作曲者 曲名 推薦盤 簡単なコメント
アリアーガ 交響曲 ジョルディ・サヴァール
(Astree)
19歳で夭折した「スペインのモーツァルト」の忘れがたい佳品。ニ短調で疾走する哀しみ。
ベートーヴェン 交響曲第1番 フリッツ・ライナー
(BMG)
ワルターをはじめ優美に演奏する盤は多いが、朝比奈隆が「獅子の爪」と評した、小型のエロイカのような剛毅さを十二分に引き出しているライナーの演奏がすばらしい。
ベートーヴェン 交響曲第2番 ルネ・レイボヴィッツ
(Chesky)
「ハイドンの弟子ベートーヴェンが真のベートーヴェンに脱皮する踏切台」(柴田南雄)と評される、終楽章の破格の曲想は、こういう演奏でないと生きない。歯切れの良いリズム、金管を抑えすぎない、少々荒っぽいくらいの勢いがないと。
ベートーヴェン 交響曲第8番 フランス・ブリュッヘン
(Philips)
1楽章の分厚いオーケストレーションを立体的に演奏するのは易しいが、3・4楽章をそれに釣り合わせるのは難しく、たいていの指揮者が失敗する。上手くやっているのはセルとブリュッヘンくらいだ。
ベールヴァルド 交響曲第3番「サンギュリエール」 エサ・ペッカ・サロネン
(MUSICA SVECIAE)
弦・管とも音色には詩情が溢れ、北欧の抒情があちこちに花咲く。アダージョでの清澄な弦合奏や妖精的なスケルツォも美しさの極み。キリリとした若武者振りが輝くサロネンの力で、曲の魅力が数倍に。
ビゼー 交響曲 シャルル・デュトワ
(DECCA)
2楽章のコール・アングレの旋律は、忘れ難い美しさ。昔、ツルゲーネフの「はつ恋」を下敷にした映画(主演は仁科明子と井上純一)でライト・モティーフのように使われていた記憶があるが、詳しい方、御教示ください。
ブリテン シンプル・シンフォニー ベンジャミン・ブリテン
(DECCA)
2楽章のピツィカートの楽しいこと! 
ブルックナー 交響曲第3番 ギュンター・ヴァント
(BMG)
1楽章では宇宙が鳴動する! 番号は若いが、晩年に大幅加筆されており、充実した響きは後期の傑作に匹敵する。
ショーソン 交響曲 ジャン・フルネ
(DENON)
2楽章の官能美は、フランス近代楽の精華のひとつであろう。フルネの演奏では、両端楽章も含めて、更に静謐さや憧れの感情も重ねられる。痛快なパレー盤(Mercury)も良い。
ドヴォルザーク 交響曲第7番 ピエール・モントゥー
(DECCA)
構成美の8番、旋律美の9番と並んで、民族色の魅力で7番も捨てがたいものがある。
ハイドン 交響曲第31番 チャールズ・マッケラス
(Telarc)
「ホルン信号」の異名のとおり、4本のホルンが冒頭と終結で痛快なファンファーレを奏する。セント・ルークス管がもっとも輝いていたときの好演。
ハイドン 交響曲第88番 ヘルマン・アーベントロート
(徳間)
番号が若いからと言って軽視しないこと。ひょっとしたらハイドンの交響曲の頂点ではないか。アーベントロートの剛毅な名演で聴くと、そう思う。
ハイドン 交響曲第92番「オックスフォード」 ハンス・ロスバウト
(DGG)
堅固な造形と愉悦の両立、雑にならないスピード感と弾みのある音楽。フィナーレなど、正真正銘のプレストなのにアンサンブルは水も漏らさず、それでいて、なんと美しい・なんと愉しい音楽なのだろうと思わせる。フルート(たぶんニコレ)を筆頭にオーケストラも素晴らしく美しい。
ハイドン 交響曲第95番 フリッツ・ライナー
(BMG)
ベートーヴェンの世界を予告する凄絶な1楽章。カザルスの剛演(SC)を推薦したいが、未CD化のため、ライナー最期の録音を。
ハイドン 交響曲第102番 サイモン・ラトル
(EMI)
ニックネームがないので損をしている名曲。101番「時計」のような趣向はないが、音楽的な完成度では後期ロンドン・セット随一。
ハイドン 交響曲第103番「太鼓連打」 ニコラウス・アーノンクール
(Teldec)
「ドラム・ロール」を「ティンパニのカデンツァ」に読み替えてしまったアーノンクール。
ヒンデミット 交響曲「画家マティス」 ヘルベルト・ブロムシュテット
(DECCA)
ヒンデミットの創作力の最盛期に書かれた、ドイツ音楽の伝統の掉尾を飾る名交響曲だと思う。
メンデルスゾーン 交響曲第5番 ワルター・ウェラー
(Chandos)
ウェラーの室内楽を聴くと「指揮者にならなければよかったのに」と思うが、名盤に恵まれないこの佳曲のベストCDを作ってくれた。
モーツァルト 交響曲第29番 グィド・カンテルリ
(EMI)
モーツァルトの交響曲の中でもっとも優美な曲の、もっとも優美な演奏。カンテルリは若くして事故死したが、この1枚は不滅の金字塔だ。
モーツァルト 交響曲第34番 ジョージ・セル
(Phlips)
セルとコンセルトヘボウの一期一会的名演。両端楽章の輝くような推進力と2楽章の室内楽そのもののアンサンブル。
ニルセン 交響曲第5番 ダグ・イェンセン
(DUTTON)
「人間の闘争を表している」とも言われるが、晦渋さよりも打楽器中心の運動性に着目して聴いてほしい曲。
プロコフィエフ 交響曲第3番 ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー
(MELODYA)
プロコフィエフがもっとも前衛的であった時期の記念碑的交響曲。悪魔的曲想と暴力的オーケストレーションが、打ちのめされた心に快いときもある。だから、もっともバーバリスティックなロジヴェンの指揮で(でも初演の指揮はモントゥーだったんだよね。)。
シューマン 交響曲第2番 ジュゼッペ・シノーポリ
(DGG)
シューマンの4曲の交響曲のうち、もっとも演奏機会が少ないが、シューマンを好きな人にはもっとも愛されている2番。バーンスタインが愛奏したことでも知られる。
ショスタコーヴィッチ 交響曲第15番 ベルナルド・ハイティンク
(DECCA)
ワーグナーやロッシーニの謎めいた引用で憶測を呼ぶ曲だが、哀しみの深い色合いが感動的なアダージョ楽章が素晴らしい。トロンボーン・ソロが印象的。
ショスタコーヴィッチ 室内交響曲op.110a ルドルフ・バルシャイ
(DGG)
ショスタコーヴィッチが遺書代わりに書いたという弦楽四重奏曲第8番をバルシャイが弦楽合奏に編曲したもの。編成の拡大によって、沈痛さが、一層、ひしひしと伝わってくる。ショスタコーヴィッチが嫌いな人も、この曲は聴いてください。きっと、見直していただけると思います。
シベリウス 交響曲第3番
オッリ・ムストネン
(Ondine)
シベリウスはかなり録音したカラヤンが(2番・5番は数回づつ)、唯一、録音しなかったのがこの曲。1楽章の北欧の厳しい自然の音化、2楽章の懐かしい旋律美、3楽章の力感。カラヤンの手には余ったのかもしれない。
ムストネン盤は弦合奏が実に美しく、木管・金管の響きも清澄かつ雰囲気十分。これほど透明感があり晴朗な演奏は、かつてなかった。
シベリウス 交響曲第4番 パーヴォ・ベリルンド(ヘルシンキ・フィル)
(EMI)

聴き比べ記事はこちら
シベリウスの後期の交響曲では5番が有名だが、俗受けしやすい要素があり、内面の抒情を結晶化している点ではこの曲が一番と思う。まずは標記の演奏で接していただきたいが、人間心理の深淵まで掘り下げたケーゲル盤(Berlin Classics)も聴き逃さないよう、お願いしたい。
シベリウス 交響曲第6番 パーヴォ・ベリルンド(ヘルシンキ・フィル)
(EMI)
この曲に傾倒して作曲家を志したという吉松隆は、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」との不思議な類似を指摘する。1楽章のリズムは列車の律動、2楽章は渡り鳥の歌。(詳細はこちらをお読みください。)
しっかりした響きに安心感があるヘルシンキ・フィル盤を推すが、ヨーロッパ室内管盤(FINLANDIA)の透明感、清冽さも捨てがたい。
ステーンハンマル 交響曲第2番 スティグ・ヴェステルベリ
(Caprice)
ステーンハンマル(1871〜1927)は、作風といい、生国での地位といい、スウェーデンのシベリウスとも呼ぶべき作曲家。
シマノフスキ 交響曲第4番 イェルジー・セムコフ
(EMI)
「ポーランドのバルトーク」とも評価すべきこの作曲家の、創作力の頂点で書かれた名作。ルービンシュタインに献呈され、ピアノ・ソロが大活躍する。1楽章の力感あふれるカデンツァや3楽章の民族舞曲を昇華した高揚感が印象的。
矢代秋雄 交響曲 渡邊暁雄
(VICTOR)
「ゲンダイオンガク、ガマン、ガマン」とは縁遠い、フランス近代音楽の流れをくむウェルメイドな交響曲。初演者渡邊と日フィルのデジタル再録音で。