを斬り刻む。映画でも酒は呑ませるのだが、あまり酔ったふうではない。
夜が明けて、オロチの屍骸は川の流れとなり、荒涼としていた大地は花咲き乱れる美しい沃土に変化する。母の姿が天上に現れ、この地を母の国として幸せに暮らすよう告げ、大団円。
「子守唄」が再現。
CD;トラック12

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