音盤狂日録


1月31日(土): 昨日、CLASSICAさんがリンク集を更新、オーケストラで新たに取り上げられた4団体のうち3つは当リンク集「電網四方八通路」にも掲載している。
 そこで、こちらも更新を行い、既にCLASSICAに採用された7団体を削り、新たに7団体を登録した。

 新着の中で、お薦めしたいのはバルセロナ響
 1992年、ほとんどオペラ・ガラ・コンサートと化したバルセロナ五輪の開会式で演奏していたのがこのオーケストラ。当時はガルシア・ナヴァロがシェフだったが、現任はローレンス・フォスター。
 なかなか充実したサイトで、楽員紹介にもクリッカブル・マップを使ってパート別に名簿を掲載するなど、なかなか凝った作り。英語圏以外のオーケストラには珍しく、コンテンツのすべてを英語で読むことができるのも偉とするに足る。

 ディスコグラフィのページもあり、たった4枚とはいえ、うち1枚が斉諧生には非常に重要。
 なんと、カザルス作曲のオラトリオ「エル・ペセーブレ」の新録音なのだ(この曲については「名匠列伝」中「指揮者としてのカザルス」参照。)。
 没後25年記念のリリースというから、今年になってからの発売(カザルス逝去は1973年)。近いうちに輸入CD屋に並ぶかもしれない。

 
 更新ついでにキャニオン・クラシックスの江崎プロデューサーの個人Webpageも「レコード会社」の項目に追加。また、作曲家・演奏家生没年対比年表に新しいデータを追加。

 通販業者2社とMusicBoulevardからLP・CDが届いた。

エフゲニー・ムラヴィンスキー(指揮)レニングラード・フィル、「ウィーンのムラヴィンスキー」(英EMI、LP)
1978年6月12・13日、ウィーン芸術週間に来演した当コンビによるウィーン・ムジークフェライン・ザールでの実況録音。曲目は
 ウェーバー;「オベロン」序曲
 シューベルト;交響曲第8番「未完成」
 ブラームス;交響曲第2番
 チャイコフスキー;交響曲第5番
 ショスタコーヴィッチ;交響曲第5番
というもので、録音日の詳細なデータは不明だが、おそらくウェーバー・シューベルト・ブラームスで一夜、ショスタコーヴィッチとチャイコフスキーで一夜(ムラヴィンスキー得意のプロ)だったに違いない。
国内盤LPが発売されたのは1981年3月だったが、当時、『レコード芸術』誌上に故・福永陽一郎氏が「チャイコフスキーのようなブラームスで認められない」との趣旨の試聴記を執筆、後日これに宇野功芳氏が反論する原稿が掲載されるという一幕もあった。
初出の時に買いそびれ(貧乏学生にはLP4枚組は高嶺の花だったのです。)、後年わずかにショスタコーヴィッチを中古CDで入手したものの、ずっと気にかかっていたのだが、ようやくイギリス初出盤で購入。
パブロ・カザルス(指揮)マールボロ祝祭管、モーツァルト;セレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」ほか(Columbia、LP)
「名匠列伝」中「カザルス・ディスコグラフィ」でLP番号を「不明」としていた「アイネ・クライネ〜」の初出盤を入手。ジャケットにマールボロ音楽祭20周年記念とあるので、1970年頃の発売(録音は1967年)。
B面はアレクサンダー・シュナイダー指揮のセレナード第12番「ナハトムジーク」。管楽アンサンブルのメンバーには、マイロン・ブルーム(Hrn)、ハロルド・ライト(Cl)ら名手が見える。
オスモ・ヴァンスカ(指揮)ラハティ響、シベリウス;「イェダーマン」・「ベルシャザールの饗宴」ほか(BIS)
正月に交響曲の好演を聴いたヴァンスカのシベリウスを揃えたくなり、ネットで注文したもの。「イェダーマン」は世界初録音、「ベルシャザール〜」は劇音楽版での世界初録音(ヤルヴィ盤等は初演の翌年に編まれた組曲版による。)。
パブロ・カザルス(指揮)ミェチスラフ・ホルショフスキ(P)モーツァルト;P協第27番(Columbia、LP)
1951年ペルピニャン音楽祭の記録レコード。1曲1枚という贅沢(盛りの悪さ)はLP初期によく見られる(SPに較べれば…)。今回入手したのはセカンド・プレス、きわめて安価だった。
ハインツ・レークナー(指揮)ロルフ・ディーター・アレンス(P)ラヴェル;P協・左手のためのP協(ETERNA、LP)
BerlinClassicsのCDが出回り始めた頃、P協だけが発売されて話題になったが、オリジナルと思われるLPを入手。1985年録音だから、まだレークナーも冴えを残していた頃だ。
ミシェル・ポルタル(Cl)ほか、"Any Way"(LABEL BLEU)
これは中古音盤堂奥座敷同人の野々村さん、浮月斎@Pseudo-POSEIDONIOSさんからお薦めをいただいていた盤。

 斉諧生の場合、更新作業にかかると、どうしても軽いものしか聴けなくなります。

ヴォルフガング・シュルツ(Fl)ハンスイェルク・シェレンベルガー(Ob)モーツァルト;オペラを編曲した二重奏曲集(DGG)
作業のBGMのつもりで再生をスタートさせた瞬間、『ドン・ジョヴァンニ』の「お手をどうぞ」(ドン・ジョヴァンニがツェルリーナを誘惑する二重唱)をシェレンベルガーのみごとな美音が吹き始めたので、思わず手を止め、もう一度最初から聴き直した。
どうしてもFlのシュルツが上声部の旋律、シェレンベルガーは伴奏という役回りになってしまうのでOb好みの斉諧生としては、やや欲求不満になるのだが、演奏の方はそれを吹き飛ばす美演。
管楽器ファンには御一聴をお薦めしたい。
ミシェル・ポルタル(Cl)ほか、"Any Way"(LABEL BLEU)
クラリネット吹きの友人はポルタルの名前を知らなかったが、「バスクラでジャズを吹くんだぜ」と言うと、「あの吹きにくい楽器で…!」と感心していた。なるほど、そうなのか。
今回の収録曲はポルタル自作がほとんど。飛び抜けた曲でもなく、マイルスやコルトレーンのセッションのような名人上手ぞろいというわけでもないが、緊密なアンサンブルによる強力な音楽との印象である。

 上記の「電網四方八通路」更新の他、今日届いたカザルスのLPのジャケット画像を「カザルス・ディスコグラフィ」に追加する。


1月29日(木): 毎月29日はコンピュータ雑誌が一斉に発売になる。業界で調整した結果らしいが、少々不審。
 適当にばらついていたら、そのつど買ってしまうが、まとめて出たら、その中で一番面白そうなのだけ買う、ということになると思うのだが。

 DGGが妙な外箱を多用し始めた。捨てるに捨てられず、保存するには場所ふさぎ。困るなぁ。

ピエール・ブーレーズ(指揮)シカゴ響、マーラー;交響曲第9番(DGG)
臆面もなく「21世紀のマーラー」と外箱に謳ったブーレーズの新録音。あまり期待できそうにない予感もするが、悪くても「話の種」にはなろうかと購入。
ただし、ジャケット画が佳いのは評価できる(外箱の写真じゃありませんよ。)。
レオポルト・ウラッハ、フランツ・バルトシェック(Cl)カール・エールベルガー(Fg)モーツァルト;5つのディヴェルティメントK.Anh229(Westmister)
MCAビクターから復刻されたウェストミンスター録音の一つ。クラリネットを吹く友人が激賞していたので、購入。
でも斉諧生が聴きたいのはエールベルガーのFgだったりする。
エリカ・グッドマン(Hp)「ザ・ヴィルトゥオーゾ・ハープ」(BIS)
1985年録音の旧譜だが、「愛惜佳曲書」に取り上げたデュセック;ハープ・ソナタを収録していることに気づいたため慌てて購入。
ニカノール・サバレタに録音があるはずなのだが見たことがなく、CDは「愛惜佳曲書」掲載のフォンタン盤しかないと思っていた。今日ふとARTE NOVAのモーツァルト;Fl&Hp協のフィルアップになっているのを発見、もしやとハープのコーナーをひっくり返していると、このBIS盤とCLAVES盤に入っていた。
いくら何でも3枚とも買うわけにはいかず、曲目の取り合わせが良いのとBISの優秀録音に期待して選択したもの。
ジョス・ファン・フェルトホーフェン(指揮)オランダ・バッハ協会、バッハ;マタイ受難曲(CHANNEL CLASSICS)
「マタイ」は見つけたら買うことにしているので、購入。
指揮者は初耳の人だが、オーケストラのメンバー表を見ると、Vnの山縣さゆりさん等、18世紀オーケストラで見る名前が目につく。1997年3月のユトレヒトでのライヴ録音だが、Philipsの録音チームの仕事らしい。
現在架蔵している「マタイ」のCDは13種、近いうちにブリュッヘン盤、小澤盤も出るはずだから、それらも合わせれば16種。これを称して「マタイ十何曲」という…とは長岡鉄男のベタなギャグ。m(__)m

1月28日(水): 井手洋一郎『美楽 極楽のこころ』(小学館ライブラリー)を読了。
 妙な題だが、要するに美術評論家が絵(主に西洋近代絵画)の解説をしている本である。
 全4章27話からなるが、うち6話が「絵画と音楽の出会い」と題された1章に配されているので、興味を惹かれて購入したもの。ドラクロワ描くショパンの肖像、とか「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」とかが取り上げられている。

斉諧生注、「祷」は新JISが作ったウソ字。正しい書体は「示壽」(横2分の1に圧縮してください。(^^;)である。 このあたりは単行本が発売されたばかりの高島俊男『お言葉ですが… 「それはさておき」の巻』(文藝春秋)最終章に詳しい。

 もっとも、ディスク論議は「ベリー公〜」の章でヴィヴァルディの「四季」11種のジャケット・演奏の批評をしているのが目立つ程度で、あとはチラホラ。
 ちょっと期待外れでした。
 なお、井手氏は宇野功芳『協奏曲の名曲・名盤』(講談社現代新書)で著者対談のゲストに登場していたので、御記憶の方もいらっしゃるかと思う。


1月27日(火): CD屋の楽譜売場でR・シュトラウス;ClとFgの二重小協奏曲(Boosey&Hawkes)のポケット・スコアを購入。これは「愛惜佳曲書」にも掲載した曲、比較的安い値付けだったので。

 京都・河原町に、原則国内盤オンリーだが新世界レコード社扱いの輸入盤だけは置いているという店があり、久し振りに立ち寄ったところ、以前中古音盤堂奥座敷でアムラン独奏のP曲集を扱ったニコライ・ロスラヴェツのCDを購入できた。

マルク・ルボツキー(Vn)ユリヤ・ボチコフスカヤ(P)ロスラヴェツ;Vnソナタ集(OLYMPIA)
マルク・ルボツキー(Vn)ユリヤ・ボチコフスカヤ(P)ロスラヴェツ;VnとPのための24の前奏曲ほか(OLYMPIA)
上記のP曲集の中にはなかなか面白い響きの曲もあり、Vnソナタあたりを聴いてみたかったところだったので、購入。
Vnソナタ集には、第1番(1913年)・第2番(1917年)・第3番(1920年)・第6番(1940年)を収録。
もう1枚の方は「白鳥の歌」となった24の前奏曲(1942年)をメインに、「叙情詩」(1910年代)・3つの舞曲(1923年)・夜想曲(1935年)を収録。
独奏のルボツキーは聞き覚えのある名前。ブリテン自演のVn協(DECCA、ステレオ盤)でソロを弾いていた。今日のCDのライナーによると、彼がコンドラシン&モスクワ・フィルとモスクワ初演したときの録音を聴いて感心したブリテンがイギリス室内管とのレコーディングに招聘したのだという。
なお、これらは旧メロディア盤ではなく、1995年にアムステルダムで録音された、OLYMPIAオリジナル企画。

1月26日(月): 鈴木鎮一氏が亡くなられたとの新聞報道を読む。
 斉諧生も小学生時代、「鈴木メソード」の教本でヴァイオリンを教わったことがある。
 もっとも先生には「君は面白い音を出すけどねぇ… 勉強の方に専念した方がいいでしょう。」と引導を渡されてしまって、今では一音も出すことができない。(^^;

 いくつか嬉しいディスクを購入できた。

シャルル・ミュンシュ(指揮)フランス国立放送管、オネゲル;交響曲第2・5番ほか(DisquesMontaigne)
"DisquesMontaigne"がリリースを始めた頃の目玉が、ミュンシュのライヴ録音だった。「幻想」ほかCD8枚分が出ていたが、このオネゲルも、そのうちの1枚。1962〜64年の録音である。
他にもアンゲルブレシュトやマルケヴィッチ、モントゥー、シューリヒトなど鍾愛の指揮者の録音が目白押しで、初出の頃はミュンシュまで手が回らなかったのだが、最近になって後悔の至り。今日、久し振りに覗いた場末(?)の中古CD屋で見つけたので迷わず購入。
それにしても"DisquesMontaigne"が活動停止状態らしいのが惜しまれる。
内田光子(P)クルト・ザンデルリンク(指揮)ベートーヴェン;P協第1・2番(Philips)
斉諧生の中での内田光子の格付けは、以前より下落気味なのだが、ベートーヴェンの1番には期待したいような気もする。でも、ザンデルリンク*晩年*の録音ゆえ、手許に留めないわけにはいかないだろう。
オレグ・クリサ(Vn)タチャーナ・チェーキナ(P)シマノフスキ;Vn作品集(TRITON)
クリサというヴァイオリニストは未知の人だが、シマノフスキのVn曲集とあっては買わないわけにはいかない。
Vnソナタ、「神話」(有名な「アレトゥーザの泉」を含む。)、夜想曲とタランテラ等を収録。
ヴォルフガング・シュルツ(Fl)ハンスイェルク・シェレンベルガー(Ob)モーツァルト;オペラを編曲した二重奏曲集(DGG)
先日のマルタン以来贔屓にしているシェレンベルガーのCDを何点か中古屋で見つけたが、そのうち「ドン・ジョヴァンニ」・「フィガロ」・「後宮からの逃走」・「魔笛」の有名なナンバーのアレンジを買ってきた。「魔笛」は、アレンジでも何でも聴かずにはおれないのである。
本来は2本のFl又はVn用の編曲らしいが(昔、Fl2本のLPを聴いたことがある)、更にFlとOb用に直して吹いている。
1987年録音だが、国内盤でも出ていたらしい。全く記憶にないのだが。
シプリアン・カツァリス(P)グリーグ;抒情小曲集・「ホルベアの時代から」ほか(TELDEC)
「ホルベア〜」の原曲(ピアノ曲)は、先日ヤブロンスキーの新譜を聴いて幻滅したので、前から気になっていたカツァリス盤をバジェット・プライスで購入。
とはいえ、国内盤1,000円のところを、わざわざ輸入盤1,390円で買ってくるのだから、我ながら物好きだと思う。
斉諧生は、レコード原産地主義を標榜しており、国内製作の録音を除けば、原則として国内盤は買わないことにしているのだ。
フランソワ・ルルー(Ob)テレマン;無伴奏Obのための12の幻想曲(Syrius)
近頃話題のOb奏者、ルルーの新譜を発見。
このテレマンの曲集は、デジタル初期にホリガーが録音して一躍有名になったが、Vn版もあり、グリュミオーが録音していた。
ルルーの美音でテレマンの愉しみを満喫したいものである。
ピエール・ローラン・エマール(P)ほか、メシアン;世の終わりのための四重奏曲(ADDA)
これは、ずっと捜していたCD。中古音盤堂奥座敷同人にして現代音楽の大通、野々村さんの推奨盤である(詳細はKAKASI MUSIC ZAIN中「現代音楽を聴く100組のCD」を御覧ください。)。
ブーレーズの手兵、アンサンブル・アンテルコンテンポランの首席奏者(当時)によるきわめて優れた演奏とのこと。Pのエマールについては、先日の奥座敷でリゲティ;練習曲集(SONY)を試聴して、その力量は確認済み。
永らく店頭から姿を消していて、"ADDA"の活動停止も伝えられたことから、入手を絶望視していたのだが、今日、ふと見た棚に発見したので狂喜して購入。

1月25日(日): 「愛惜佳曲書」には、いくつかMIDIファイルを貼りつけているが、どなたかMIDIシーケンサのいいのを御承知でないだろうか?
 斉諧生現用のソフトは、ヤマハのXG-works。MIDI音源に付属していたのをそのまま使っているのだが、最大の不満はリタルダンドをかけるのに手軽な操作がないこと。いちいち「イベントリスト」に打ち込んではいられない。
 ついでに複数のトラックに同時にリタルダンドとかクレッシェンドとかの操作を加えられる、という機能もほしいところだ。まぁ、ズレた方が機械臭さが無くてよい、のかもしれないが。(^^;

 今日は色物特集(?) 

佐渡裕(指揮)コンセール・ラムルー管、イベール;管弦楽曲集(NAXOS)
「ディヴェルティスマン」は昨夏に佐渡さんの実演に接したところだが(オケは大阪センチュリー響)、やはりこの曲が素晴らしい。オン・マイク気味の録音で、楽器の明るく軽めのソノリティが実に美しく、また、奏者の*ノリ*が手に取るように伝わってくる。「バッカナーレ」も、こういうイケイケの曲だと佐渡さんの棒の勢いが出るみたい。
有名な「寄港地」も丁寧な再現だが、これにはパレーの超名演(Mercury:432 003-2)があるので分が悪い。
小澤征爾(指揮)水戸室内管、ラヴェル;「クープランのトンボー」(Philips)
以前にも書いたが、この曲の邦題を「〜の墓」とするのはおかしい。「〜追悼」とか「〜を偲んで」だと思う。
オーケストラは上手く、特に弦の合奏力は最高といっていい。表現も丁寧なのだが、何かひっかかる。音楽に「弾み」がないのである。
上記パレーの「寄港地」のCDに、この曲も入っているので聴き比べたが、いやはや、役者が違う。弦の弾み、管の音色、これでこそラヴェル。
ヤン・パスカル・トルトゥリエ(指揮)アルスター管、ラヴェル;「道化師の朝の歌」(CHANDOS)
パレーの上記のCDに「道化師〜」も入っているので、前に感心したトルトゥリエ盤と聴き比べ。
これは両者互角。トルトゥリエ盤は、特に打楽器の音色のコントロールが行き届いている。中間部のファゴット・ソロと掛け合いになるところの繊細さ、終結近くでの小太鼓を枠打ちにさせるセンス、いずれも素晴らしい。
パレー盤は管楽器の音色感が美しい。また、結尾に入ってすぐにチェロの短いソロの楽句があるが、ここの小粋な表現は余人の追随を許さない、パレーの独擅場。
エンリケ・バティス(指揮)ロイヤル・フィル、ヴィラ・ロボス;バッキアーナス・ブラジレイラス第1・5番(EMI)
いずれもチェロ8重奏の曲だが、指揮者がいるだけのことはある、表現意欲に溢れた演奏。5番でのバーバラ・ヘンドリクスの独唱も美しい。
マルコ・フォルナチアーリ(Vn)アルベルト・マルティーニ(指揮)ヴィヴァルディ;ドレスデン協奏曲第3集(NAXOS)
録音の癖のせいか、独奏ヴァイオリンの線が細く聴こえるが(特に高音域)、端正な音楽。有名な曲ではないが、お薦めできる演奏である。もっともビオンディあたりの賑やかなヴィヴァルディが好きな向きは失望されるかもしれないが。
ボリス・ベルキン(Vn)広上淳一(指揮)グラズノフ;Vn協&ショスタコーヴィッチ;Vn協第1番(DENON)
グラズノフの協奏曲は、ヴァイオリニストに評判がよくないらしい。小難しいわりに鳴りが悪く、客受けが悪いのだそうだ。このCDでは、ベルキンの粘り気のある音がよく鳴っていて、豊かな歌を聴くことができる。広上の伴奏も良く付けていて、独奏がバラライカを模したというピツィカートを鳴らしているところでのピッコロの煌めきは、特筆したい。
ショスタコーヴィッチも、よく弾いているが、やや抒情に流れるところがある。この曲の壮大な悲劇性を表現しきるには、ベルキンでも、まだ線が細いようだ。
エレーヌ・グリモー(P)デイヴィッド・ジンマン(指揮)ラヴェル;P協(ERATO)
グリモーは前のDENON録音も佳かったが、今回も特徴ある好演。このCD、カプリングがガーシュウィンのP協なのだが、このラヴェルの第1楽章ではジャジーなリズムの崩しを強調しているのが、それなりに面白い。2楽章のモノローグは、逆にイン・テンポを守りながらも音に詩情がこもっている。また、ここのFlはヴィブラートを抑えた音色が清澄で好もしい。
ジンマンとボルティモア響の付けは、ラヴェルの繊細な音彩をことごとく聴き手に届けようとでもいった風で、聴いていて実に面白い。3楽章では、これが裏目に出てスピード感を欠いたのが惜しまれる。
ソフィー・ランドン(Vn)オーダリン・デ・ラ・マルティネス(指揮)エセル・スミス;VnとHrnのための協奏曲ほか(CHANDOS)
買ってから2月ほど放っておいてしまったのだが、『レコード芸術』11月号(295頁)で「このレーベルのベストCDのひとつ」と谷戸基岩氏が絶讃していたので、聴いてみたくなったもの。Vn、指揮、作曲と女性である(Hrnだけ男性)。
第1楽章冒頭で独奏Vnに出る旋律や第2楽章冒頭のHrnの旋律などは魅力的だが、残念ながらあとはどうも、というのが率直な印象であった。
ジェイムズ・オドンネル(指揮)ウェストミンスター大聖堂合唱隊、ピツェッティ;レクイエム(hyperion)
ピツェッティのレクイエムは「愛惜佳曲書」にも掲載しているが、フォーレやデュルフレのレクイエムを愛好される方には、ぜひお聴きいただきたい美しい曲である。
既にproprius、CHANDOSからもCDが出ているが、高音部に少年合唱を使っていることや唱法等の加減か、宗教音楽らしさでは一番で、雰囲気に酔うことのできる演奏である。
ただし、残響過多の録音のせいか少年合唱の技術的限界か、細部が混濁気味なのは否定できない。

1月23日(金): 今日は京都市交響楽団の定期演奏会、指揮者は次期常任に就任予定のウーヴェ・ムント。入洛した日の京都市長との会見が新聞記事になるなど、ちょっと話題になっているので、少し早目に京都コンサートホールの窓口に並んだ。
 案の定、売り出された当日券は、いつもよりずっと少なく、20枚程度。たいていの定期は選り取り見取りで買えるのだが、1階後方の席しか残っていない。とはいえ、来るのがもう少し遅かったら入場すら出来ないところだった。桑原桑原。
 開演前に手洗いに行ったら、どこかで見た人…京都市の薦田副市長(助役のことを京都市ではこう呼ぶらしい)である。桝本市長の代りに顔を見せに来たのだろう。市長は意外にもクラシックが好きらしいが、副市長は如何に? 関心のない人なら苦痛だろうな、特に今日の曲目では。
 そういうと市役所の職員バッジをつけた人が目に付く。入りが悪くては次期常任に申し訳ないと庁内にチケットをばらまいたのかしらん?
 客席はほぼ満員、TVカメラ(京都ローカル局が毎月最終日曜に放映する)の回りを除けば空席はほとんど見当らない。評論家の小石忠男氏、生物学者の岡田節人氏(京響友の会副会長)ら、いつもの顔も見える。
 チューバやクラリネットを始めとして、管楽器連中やコントラバスが次々と着席して音を出し始める。管楽器はあらかた揃ってしまった。これは京響としては珍しい。
 楽員入場であるが、オーケストラごとに違うのがコンサートマスターの入り方。皆に混じって入ってくる人、一番最後に入ってくる人、更には全員が着席してからおもむろに満堂の注目を集めながら入ってくる人。
 京響は「皆に混じって」パターンだが、今日は先頭で、しかも2人とも入ってくるではないか。次席がトップに座り、先任の工藤氏がトップサイドにつく。

 京都市交響楽団第401回定期演奏会(指揮:ウーヴェ・ムント

ブルックナー;交響曲第8番(ハース版)
最初にお断りしておくと、斉諧生はブルックナーならクナッパーツブッシュ、シューリヒト、朝比奈隆…という方向で、この作曲家に関しては好みが偏っているというか、許容範囲が狭い傾向にある。
さて、第1楽章冒頭のVnのトレモロが微かなピアニッシモ、ちょっと豊かさを欠く。主題提示からの盛り上がりにも巨大さが不足。本来ならObとHrnのソロのあたりで神々しさが輝くはずだが、Obなど変に生暖かく、落胆。楽章終結での「死の告知」も金管が弱く凄みがない。
スケルツォでは主題の音型のフレージングがきっぱりしないのが気になる。盛り上がりではティンパニと金管が轟然と響くはずなのだが、あくまで弦中心のバランスが保たれている。
アダージョも、弦合奏はそれなりに美しいのだが、崇高さを感じさせるところまではいかない。Trpの2番奏者が音を崩しだしたし、ワーグナー・チューバは吹き込みが足りないのか音がふらついてしまう。
楽しくて楽しくて仕方ないはずのフィナーレだが、冒頭の弦のリズムが妙に尻軽で気に入らない。金管は相変わらず抑えられている。あるいは4楽章で全開させるべく力をセーブさせているのかと思っていたのだが。(金管のバランスは、座席位置の問題である可能性も否定できない。)何とも胸の弾まないことであった。
というわけで、今宵のブルックナーは、残念ながら、斉諧生の採るところではない。もっとも、ムント自身は、敢えてハース版で、しかも暗譜で振っていたから、ブルックナーにかなりの思い入れがあるのかもしれない。テンポは悪くない(変なアッチェランドもしない)ので、全くブルックナーへの適性を欠く人ではないようだ。そういえば、昔LPで聴いたコンヴィチュニーが、こんな感じだったような気がする。
ブルックナーということを抜きにすれば、ムントの職人的手腕は確かなようである。弦合奏の鳴り具合など、いつもの京響より一段上であったと思われ、管楽器も一部を除いてきっちりできていた。楽員連中も、再び舞台に出てきたムント氏に拍手を贈るなど、通常の客演指揮者には見せない暖かい反応であった。
京響の来年度のプログラムは未発表だが、「田園」とか「グレート」、あるいは「悲愴」あたりだったら楽しめる指揮者かもしれない。

 今日の京響定期を演奏会出没表に追加する。


1月21日(水): 近頃値付けの高いタワー・レコードの販促パンフ"musee"vol.11に、GLOSSAレーベルの幹部のインタビューが掲載されている。
 それによれば、18世紀オーケストラが、ストラヴィンスキー;「ミューズを導くアポロ」・協奏曲「ダンバートン・オークス」を演奏する、とのこと。
 うーん、何をかいわんや。
 もっとも幹部の一人は

「ボッケリーニの交響曲が良いと思います。彼の音楽は非常にスペイン的ですし。ブリュッヘンはOKしていませんが、将来説得できると思います。」

とも語っている。 その方がまだしも、である。

 本業が忙しくしばらくCD屋を覗かなかったが、国内盤の新譜等で盛りだくさんの収穫。

カレル・アンチェル(指揮)ブラームス;交響曲第1・3番ほか(TAHRA)
TAHRAから出ているアンチェルのライヴは素晴らしい。最初に出たシューベルト;交響曲第9番など、音楽がまさに今生まれているような心地さえする名演であった。
今回は第1番がチェコ・フィル(1966年、ストラスブール音楽祭)、第3番がトロント響(1970年)、ハイドン変奏曲がケルン放送響(1970年)、Vn協はアイザック・スターンの独奏とトロント響(1969年)。
なおスタジオ録音では、第1・2番がSupraphonにあったが、架蔵していない。
ボリス・ベルキン(Vn)広上淳一(指揮)グラズノフ;Vn協&ショスタコーヴィッチ;Vn協第1番(DENON)
京響定期で弾いたプロコフィエフ;第1番に感激して以来、贔屓にしているヴァイオリニスト・ベルキンが、DENONに録音を重ねているのは嬉しい。得意のロシア物2曲、とりわけ再録音になるショスタコーヴィッチ(DECCAにアシュケナージと録音していた)に期待高し。
ヤープ・ファン・ズヴェ−デン(Vn)デレク・ハン(P)ブラームス;Vnソナタ第2番&フランク;Vnソナタ(BMG)
コンセルトヘボウのコンサートマスター、ズヴェーデン。雑誌評などによると、きわめてホットな演奏とか。楽しみである。
鈴木秀美(Vc)小島芳子(Fp)ベートーヴェン;Vcソナタ第1・2番ほか(BMG)
鈴木さんのCDは買うことにしているので。
ミハイル・プレトニョフ(P)ベートーヴェン;変奏曲・バガテル集(DGG)
中古音盤堂奥座敷の試聴会の次回盤。プレトニョフのピアノは、指揮者デビューする前にVirginから出たチャイコフスキーの協奏曲や「展覧会の絵」等を買っていた。豪快、濃厚なピアノという記憶である。
ジェイムズ・オドンネル(指揮)ウェストミンスター大聖堂合唱隊、マルタン;ミサ&ピツェッティ;レクイエムほか(hyperion)
ピツェッティのレクイエムは1922年の作、フォーレ→デュルフレの線上に位置する、グレゴリオ聖歌に立脚した美しい曲。既にproprius、CHANDOSからもCDが出ているが、今回は高音部を少年合唱が担当しているところが特徴。

1月20日(火): 本日発売の『レコード芸術』2月号に妄説を発見!
 259〜260頁、「レコ芸相談室」に、次のように書かれている。

質問 パレーが戦前にコロンヌ管と録音したベートーヴェンの《田園》はすこぶるユニークな演奏だったそうですが、戦後の録音はあるのでしょうか。あればそれは入手可能でしょうか。
回答 戦後に録音があるとすれば米マーキュリーの一連のシリーズが最も有力でしょうが、調べた限りでは《田園》はラインアップに入っておらず、他レーベルへの録音も見あたりませんでした。

 おわかりと思うが、当「斉諧生音盤志」のパレー・ディスコグラフィに掲載しているとおり、パレーは米マーキュリーにデトロイト響を指揮して《田園》を録音していたのである!


1月18日(日): 先日来、JavaScriptの勉強を始めていることは11日の項に記したとおりですが、やっと、少し解ってきました。
 常用しているNC4.04では、ちゃんと表示できるようになりましたが、IE3.02では、ウィンドウは開くものの、そこへ画像を読み込めないのです。パスの書き方あたりに違いがあるようですが…。
 サンプルとしてアンゲルブレシュト・ディスコグラフィ(作品篇)を改造しましたので、ネットスケープ系を御使用の方はお試しください。"show"をクリックすると小さいウィンドウが開いて、それぞれのジャケット画像を表示します。

 CompactDiscConnectionからCDが届く。

ミシェル・ポルタル(Cl)ケルビーニQほか、モーツァルト;Cl五重奏曲ほか(EMI)
浮月斎@Pseudo-POSEIDONIOSさんが、「音盤堂偏向試聴室」でポルタルを取り上げられたが、そこで知ったCD。「(HMFの旧盤に比して)澁いながらも表現の幅はかなり豐かになり、素敵な演奏ではある。」とのこと。
ケーゲルシュタット・トリオではジェラール・コセ(Va)とジャン・フィリップ・コラール(P)が共演。
タスミン・リトル(Vn)マルティン・ロスコー(P)ジョージ・ロイド;VnとPのための作品集(Albany)
これも浮月斎@Pseudo-POSEIDONIOSさんから御教示いただいて注文したCD。最近、タスミン嬢のディーリアスと、このロイドについて「音盤堂偏向試聴室」にアップされたので、そちらも是非どうぞ。
カリン・オット(Sop)ジャン・ルマール(P)ほか、リリー・ブーランジェ;歌曲集(SIGNUM)
リリー・ブーランジェは収集している作曲家。なにしろ夭折の寡作家だから出たものを全部集めてもたいした量にはならない。

1月17日(土): 京都の中古盤屋事情は東京や大阪に比べると貧しいものですが、中では有力な店が「つだちく」こと津田蓄音機店(河原町今出川下る東側)。繁華街からは離れていますが、京大や同志社大に近いせいか、ちょっと凝ったコレクションからの処分品と覚しいLP・CDが入荷します。
 斉諧生は本日も休日出勤、帰りがけにいつものCD屋を回ったあと、久し振りに「つだちく」に寄ることにしました。職場や利用駅からちょっと足場が悪いので、ふだんは行かないのです。
 下記のうち、マーラー、サン・サーンス、「三文オペラ」が「つだちく」で購入したものですが、マーラーの1枚目に気になる傷(円周方向)がありました。「どうですかね」と申し出たところ、備えつけの研磨機で綺麗にしてくれました。
 持ち込みなら1枚300円ですが、店頭品の場合は無料。約10分かかるのですが、南隣がコミック系古本屋なので時間潰しは簡単。なんなら北隣にミスター・ドーナツもパチンコ屋もあります。
 大阪方面からは京阪・出町柳駅から徒歩数分。夜10時まで営業しています。

 

ハンス・ロスバウト(指揮)ベルリン・フィル、ハイドン;交響曲第92・104番ほか(DGG)
"Originals"シリーズの新譜から。現代音楽のスペシャリストというイメージのあるロスバウトだが、以前にこのシリーズで出たシベリウスも佳かった。今回はハイドンの2曲に、ヴォルフガング・シュナイダーハンを独奏に迎えたモーツァルト;Vn協第4番をカプリング。
1956〜57年の録音、フルトヴェングラーの薫陶を残す頃のベルリン・フィルの味わいを活かした新古典主義的なハイドンを期待したい。
フリッツ・ライナー(指揮)シカゴ響、ベートーヴェン;交響曲第5・7番ほか(BMG)
「弾丸ライナー」のベートーヴェンが"Living Stereo"シリーズでリマスタリングされたので、あらためて購入。コリオラン・フィデリオ序曲をフィルアップ。
ステレオのベートーヴェンでは、あと第1・6・9番が残っており、これらも早くこのシリーズで再発してほしいもの。
イーゴリ・マルケヴィッチ(指揮)ベルリン・フィル、ベルワルド;交響曲第3・4番ほか(DGG)
"Originals"シリーズの新譜から。1954年録音のベルワルドに、1955年録音のシューベルト;交響曲第4番をカプリング。
この頃のマルケヴィッチはベルリン・フィルをどんどん振っていた。ベルリオーズ;「イタリアのハロルド」やムソルグスキー=ラヴェル;「展覧会の絵」が過去にCD化されたが、モーツァルト;第34・38番もあったし、「幻想」や「悲愴」のモノラル録音も確かベルリン・フィルではなかったか。その後、彼のDGG録音はコンセール・ラムルー管に移行してゆくことになる。
エド・デ・ワールト(指揮)オランダ放送フィル、マーラー;交響曲第3番(BMG)
以前、いきなり全集で出たワールトのマーラー、中古屋で偏愛する3番を見つけたので購入。
ジャン・ジャック・カントロフ(Vn)ジャック・ルヴィエ(P)サンサーンス;Vnソナタ第1・2番(DENON)
新譜発売時には国内盤フルプライスで手を出しそびれていたカントロフのサン・サーンスを中古屋で見つけたので購入。
第1番はハイフェッツにも録音があって多少は知られているのに対し、第2番の演奏機会は更に少ない。ライナーノートに前の持主の筆跡あり、「(第2番は)単純すぎてつまらない」とか。
ロイビン兄弟(Trp)サイモン・プレストン(Org)トランペット名曲集(DGG)
ハンネス、ヴォルフガング、ベルンハルトのロイビン3兄弟のことは茂木大輔(N響首席Ob奏者、ただしヒゲの方)の著書に詳しい。Orgに打楽器(ノルベルト・シュミット)を加え、ヘンデル、バッハを中心にブクステフーデやパーセルらの音楽(編曲物を含む。)を吹奏。使用楽器はピストンの現代楽器。
キューン・フメーア・ジェニー=クラーク・トリオ、「三文オペラ」の音楽ほか(VERVE)
中古屋のクラシック棚で見つけたCDだが、ジャズのピアノ・トリオによる演奏。「三文オペラ」は収集の対象にしているので購入。もっとも出発点はソニー・ロリンズ「サキソフォン・コロッサス」だから、根はジャズなのだが。

1月15日(祝): 松も取れるので、トップページを元に戻しました。
 本日は祝日ながら出勤しました。次の週末も風前の灯、せっかくの飛石連休なのに大きな更新ができません。
 中古音盤堂奥座敷試聴会でのピエール・ローラン・エマール(P)リゲティ;練習曲集ほかの議論が公開されました。こちらを御覧ください。

 帰りがけにCD屋を覗くことができました。

タスミン・リトル(Vn)ヴァーノン・ハンドレー(指揮)ブルッフ;スコットランド幻想曲&ラロ;スペイン交響曲(EMI)
タスミン嬢のCDを購入。これは少し前に出た盤だが、その時には見送ったものだが、先日聴いたディーリアスで好印象を得たので、あらためて。
デュオ・ハヤシ、ドビュッシー;Vcソナタ&ショパン;Vcソナタほか(LIVE NOTES)
デュオ・ハヤシの5枚目になるCDを購入。1・2枚目はFoneレーベルでのピアノ・トリオ等だが、その時の共演者が昨日ヴィヴァルディを買ったフォルナチアーリだった。

1月14日(水): 今週から本業が繁忙期モードに入り、なかなかCD屋にも行けぬ日が続いた。今日は残業せずに、京都・寺町の電気店街でJavaScriptの参考書を買い、CD屋を覗く。

 ぼちぼち輸入盤の入荷が始まっている様子だが、円安が影を落としている。タワー・レコードは概ね100円高い値札に付け替えている。

エド・デ・ワールト(指揮)オランダ放送フィル、ワーグナー;「ニーベルングの指環」抜粋(BMG)
「ラインの黄金」前奏曲から「ブリュンヒルデの自己犠牲」まで、「指環」四部作の聴きどころを、切れ目なしにアレンジしたもの(約67分)。編曲者は同オケの打楽器奏者でもあるとのこと。
指揮は「コンセルトヘボウを継承し損なった男」、エド・デ・ワールト。「実力はあるが、国際的音楽ビジネス業界で干されている」説もあり、どのようなワーグナーを振るか、お手並み拝見。
リリース情報では「トリスタン」と「パルジファル」も同時に出ているはずで、これが良かったらそっちも入手したい。
エンリケ・バティス(指揮)ロイヤル・フィル、ヴィラ・ロボス;バッキアーナス・ブラジレイラスほか(EMI)
1985〜86年録音。以前に浮月斎@Pseudo-POSEIDONIOSさんが推奨されていた演奏を、ふとCD屋の棚に見出したので購入。
有名な第5番の独唱はバーバラ・ヘンドリクス。カップリングは同じ作曲家のギター協(アルフォンソ・モレノ独奏)。
マルコ・フォルナチアーリ(Vn)アルベルト・マルティーニ(指揮)ヴィヴァルディ;ドレスデン協奏曲第3集(NAXOS)
フォルナチアーリは、クラウディオ・シモーネの「イ・ソリスティ・ヴェネティ」のコンサート・マスターを長く務めたイタリアの名手、NAXOSに登場とあって早速購入。
ボー・ホルテン(指揮)ムジカ・フィアタ、オケゲム;レクイエム・「ミサ・プロラティオヌム」ほか(NAXOS)
初期フランドル楽派を代表するオケゲム(c.1430〜1495)の、そのまた代表作を収めたCD。ボー・ホルテンは以前、KONTRAPUNKTに録音したラ・リューのレクイエムが佳かったのを記憶している。同じフランドル楽派なので、今回の出来にも期待して購入。

1月11日(日): 昨日からJavaScriptに取り組んでいます。目標は、各種のディスコグラフィのジャケット画像表示方法の改善。
 現行では、画像ファイルにリンクを張っているだけなので、新しいブラウザがまるごと開いてしまいます。これを、画像の大きさだけのウィンドウが開いて表示するようにしたいのです。
 何を隠そう、斉諧生は言語関係はからきし駄目(ロータス1-2-3のマクロすら書けない)なので、解説本を見ながら試行錯誤中。
 いまのところ、「画像の数だけ関数を定義する」という非能率的なやり方ならば、できるようになりました。
 たぶん「変数」をちゃんと使えば、関数の定義は1つで済むはず、と見当をつけて、あれこれ書き換えているのですが、上手くいきません。
 もう少し勉強しないといけないようです。

こんな感じです。”show”ボタンを押してください。
ハルトマン、カール・アマデウス;交響曲第8番・葬送協奏曲
エゴン・モルビッツァー(Vn)
ライプツィヒ放送響
ヘルベルト・ケーゲル(指揮)
LP: ETERNA
8 26 279

 お勉強などに時間を使って、ディスクはあまり聴けない週末でした。

レナード・バーンスタイン(指揮)ウィーン・フィル、モーツァルト;交響曲第25・29番ほか(DGG)
1987・88年の録音。比較的リラックスした気分の感じられる演奏で、25番でも「鬼気迫る」というような感じはない。ウィーン・フィルやバーンスタインの好きな人には楽しく聴けるCDではなかろうか。併録のペーター・シュミードル独奏のCl協も美しいが、「彼岸」的な境地を期待してはいけない。
レオポルト・ストコフスキー(指揮)ニュー・フィルハーモニア管、チャイコフスキー;交響曲第5番(DECCA)
中古音盤堂奥座敷試聴会に備えてチェリビダッケ以外の『チャイ5』を聴いてみた。
なお、前回のギュンター・ヴァント(指揮)のブラームス;交響曲第1・2・3番の議論が公開されました。こちらを御覧ください。
ヘルベルト・ケーゲル(指揮)アルフレート・リプカ(Va)シュターミツ;Va協ニ長調(独ETERNA、LP)
ケーゲルといっても凄演・怪演ばかりではない。やや暖色系の音色で、アンサンブルの充実した弦合奏の上に、中音域の充実したVaが乗った、聴いていて実に気持ちのいい音楽である。こういう面を併せ持っているのだから、ケーゲルの芸術は奥深い。
クリフォード・カーゾン(P)アマデウス四重奏団員、モーツァルト;P四重奏曲第1・2番(DECCA)
1952年のモノラル録音、歴史的名演と称される演奏。カーゾンのピアニズムが美しく、これは一聴の価値あり。弦楽器も親密なアンサンブルが素晴らしいが、音的には少し豊かさに欠ける。
ギドン・クレーメル(Vn)ユーリ・スミルノフ(P)コレッリ;Vnソナタ&ハイドン;Vnソナタほか(MELODIA、LP)
1970年、クレーメルがチャイコフスキー・コンクールで優勝する直前の録音。コレッリなど、古楽器演奏が一般化する以前、現代ヴァイオリンによるバロック演奏のお手本のような、端正な美演。とりわけ第4楽章アダージョの旋律の抒情は素晴らしい。この楽章ではクレーメルの奏法も、後年のものを想起させる。
なお、S・クイケン盤(白Accent、LP)を聴いてみたが、旋律線への装飾が多く、これはこれで佳いとはいえ、先程の抒情味は変質している。
リリアナ・イサカーゼ(Vn)タチアナ・サルキソーヴァ(P)シベリウス;ノクチュルヌほか(露メロディア、LP)
標記の「ノクチュルヌ(作品50-3)」はシベリウスのVn曲集と銘打ったディスクでは見かけない曲なのでBISのサイトで調べてみたら、劇音楽「ベルシャザールの饗宴」の1曲。
原曲ではFlのソロによる、シベリウスらしい不思議な和声が美しいが、Vn曲としても面白く聴ける。
「ロンディーノ(作品81-2)」・「ノヴェレット(作品102)」も、北欧系の奏者とは違った味わいがある。とりわけ前者は快速テンポで吹き抜ける風のような好演。
ミシェル・ポルタル(Cl)ほか、"Turbulence"(HMF)
ポルタルのCl・Saxに切れ味鋭いボンゴやパーカッションが絡む名演奏揃いの1枚。ポルタルという人はジャズの方がレベルの高い演奏をするのではなかろうか。期待していたバス・クラリネットの響きは、むしろ中高音域を多用していたのでイマイチだったが、それ以上に素晴らしい”ジャズ”だった。
ただし、ギターが出てくると途端に音楽が甘くなるように感じるのだが、これは楽器への嗜好の問題かもしれない。

1月7日(水): 『文學界』2月号(文藝春秋)を読む。立花隆「武満徹・音楽創造への旅」第63回、まだまだ終わる気配もなし。
 *晩年の*武満が、モーツァルトについてこう述懐したそうだ。

この前『シンフォニア・コンチェルタンテ』を生れてはじめて聞いて、びっくりしました。あのバイオリンとビオラとオーケストラのコンチェルトですね。わりとよく知られている曲らしいけど、ぼくははじめて聞いたんです。
すばらしいですね。典型的なあの時代の様式の曲だけど、時代の古さなんて全く感じさせない。新鮮でした。ちょっとショックを受けました。
長い間音楽をやってきて、自分ではオーケストラのことがかなりわかったつもりになっていて、『オレのオーケストレーションもなかなかうまくなったな』なんて思いはじめていたんだけど、とんでもない。あれを聞いたら、自分はまだまだ、オーケストレーションがなにもわかっていなかったんじゃないかと思って、二、三日ショックでした。

 そろそろ新入荷があるかと思ってCD屋を回ってみたが、旧譜を1セット見つけたに留まった。

シャルル・ミュンシュ(指揮)ボストン響、ブラームス;交響曲第1・2・4番ほか(BMG)
ミュンシュのブラームスというとパリ管との1番が有名だが、斉諧生は同時期の「幻想」ともども、あまり好きではない。オーケストラのアンサンブルが粗っぽいからである。これはボストン響との録音で、浮月斎@Pseudo-POSEIDONIOSさんや鈴木@Syuzo's Homepageさんが強力に推薦される盤。「エラン・ヴイタール(生の躍動)を實感できる、まさに一期一會的名演」(浮月斎さん)、「音符が迷子にならず、かくあるべしという位置に全て納まっている」(鈴木さん)とのこと。大いに期待したい。

1月6日(火): こう矢鱈にCDを買っていて、しかも部屋中に積み上げたり袋に突っ込んだり棚に前後二重に並べたりしていると、架蔵・未架蔵の区別が曖昧になってくる。データベース化してモバイルPCに入れて店頭でチェックして、というのが理想だが、モバイル機購入費用+初期入力の手間を考えると、10枚や20枚ダブって買ったほうがまし、ということにもなろう。
 今のところ「『ひょっとしたら持っているかもしれない』と思ったCDは買わない」という原則を立てているが、輸入盤を買っていると、「今買わないと次がないかも」という恐怖に苛まれる。

 Music BoulevardからCDが届いた。

ジェラール・コセ(Va)ミシェル・ポルタル(Cl)メロスQ、ブラームス;弦楽五重奏曲第2番・Cl五重奏曲(HMF)
これは中古音盤堂奥座敷「奥座敷同人 1997年の5盤」で工藤@Yosuke Kudo Home Pageさんが第4席に推された盤。「”熱さ”が突出した演奏」とのこと、わくわく。
ラルフ・ホームズ(Vl)リチャード・バーネット(Fp)ベートーヴェン;Vnソナタ第5・7番(AMON RA)
ラルフ・ホームズ(Vl)リチャード・バーネット(Fp)ベートーヴェン;Vnソナタ第8・9番(AMON RA)
先日、ディーリアスのソナタを聴いて良さを再認識したホームズが遺した録音を2点。5・7番は買っていたような気がしたので家捜ししたが見つからないのでオーダーしたもの。でもジャケットに見覚えがあるんだよなァ…。
ミシェル・ポルタル(Cl)ほか、"Turbulence"(HMF)
これは中古音盤堂奥座敷「奥座敷同人 1997年の5盤」で浮月斎@Pseudo-POSEIDONIOSさんが第4席に推された盤。「彼の演奏から繰り広げられるイメージ喚起は広大多彩」とのこと、わくわく。ジャズ系のディスクで1986年の録音だが、既にリシャール・ガリアーノが共演者に連なっている。

1月4日(日): 初詣、年始挨拶のついでに中古CD屋を覗き、1枚購入。

 帰宅すると通販業者からLPが届いていた。年末に注文したもので、昨日発送してもらった様子。

レナード・バーンスタイン(指揮)ウィーン・フィル、モーツァルト;交響曲第25・29番、Cl協(DGG)
Cl協のソロはペーター・シュミードル。このバーンスタイン&ウィーン・フィルのモーツァルトは以前に2枚買っていて、揃えてしまいたいと思っていたところ、中古格安で見つけたので購入。
ヘルベルト・ケーゲル(指揮)アルフレート・リプカ(Va)シュターミツ;Va協ニ長調&ヒンデミット;シュヴァーネンドレーアー(独ETERNA、LP)
ヒンデミットはCDで出ているが、シュターミツは架蔵していないので購入。
ヘルベルト・ケーゲル(指揮)エゴン・モルビッツァー(Vn)ハルトマン;交響曲第8番、Vnと弦楽オーケストラのための葬送協奏曲(独ETERNA、LP)
交響曲はCDで出ているが、葬送協奏曲は架蔵していないので購入。鬼気迫る棒を期待したいところ。
リリアナ・イサカーゼ(Vn)タチアナ・サルキソーヴァ(P)フランク;Vnソナタほか(露メロディア、LP)
イサカーゼはシュニトケのVnソナタを録音するなどしていて古畑銀之助氏が早くから紹介しておられ、最近、Orfeoから弾き振りのCDが出たこともあった。なかなか表現力の鋭いヴァイオリニストで要注目。フランクのフィル・アップにシベリウスの小品3曲とサラサーテのハバネラを収録(妙な取り合わせだが)。

1月3日(土): 落ち着いてディスクが聴けるのも今日まで、ひたすらスピーカーと対峙する。

 満足できるブルックナー録音を2枚聴くことができた。

サイモン・ラトル(指揮)バーミンガム市響、ブルックナー;交響曲第7番(ノヴァーク版)(EMI)
ラトルがブルックナーを振る?! ひょっとすると、世のブルックナー教信徒の偶像を破壊せんとして、バラバラに解体してしまうんじゃなかろうか、来月の『レコード芸術』で宇野さんが激怒のあまり失神するんじゃなかろうか、などと余計な心配をしたが、なんのなんの。
 
まず驚いたのは、オーケストラの配置。第1Vn−Vc−Va−第2Vnの順に並んでいる。最初は聞き違いかと思ったが、そうではない。まぁ、ラトルはエイジ・オヴ・エンライトメント管の首席客演指揮者もしているくらいだから、この配置に不慣れなわけではないが。ムラヴィンスキー、クーベリック亡きあと、このスタイルは古楽器オーケストラにしか残らないのではと懸念していたが、彼のような新しい世代が試みるようになったわけで、「古いものほど新しい」時代になったのだと思う。
 
演奏の方は、ややゆったりしたテンポ、少々重めのリズムで進んでゆく。第1楽章終結部(413小節〜)でノヴァーク版には加速指示があるはずだが、ハース版の”sehr ruhig(非常に落ち着いて)”を参照したのか、ゆったりしたテンポを維持している。また第4楽章大詰め(313小節〜)でも”langsam(ゆっくりと)”の指定を活かしたテンポが決まっている。楽章終結部などでのアッチェランドも非常に控え目。
とりわけ第2楽章のクライマックスは圧倒的、見事なオルガン・サウンドである。この響きには感動するほかない。ノヴァーク版ゆえ、ティンパニとシンバルが鳴るが、かなり抑えている。
第4楽章のクライマックス(199〜212小節)も立派。そして、これを受ける全休止の呼吸の深さも、また見事。
いかにもラトルらしいのは、すべてのパートを聴かそうという意識が見えること。このあたりは新世代らしい。
 
弦合奏の深い音色には感歎。第2楽章冒頭(4小節〜)のG線の響きや第2主題提示(37〜53小節)の美しさ、とてもイギリスのオーケストラとは思えないくらいだ。
ワグナー・チューバ陣は相当上手い。第2楽章の第2主題提示の直前(33〜36小節)など、日本のオーケストラだとたいてい音を外すのだが、かなり緊張しながらも無事に通過している。やはり「ブラス!」の国だからか。
難点を挙げれば、トランペットが、いかにもピストン式の音で、強奏時に和音を濁しがちなのが残念。ドイツ式を使ってほしかったなぁ。また、フルートの清らな響きもブルックナーの大事な要素だが、奏者の癖か、ヴィブラートが深く、腰が砕けてしまう。
 
これまでマーラーをけっこう録音してきたラトル、金言「ブルックナーとマーラー両方を振れる指揮者はいない」に照らすと聴く前には少々不安だったが、良い方へ外れてくれた。
今後、ウィーン・フィル等でもブルックナーを振る機会が増えれば、将来はもっともっと素晴らしいブルックナーを聴かせてくれるのではないか、そんな期待を抱かせてくれるディスクだった。
 
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(指揮)ミネソタ管、ブルックナー;交響曲第9番(REFERENCE RECORDINGS)
最近国内盤も出回っているARTE NOVAではザールブリュッケン放送響を指揮して5・7・8番を録音していたミスター・S、第9番はREFERENCE RECORDINGSに古巣ミネソタ管とのコンビで登場。(あと英IMPにハレ管で4番を、LP末期にMUZAでワルシャワ・フィルと3番を録音している。)
 
優秀録音で鳴るREFERENCE RECORDINGS、このディスクでも素晴らしい。実にナチュラルな音色、奥行きの深い音場感、広大なレンジ。オーディオ・ファイルには是非々々のお薦め盤。広くて天井の高いリスニングルーム、大型高能率のスピーカーと解像力の高いアンプならば、フル・オーケストラが現前するのではなかろうか。
 
9番の玄妙不可思議な音楽世界は、まだまだ斉諧生如きの理解できるところではないが、この演奏には魅了−呪縛といった方がいいかも−された。
作品論になってしまうが、この曲の第1楽章には黙示録的な世界を感じる。余談ながら、ARTE NOVAの8番には”Apocalyptic”の副題が付してあったが(何か根拠があるのだろうか?)、これは9番にこそふさわしいという気がする。
 
バーンスタインあたりの演奏ではマーラーに近いものを感じる曲だが、スクロヴァチェフスキでは微塵もそんな色はない。
スケールの大きな進行、金管が壮麗かつ轟然と響き、弦楽器群はあたかも中欧のオーケストラのような美しい音色で歌い抜く。まことに悠然たるかな
 
惜しむらくは木管が埋もれ気味になることか。ラトルでも書いたが、フルートやオーボエの清冽な煌めきこそ、ブルックナー演奏の花であるのに。
なお、このディスクでは3つの楽章に対し17ものトラックを付してある。大曲ではこういう配慮があってしかるべきだろう。昔、ラヴェル;『ダフニスとクロエ』全曲盤でトラックが1つ(=曲頭)だけでインデックスも打ってないという非道いCDがあったものだ(デュトワ盤、英DECCA 400-055-2)。
 
チャールズ・マッケラス(指揮)スコットランド室内管、ブラームス;交響曲第2番(TERALC)
ブラームス作曲当時のオーケストラのサウンドを再現するとの触れ込みで、ウィンナ・タイプのF管ホルン(→フォルカーの部屋参照)、ロータリー式のトランペット、口径の狭いトロンボーンを使用、弦楽器は10−8−6−6−4編成。
録音エンジニアはジャック・レナーとトニー・フォークナー、ノイマンの真空管式マイク2本によるワン・ポイント収録。
マッケラスも肩入れしている指揮者の1人、意気込んで聴き始めたのだが…
 
第1楽章冒頭のホルンが不安定、しかも譜面どおりの息の短いフレージング。ヴァイオリンはフォルテになると響きが痩せてしまう。木管の音彩が淡く、マイクから遠くて存在感がない。
ところどころ、金管の目立ち方が面白かったり、チェロの歌が良かったりもするのだが、いかんせんヴァイオリンとホルンと木管が駄目なままでは…
他の曲では不調を一掃していることを期待したい。
 
ピエール・モントゥー(指揮)パリ響、ベルリオーズ;幻想交響曲(Pearl)
ヘルマン・シェルヘン(指揮)ロンドン響、ベルリオーズ;幻想交響曲(THEOREMA)
エドゥアルト・ヴァン・ベイヌム(指揮)アムステルダム・コンセルトヘボウ管、ベルリオーズ;幻想交響曲(BEULAH)
ヘルベルト・ケーゲル(指揮)ドレスデン・フィル、ベルリオーズ;幻想交響曲(徳間)
ピエール・ブーレーズ(指揮)クリーヴランド管、ベルリオーズ;幻想交響曲(DGG)
中古音盤堂奥座敷試聴会に備えて『幻想』をいろいろ摘み聴き。モントゥーはSPの復刻、シェルヘンはたぶんウェストミンスター盤LPのコピー、ベイヌムはデッカ録音のライセンス生産。
 
いちばん印象が強いのはケーゲル盤。第1楽章の序奏部など遅さに驚くが、聴き進めるうちに、実に克明に譜面を再現しようとしているのがわかってくる。その好例が第5楽章で弦がコル・レーニョで叩いている上を木管がトリルでロンド主題を吹き抜くところ。1小節を8分音符3つで書いてあるところ(452・453小節等)と付点4分音符で書いてあるところ(454小節等)でトリルの回し方を区別させているのだ。
第5楽章では「鐘」の扱いも凄い。通常は楽器としての鐘(NHKのど自慢で1つ鳴らしたりするやつ)を使うが、ケーゲルはベル型の鐘(教会にあるようなやつ)を鳴らす(たぶん別録音の合成)。残響がモンモンモンモンと響くので、まさしく地獄の鐘、いやぁ、これは怖い!
 
ついではモントゥー盤。4回の録音中(*)最初のものだが、指揮者自身はこれが最高と考えていた。1931年録音だが、モントゥー既に56歳、かつてコロンヌ管のヴィオラ奏者時代にエデュアール・コロンヌからベルリオーズ直伝の演奏を仕込まれている自慢のレパートリーである。録音も明瞭だが復刻が最良とは言えない。状態の良いSPからの丁寧な復刻が望まれる。 (*)5回説もある。
 
ブーレーズ盤は、良く言えば誇張を避けた、悪く言えば微温的な演奏。
 
フランス・ブリュッヘン(指揮)18世紀オーケストラ、メンデルスゾーン;付随音楽「真夏の夜の夢」(GLOSSA)
ちょっと粗っぽいくらいの生命感は気持ちいいが、どうしてもクレンペラー盤の神韻縹渺たるさまと比べてしまう。古楽器アンサンブルに限れば、ヘレヴェーヘ盤等もあったが、まずこちらが上か。
 
イルジー・ビエロフラーヴェク(指揮)プラハ室内フィル、ドヴォルザーク;弦楽セレナード(Supraphon)
一昨年夏にプラハで買ってきたCDをやっと聴く。国内盤では未発売の筈。アンサンブルには隙がないし、中低声の音色が暖かくて上乗。ビエロフラーヴェクをまともに聴くのはひょっとすると初めてだが、内声の刻みをしっかり出したり、4楽章での大きな歌い回し等、意外というと失礼だが、結構な出来栄え。惜しむらくは第1Vnの音色に魅力が薄い点か。これは録音会場か楽器の質かに起因するものかもしれぬ。
 
ミハイル・ルディ(P)マリス・ヤンソンス(指揮)、ショスタコーヴィッチ;P協第1番(EMI)
オーケストラはベルリン・フィル、Trp独奏にオーレ・アントンセンが付き合っている。この曲は「愛惜佳曲書」にも取り上げたが、そこでは「弦楽合奏とトランペット1本という妙な編成のオーケストラとピアノが*競走*するような曲。ショスタコーヴィッチには珍しく、暗いところが一切ない。」と書いた。
ところが、この演奏を聴いて、その印象が一変した。何か、表面は美しいが、不安感を内に孕んだ音楽として迫ってくるのだ。能天気なラッパ節を吹くTrpは異化効果をもたらすペトルーシュカか。ショスタコーヴィッチの音楽の罠にはまっているのかもしれない。
 
ザ・サワー・クリーム、「理性の情熱」(GROSSA)
フランス・ブリュッヘン、キース・ベーケ、ワルター・ファン・ハウヴェのリコーダー三人衆は流石に上手い。音楽も美しく、飽きる暇もなくCD2枚組を聴き通してしまった。蛇足ながら、1枚目のトラック1、しばらく音が出ませんがCDプレーヤーの故障ではありません。待っていると、フェード・インしてきます。

1月2日(金): 今朝10時から開く近所のスーパーへ行く。年に一度、中古盤業者がセールを開くのである。いつも何かしら変なものが見つかるのだ。

 今年の収穫は今一つの感あり。変な*だけ*のものとしてはロジャー・ウッドワード(P)クルト・マズア(指揮)ニュー・フィルハーモニア管、ブラームス;P協第1番という妙な組合せを見つけたが(RCA、国内盤LP)。

ヴィクトル・デ・サバタ(指揮)イタリア放送管・合唱団ほか、モーツァルト;レクイエム(DGG、国内盤LP)
1939年4月のベルリン録音。時あたかも第2次世界大戦前夜、ドイツがチェコを占領したりイタリアがアルバニアを占領したりという頃、イタリアの演奏家がベルリンを訪れて独ポリドールにモーツァルトを録音したのだから、これはもうベルリン=ローマ枢軸強化の一環という政治の産物、現代史を語るLPであると、一人勝手に意気ごんで購入(それにしちゃ「レクイエム」というのは変だけど。)。T独唱がデビュー直後のフェルッチョ・タリアヴィーニ。
エディット・ピヒト・アクセンフェルト(P)シューベルト;Pソナタ第21番(カメラータ東京、LP)
ピアノ曲は原則買わないのだが、この曲については例外を認めている。1983年のデジタル初期録音だが、まだCD化されていない筈。この時期のカメラータには遠山慶子(P)豊田耕児(指揮)群響、モーツァルト;P協第27・17番というのもあって、CD化を鶴首中。
東京少年少女合唱隊、パレストリーナ;ミサ・シネ・ノミネほか(カメラータ東京)
同合唱隊のヨーロッパ演奏旅行のライヴ・シリーズ第3作。既に第2・4巻を購入して上手いのは承知しているので、続きの意味もあって購入。

 リンク集の更新作業などしながら聴く。

ポール・パレー(指揮)デトロイト響、ベルリオーズ;幻想交響曲(Mercury)
一昨日にも聴いたが、再度。
エディット・ピヒト・アクセンフェルト(P)シューベルト;Pソナタ第21番(カメラータ東京、LP)
決してバッハ風に弾いているわけではありませぬ。淡々としかし滋味深く。
東京少年少女合唱隊、パレストリーナ;ミサ・シネ・ノミネほか(カメラータ東京)
歌唱は素晴らしいと思われるが、教会でのライヴ録音などで残響過多。しかも歌ミサの最中に子供が泣くのはどうも…。

 昨日聴いたラハティ響ほかを「電網四方八通路」に追加。


1月1日(祝): ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート中継を見る。前説で大町陽一郎らが出ていたが、アナウンサーが「最近は毎年指揮者が交替しているのはどういうわけなのでしょうか」と言ったので、思わずTVに向かって「レコード会社の意向です」とツッコミを入れてしまった (^^;;(大町氏の答は「団員が投票するのです」だった。)。

 買い溜めていたオスモ・ヴァンスカ&ラハティ響のシベリウスを一気に聴く。BISとしては2セット目の交響曲全集だが、前回はヤルヴィ(=ソ連(当時)の指揮者)とイェーテボリ響(=スウェーデンのオーケストラ)の組合せ、やっとフィンランド勢による録音が実現したことになる。

オスモ・ヴァンスカ(指揮)ラハティ響、シベリウス;交響曲第1〜7番(BIS)
全7曲を聴き通した結論から申せば、「最上の全集とは言えないものの、シベリウスを好む人には是非お薦めしたい特長ある録音」ということである。
特長としては、第1に清澄な弦・木管と硬質に咆哮する金管というシベリウス・サウンドを志向していること。
『レコード芸術』11月号で第1・4番を宇野功芳氏が評した中で「金管のバランスが荒けずり」「強音部では金管が無機的になりかかる」と否定的な表現で書いておられるが、斉諧生按ずるに金管があまり*有機的*に強奏するとチャイコフスキーになってしまう恐れなしとしない。無機的なまでの硬質さがシベリウス演奏における金管の強奏には必要だと考える。北欧の酷寒の自然の音化なのだ。
…これに共感していただける方、ぜひヴァンスカをお聴きください。いたるところで実に気持ちよいブラスの吹奏を満喫できますから。
第2に、指揮者もオーケストラも、基本的にはシベリウスを「わかっている」こと(具体的に言語化できないのがもどかしいのだが。)。
欠点としては、オーケストラの仕上がりが完璧ではなく、波があること。木管は曲によってかなり違うし(これは当番奏者の違いか)、弦は曲の中で合奏の精度にムラがある。よくできているところは素晴らしい響きだが、ザラついてしまうところも多い。
録音年月日を見ると、1996年10月から1997年8月の間に4回のセッションを組み、1曲につき2〜3日で、番号順に収録されている(所要日数通算17日)。このオーケストラにとっては厳しい日程だったのかもしれない。
 
第1番:やり方によってはチャイコフスキーかワーグナーのように鳴る曲だが、ヴァンスカは軽快なテンポと切れのいいリズムで臨み、初期作にふさわしい若々しさ・明るさがある。とはいえ決してドライではなく、幻想味や北欧の風土感と両立させているところが値打ちである。録音バランスが管楽器寄りで弦がいっそう弱く聴こえる。
 
第2番:フィナーレの終結に頂点を設定し、ヒタヒタと盛り上げていく演奏と見た。だから人によっては1・2楽章の盛り上がりが足りないと言うかもしれない。また、これは他の曲でもそうなのだが、ppやpppの指定にかなり極端に反応する箇所があり、やりすぎという向きもあろうか。
 
第3番:このシリーズの中で最も優れた演奏。第1楽章冒頭の弦合奏が暖かい音色で美しく、終結の和音もオルガン的な響きに陶然となる。第2楽章の歌謡主題を奏する木管も上出来、それを繰り返すVn群もG線の渋い音色が極めて心地好い。普通の演奏だと冗長に感じる第3楽章も、変にまとまりをつけようとせず、後期の様式を予告する音楽として表現しているので抵抗なく聴ける。
 
第4番:第1楽章冒頭の低弦のffは玄妙な響き。有名なVcソロは少し甘いか。第2楽章のObは悪くはないがもっと上を狙ってほしい。第3楽章は孤絶感が見事に表出された素晴らしい演奏だ。第4楽章、この晦渋な曲で唯一解放的な音楽だが、そのせいか厳しさにやや欠ける。
 
第5番:先日ベルグルンドの名演を聴いたせいか、最も不満が残る。第1楽章のモチーフであるホルンの音型の吹奏が甘くなりがちで、コーダはイケイケ気味。第2・3楽章も肝心なところで音色がパッとせず、クライマックスの壮大さや終結の和音連打も間が抜けた感じ(特に最後のティンパニの前打音の処理は疑問。)。
 
第6番:第1楽章では弦合奏が清澄さを極め、終結でのティンパニの打ち込み・金管の鋭いクレッシェンドも嬉しい。後の楽章で出来が落ちてくるのが残念。
 
第7番:この曲でも弦合奏は冒頭で良く、だんだん悪くなっていくように思う。トロンボーン・ソロが出す主題がくっきりしないのは意識的なバランスだと思うが、斉諧生は疑問符を付す。この主題が再現・三現するところが感動的なのだから。
 
上述したように不満もないではないが、それ以上にヴァンスカの目指すシベリウス演奏への期待は大きい。いつの日か再録音を果たして、今回の不満を一掃してもらいたい。
 
モーリス・ジャンドロン(Vc)ジャン・フランセ(P)シューベルト;アルペジオーネ・ソナタ(Philips)
カザルスの高弟ジャンドロン壮年期の演奏で、伴奏は作曲家のフランセということでかなり期待したが、出来はまずまずといったところ。
チェロの音程はよいし悪い音ではないが、美音とまで褒めるわけにはいかないだろう。アプローチもほぼ常識的、アッチェランドして盛り上げる癖が気になる。中では第2楽章のしっかりした歌い口が良かった。
フランセのPは独自の表情も盛り込んだ興味深いものだが、伴奏の域を出ない。作曲家の演奏ということで積極的な表現を期待したのだが。
ペーテル・ヤブロンスキー(P)グリーグ;ホルベルク組曲(DECCA)
弦楽合奏曲の方で「愛惜佳曲書」に掲載したが、これはその原曲に当たる。ヤブロンスキーはガーシュウィンやショスタコーヴィッチが良かったので気に掛けているピアニストの1人なのだが、これは正直申して期待外れ。それなりに表情をつけて思い入れある*風*なのだが、どうも抒情を共感することが出来なかった。
邪推かもしれないが、北欧出身ということで会社から押しつけられた企画ではなかったか。

 初春企画としてトップページに山本紅雲(1896〜1993)描くところの「鯛」と、当ページに「寅」を掲載。


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