音盤狂日録


3月29日(日): 午後から所用で外出したが、時間が余ったので京都・寺町の電気店街へ行く。
 斉諧生の現用PCは、NEC製PC9821Na12S8という少々古いノート型、ハードディスクは800MB弱しかない。最近、ネットからいろいろファイルをDLしているうちに空きスペースが130MB弱まで狭くなってきたので、対策を検討する必要が出てきたのである。
 MOドライブでも、と思って店を回り、話を聞いているうちに、これは内蔵HDDを大容量のものに交換すべきではないか、と思えてきた。人とデータをやりとりするわけではないので、なにもリムーバブルである必要はないのだ。
 とはいえ、現在HDDの中にあるデータをどう移行させるか(FDだと相当な枚数に及ぶし、DLしなおすのも面倒)、システムを再構築する手間(Windows95をはじめ、修正プログラムをDLしなおす必要もあるし、アプリケーション・ソフトもずいぶんカスタマイズしているから、その設定をやり直すことになる)等々、これはこれで大変。
 結局、何を買ったかというと、64MBの増設メモリ。(^^;
 PCのデフォルトは16MB、1年ほど前に16MB増設したが、複数のアプリケーションを開いていると、スワップが盛大に発生して、動作が実に緩慢になっている。今日、店頭で見ると、メモリの価格は1年前の約半額まで下がっており、これはこれで十分パフォーマンスが向上すると思い、買ってきた。
 さきほどセットアップを済ませたが、なるほど快適快適。ネットスケープを動かしても、スクロールやプルダウン・メニューの開き具合など、実にスムースである。
 システムモニターで見ていても、スワップは0にはならないが、一方で空きメモリが十分確保されている模様。
 それにしても、斉諧生がPCを触り始めたのは平成元年、その頃はWindowsもVer.2。メモリを2MB増設して20MBのHDDを内蔵させただけでも、凄いねぇ、だったのに(しかもデスクトップ機で、ですよ)。

 朝、Music BoulevardからCDが届き、また、午後にはCD屋を覗いて回った。

ペーター・マーク(指揮)マドリッド響、メンデルスゾーン;交響曲第3番・第4番(ARTS)
マークの十八番、「スコットランド」と「イタリア」。今回はマドリッド響との組合せとは驚き。
"オーディオファイル"と表示されているが、ライナーノートには、マイク2本(Shoeps MK-2S)のワンポイント録音で、圧縮やイコライジング等は一切やっていない、とある。
このCD、斉諧生はタワーレコードで1,390円(税別)で購入した。すこし高いかと思ったが、日本コロムビア扱いゆえ、大差なかろうと判断したのである。ところが、ヴァージン・メガストアに回ると、同じものが990円。これは非道い。(T_T)
エフレム・クルツ(指揮)フィルハーモニア管ほか、ショスタコーヴィッチ;交響曲第1番ほか(EMI)
"Artist Profile"シリーズの1。プロコフィエフ;交響曲第1番カバレフスキー;「道化師」組曲ほか、ロシア近代音楽を満載した2枚組。
クルツのショスタコーヴィッチは、工藤さんが「黄金時代」組曲の聴き比べで推奨しておられたので、それが聴けるTESTAMENT盤とともに発注したのである。
実はTESTAMENT盤も届いたのだが、かなり大きな傷が入っていてトレースできず、交換を要求することにした。ネット通販では初めてのことだが、さて、ちゃんと良品が届くだろうか。いずれ、このページでリポートします。
イアン・トレーシー(Org)ヤン・パスカル・トルトゥリエ(指揮)プーランク;Org協ほか(CHANDOS)
この曲は「愛惜佳曲書」にも掲載しているが、クルツを発注したときのついでに御贔屓のトルトゥリエによる録音をオーダーしたもの。
ジャン・ジャック・カントロフ(Vn)ほか、ブラームス;P四重奏曲全集(LYRINX)
この人の録音はとにかく買うというヴァイオリニストの1人、カントロフの新録音を見つけた。メンバーは、ジャン・クロード・ペネティエ(P)ブルーノ・パスキエ(Va)トゥルス・メルク(Vc)
LYRINX盤だが、ジャケットにハルモニア・ムンディ発売との表記が入るようになった。これで流通が円滑になるのであれば歓迎したい。

 

エサ・ペッカ・サロネン(指揮)ロサンジェルス・フィルほか、マーラー;交響曲第3番(Sony Classical)
前にブルックナー;第4交響曲で実力の程を再認識させられたサロネン、今日はマーラーを聴く。
聴き出してすぐ気がついたのはVnの対向配置を採用していること。ブルックナーでは通常配置だったから、これは驚き(録音はブルックナーが97年5月でマーラーは同年10月)。
この間聴いたラトルのマーラー;第4も同様だったから、いよいよ、この対向配置が復権してきたといえよう。おそらく、古楽器オーケストラの隆盛と揆を一にした、オーセンティックな演奏をめざす潮流の産物だろう。通常配置はストコフスキー以降の20世紀の産物だから。
さて、「ロマンティッシュ」同様、アメリカのオーケストラらしからぬ渋い音色である。これは曲頭のホルンを一聴しても明らかだが、ピッコロがフルートと同じ音色のまま高音域まで伸びてゆくのには感服。
金管は名手揃い、特にトロンボーンの首席は素晴らしいソロを聴かせる(余談だが、このコンビでシベリウスの7番が聴きたくなった。)。ポストホルンも、もちろん、完璧な吹奏。
木管も、上手ではあるが、例えばオーボエなど、もう少し性格的な表情づけがほしいところだ。
もっともこれは、サロネンの音楽づくりそのものと密接に連関する問題だと思われる。いわゆる「マーラー臭さ」を排除した演奏なのだ。
この曲のクライマックスと言うべき第6楽章でも、これがバーンスタインあたりだと陶酔の極みといった音を聴かせるところなのだが、ここでは抑制に抑制を重ねた、緊張感の持続を聴くことができる。楽章の終結和音でも、金管に与えられた指定は"f"1つであることを忘れてはいない。
斉諧生のように、ブルックナーの眼鏡で見たマーラーを好む者にとっては、実に気持ちよく聴ける演奏だが、マーラー・フリークには物足りないかもしれない。
あるいは「民謡旋律に大袈裟なオーケストレーションを付した空疎な音楽であることを曝露した演奏」と皮肉るアンチ・マーラー派もいるだろうか?
それはさておき、全曲を通じて、サロネンのオーケストラ・コントロールは素晴らしい。録音チームの腕前もあるのかもしれないが、マーラーのオーケストレーションの綾を、実によく聴き取ることができる。第1楽章展開部後半など、すばらしい成果だし、同じ楽章の終結(870小節)のトランペット単独の動きも、強奏させてはいないのに、ちゃんと聴こえるのだ。
ややもすると埋もれがちなハープ(第3楽章543小節以降等)やグロッケン(第5楽章冒頭)等の響きも、他の楽器にマスクされることなく愉しむことができる。
また、細部の微妙な表情にも鋭いセンスを見せる。第1楽章だけでも、194小節での死ぬような黒い響き、273小節の1番ホルンの"mf"指定を見事に音化させた柔らかいニュアンス、703・704小節でのトロンボーンと低弦の呼応、「一際目立たせて」と指定された728小節のチェロの"sfpp"指定の活かし方、803〜807小節で第1ヴァイオリンが聴かせるフレージングの妙…等々。
第2楽章以降も数えたてれば切りがないが、2つだけ挙げるならば、第3楽章345・346小節のトランペットのファンファーレの鋭さ、第6楽章234〜240小節でのトロンボーンの呻き声は鳥肌ものである!
マーラーを聴いておいてこう言うのも何だが、サロネンのラヴェルが聴いてみたくなった。「ダフニス」や「展覧会の絵」あたりを。
アルヴェ・テレフセン(Vn)エサ・ペッカ・サロネン(指揮)ラーション;Vn協&田園組曲(Sony Classical)
田園組曲の録音は多いが、Vn協は初めて聴く。第1楽章冒頭のフルートとオーボエが歌い継ぐ旋律は北欧の抒情そのものだが、全体としては亡命前のヒンデミットあたりを思わせる技法・曲想で、なかなか聴きごたえがある。
第2楽章アンダンテ・パストラールは平明で美しい音楽、第3楽章はレントの指定だが実質は急速楽章で、ラーションらしい軽快な聴きやすいもの。

3月27日(金): 池田満寿夫監修というLPジャケットの写真集が出た。『20世紀レコード・ジャケット傑作集』@毎日新聞社
 これがなかなか素晴らしい。池田氏自身のセレクションによるもの約170点がカラー写真で掲載されているが、その大半はクラシック・レコード。いずれも見ていて面白いものばかりである。

 斉諧生按ずるに、50年代のジャケットに秀逸なデザインが多いが、これは印刷技術上の制約から写真が使えず、オリジナル・デザインで勝負していたからではないか。LP末期や最近のCDでは、演奏家の平凡な肖像写真か、泰西名画の写真版が大半で、能のないこと甚だしい。

 内容の密度において以前に出た沼辺信一『12インチのギャラリー』@美術出版社には一歩も二歩も譲るし、あるいは同書を下敷にした気配も漂うが(共通して掲載されている盤も多い)、LP愛好家には一見の価値があるといえよう。
 なお、池田氏が編集途中で死去したため、佐藤陽子夫人と高橋敏郎氏が最終的な編集を行い、約800点という収録ジャケットも、約4分の3は高橋氏のセレクションである。

 CD屋を覗いて帰ると、Compact Disc ConnectionからCDが、通販業者からLPが届いていた。

エサ・ペッカ・サロネン(指揮)スウェーデン放送響、ベルワルド;交響曲第3番・第4番(Musica Sveciae)
エサ・ペッカ・サロネン(指揮)スウェーデン放送響、ニールセン;交響曲第5番ほか(CBS)
サロネン2点がCompact Disc Connectionから届いたもの。
特に期待したいのは、打楽器が活躍するニールセンの5番。
ユッカ・ペッカ・サラステ(指揮)フィンランド放送響、ニールセン;交響曲第4番・第5番(FINLANDIA)
ユッカ・ペッカ・サラステ(指揮)トロント響、バルトーク;舞踏組曲&弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽ほか(FINLANDIA)
期せずしてフィンランドの若手(そろそろ中堅か)指揮者のニールセンが重なった。
バルトークには「かかし王子」のサラステ自編の組曲版をカプリング。
藤川真弓(Vn)エド・デ・ワールト(指揮)チャイコフスキー;Vn協&ブルッフ;Vn協第1番(Philips、LP)
最近はモーツァルト専家の感がある藤川さんだが、昔録音したベートーヴェン;Vnソナタ第9番(EURODISK)やタルティーニ;「悪魔のトリル」ほか(東芝)は気合のこもった白熱の名演だった。
このチェイコフスキー&ブルッフ(珍しい組合せだ)は、1970年代初期の録音のようだが、やはり期待できるのではと、購入したもの。
リオネル・ロッグ(Org)ブルックナー;交響曲第8番(ロッグによるOrg編曲版)(BIS)
昨年秋、京都コンサートホールの委嘱によってロッグが編曲、同ホールで世界初演した編曲を、スイス・ジュネーヴのヴィクトリア・ホールで録音したもの。
ブルックナー・ファンの斉諧生としては、初演にいくつもりだったのだが、本業の都合で断念せざるをえなかったのである。CDに期待したい。

3月25日(水): 古い本だが、『諸井誠のクラシック試聴室』@音楽之友社"ON BOOKS"を買って読む。
 昭和58(1983)年〜昭和59(1984)年の『レコ芸』連載「諸井誠のクラシック・レコード・サバイバル」(「サバイバル」とは、「21世紀に生き残しておきたいレコード」の意味だそうな。アウトドア系の演奏というわけではありません。(^^))の単行本化で、当時は連載を読んでいたので本まではいい、と思って買わなかったのだが、今となっては史料的価値がある。
 例えば、モーツァルト;交響曲第39番
 諸井氏の選盤は、

「標準サイズのオーケストラ」ではC・デイヴィス(指揮)ドレスデン国立管
「スモール・サイズのオーケストラ」ではホグウッド(指揮)エンシェント室内管

というもの。当時、古楽器派のモーツァルトというと、古いコレギウム・アウレウム盤とホグウッドしか無かったものだ。だから、「スモール・サイズ」としてマリナー&アカデミー室内管、パイヤール&イギリス室内管、バレンボイム&イギリス室内管あたりと比較するしかなかったのである。

 

ハンガリー四重奏団、ベートーヴェン;弦楽四重奏曲全集(EMI)
バルトークの盟友、ゾルタン・セーケイ率いるハンガリー四重奏団のモノラル録音(1953年)。
仏EMIの企画で、交響曲全集はシューリヒト&パリ音楽院管、ピアノ・ソナタ全集はイヴ・ナットという、底光りのする名演揃い。
ハンガリーQにはステレオ再録音の全集もあるのに、あえて旧録音を出したところに製作サイドの思い入れがあるような気がして、出たときから欲しかったのだが、7枚組の値段に二の足を踏んでいたところ、今日、ワゴン・セールのバーゲン・プライス(3枚組程度)で並んでいるのを発見、好機到来と購入。
問題は、全16曲を聴く時間があるかどうか、だ。

3月22日(日): タワーレコードの販促誌『musee』第12号の配布が始まっているが、その中に「ケーゲル党宣言」というページがあった。渋谷店の前島氏の執筆である。
 「およそ怪演と呼ばれる稀少盤を次から継ぎへ漁る者で、ケーゲル主義者呼ばわりされなかった者がとこにいようか。」(原文ママ)
 前島氏の真意がはっきりしないが、ケーゲル=怪演という図式が一般にあるのは、悲しいかな、事実だろう。前島氏の「世界を揺るがせた10枚のケーゲル盤」の選択にも、そうした図式への配慮(?)が感じられる。
 しかし、これは浮月斎Pseudo-POSEIDONIOS大人が前から力説しておられるところであるが、ケーゲルの指揮芸術は、そういう*爆裂演奏*にあるのではない。また、いわゆる洋泉社系の執筆者のように「狂気」のレッテルを貼って面白がるのも、感心しない。
 なお、ケーゲルのディスコグラフィが上記のPseudo-POSEIDONIOSに掲載されている。
 いつか「畸匠列伝」にケーゲルを立伝して、真価を明らかにしたいと思う。
 それにつけても、前島氏が力説するように、ケーゲルが晩年にN響その他に客演した時の録音、発売されないものか。

 

クリスティアン・テツラフ(Vn)バッハ;無伴奏Vnのためのソナタとパルティータ(Virgin)
今日はパルティータを「予習」。テツラフの弾き方は、ずいぶん、古楽器派の奏法を意識していると思える。

 寺神戸亮バッハ;無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全6曲演奏会(第2日)

バッハ;無伴奏Vnのためのパルティータ第3番
バッハ;無伴奏Vnのためのパルティータ第1番
バッハ;無伴奏Vnのためのパルティータ第2番
今日はマチネで午後2時半開場、3時開演のところを、30分勘違いしていたので会場到着が2時半過ぎになってしまい、昨日よりは随分うしろの席になってしまった。まぁ、狭いホールだから、たいした差はないが。日曜のせいか、曲目のせいか、昨日より1、2割ほど聴衆も増えている。
寺神戸氏は、昨日と同じグレーのスーツに、今日は普通のネクタイ。
プログラムの解説は氏の筆になるものだが、「(パルティータは)舞曲のオンパレード。イタリア風、フランス風とり混ぜて、バッハ流宮廷舞踏会の気分。」と書かれている。
第3番の演奏が始まると、なるほどそのとおりで、第2楽章ルールや第4楽章のメヌエットなど、まさしく宮廷舞踊を髣髴とさせるリズムである。
また、単独でもよく演奏される第3楽章ガボットとロンドーでは、主題にセンスの良い装飾がわずかに付されており、再現・三現のたびに愉しめた。
今日の曲順は、もっとも寛いだ気分を湛えた第3番から、もっとも舞曲的性格の薄い第2番へ、パルティータ3曲の並べ方としてはこれ以外に考えられないものである。
第1番に入ると、だんだん音楽の抽象度が高まってくる。第2楽章後半のプレストなど、寺神戸氏も集中力を高めて一気に駆け抜けてみせた。
第2番第1楽章アルマンドが始まると、やはりただごとならぬ世界が拡がってくる。第2楽章クーラントでは少し舞曲的なリズムが聴こえるが、第3楽章サラバンドの世界は深く、第4楽章ジーグはプレストが飛び去ってゆく。
そして第5楽章シャコンヌ。10数分を要する大曲ながら、あっという間に凝縮されていたようでもあり、巨大な世界を長い時間見ていたようでもあり、そんな不思議な時間だった。
昨日も書いたことだが、やはり古楽器特有の発音の軽さが大きな武器で、中ほどでアルペジオが連続するところなど、3つの声部をはっきり聴き取ることができた。
今日こそアンコールはないだろうと思ったが、寺神戸氏も「シャコンヌの次には何も弾けないのですが」と言いつつ、無伴奏Vc組曲第6番第5楽章ガボットを演奏。中間部のドローン効果が見事に再現された。
実は、無伴奏全曲の実演に接したのは初めてなのだが、2日間を通じて、あらためて、この曲集が演奏者に相当高度な技巧と、何より多大の集中力を要求することに気づかされた。パガニーニ的な曲芸は不要だが、重音奏法やポリフォニックな書法等、かなりの難物と見た。
寺神戸氏もプログラムに「彼はもっと易しく、より効果的にヴァイオリンを鳴らせる方法を知っているのに、ここではただひたすら高度な演奏技法の追求のみに腐心しているのです。」と書いている。
また、「聴く側よりも弾く側、しかもコンサートではなく練習しているとき、即ち勉強しているときにより大きな喜びが得られるように書かれているような気がします。」
「作品と演奏者の間には深い対話がありますが、聴衆はそれを傍観あるいは傍受するのを許されるのみ、といった感があります。」とも。
これは決して傲慢な言説ではない。
現代楽器によって、もっと聴きやすく−あるいは「人生」を語りあるいは「歌」を歌い−演奏することは可能だし、それはそれで聴く歓びを与えてくれる。
しかし、今回の全曲演奏を聴けば、「人生」や「歌」ではなく、音そのものの運動の中から音楽が立ち現れるのだ、ということが感得できる。
そして、その音楽がどのような宇宙を開示するのか−正直申して、残念ながら斉諧生には、まだ分からない。これからの人生の中で、聴き取ることができますように!
いずれ発売されるだろう寺神戸氏の録音を楽しみに待ちたい(ビオンディも、マンツェも、F・P・ツィンマーマンも…)。

 演奏会終了後、金曜に続いて十字屋三条店の輸入盤/中古盤セールへ。その他、中古CD屋や輸入盤屋を回ってから帰宅。

エサ・ペッカ・サロネン(指揮)フィルハーモニア管、メシアン;トゥーランガリラ交響曲(Sony Classical)
エサ・ペッカ・サロネン(指揮)ロサンジェルス・フィル、ドビュッシー;「映像」・「牧神」・「海」(Sony Classical)
エサ・ペッカ・サロネン(指揮)フィルハーモニア管、ストラヴィンスキー;「ペトルーシュカ」(Sony Classical)
最近、サロネン教(「サロ様」教かな?)に洗脳され気味。(^^;;;
メシアンは、今年の京響定期で井上道義が振るので、それまでに勉強しておきたい曲。チョン・ミュンフン盤も架蔵しているが、まだろくに聴いていない。(^^;;
ドビュッシーは手兵ロス・フィルの鳴らし方を確認したく。先日「ロマンティッシュ」を聴いた影響でもある。
「ロマンティッシュ」といえば、1987年にサロネンがスウェーデン放送響と来日したとき、メインに「ロマンティッシュ」、シベリウス;第5、ベートーヴェン;第5を持ってきていたのですね。かなり弾きこんだレパートリーなわけです。
世評の高いサロネンのストラヴィンスキー。「春祭」も聴いてみたいが、とりあえず「ペトルーシュカ」。1947年版なのが残念。
以上3点、いずれも中古盤CD。
イヴァン・フィッシャー(指揮)ブダペスト祝祭管、リスト;ハンガリー狂詩曲集(Philips)
斉諧生御贔屓のコンビの新譜なので、即、購入。
でもなぁ、バルトークとリストしか録音が出ないのも、ねぇ。ベートーヴェンやブラームスも聴いてみたいもの(「も」、じゃなくて「こそ」!)。
とはいえ、『レコ芸』今月号にPhilipsの社長のインタビューも掲載されているが、「彼(ハイティンク)の主要なレパートリーはすべて録音済みなのです。(中略)今後数年間は、彼の新しい録音は出ないでしょう」てな調子だから、うーん…。
イツァーク・パールマン(Vn)ズビン・メータ(指揮)、ハチャトゥリアン;Vn協ほか(EMI)
ずいぶんな旧譜だが、なんとなく買いそびれていた(最近パールマン不調だから)のを、中古盤で見つけたので、購入。
最近のパールマンは不調としか言いようがないが、この頃(録音は1983年)なら、まだまだ聴けるんじゃなかろうか。
ジョス・ファン・インマゼール(Fp)モーツァルト;「ウィーン時代」(Sony Classical)
先に国内盤も出ているが、14〜18番のソナタ、ニ短調とハ短調の幻想曲、そしてイ短調のロンドK.511を収録。
インマゼールのK.511というと、LP末期にACCENTから出した録音が素晴らしく、愛聴してきた。古楽器演奏自体がまだ一般的ではなく、あの録音ではじめて、フォルテピアノによるモーツァルトが市民権を得た、という感じだったなぁ。
ブックレットのインマゼールの写真で、楽器のメカをいじっているのが面白い。
ジャン・ポール・サラン(指揮)ドメーヌ・ミュジカル管ほか、フォーレ;レクイエム&リリー・ブーランジェ;ピエ・イェズ(ADDA)
全録音蒐集を目指しているリリー・ブーランジェ、しかも「愛惜佳曲書」掲載の「ピエ・イェズ」収録なので、斉諧生にとっては是非盤の部類。
高声部には少年合唱を起用、ピエ・イェズの独唱も、少年。
少年合唱は当り外れが大きいが、さて、聴いてみてのお楽しみ。
ライナーノートには演奏者の紹介もないので、昔ブーレーズが振っていたドメーヌ・ミュジカルと何か関係があるのかどうか、不詳。合唱団はピレネー地方の団体のようだし、少年合唱は「アンリ・デュパルク音楽院の子供たち」。
フォーレは、最近流行の原典版。オーケストラの編成が、通用版よりかなり小さい。ヘレヴェーヘやガーディナーが録音しているのと同じものと思われる。
アンドルー・マンツェ(Vn)タルティーニ;「悪魔のソナタ」ほか(HMF)
普通、「悪魔の*トリル*」と言うと思うが、まぁ、それはいい。
もっと普通でないのが、無伴奏でやっているということ。マンツェ自身の手によるライナーノートを斜め読みしたところ、カプリングのイ短調ソナタには無伴奏で演奏された多少の文献的な証拠もあるようだが、それを「悪魔のトリル」にも応用して、和音を付加した模様。これには議論があるだろうと、彼も認めている。
でも、『悪魔』は1人で演奏したのでは? タルティーニが飛び起きて自分のヴァイオリンで弾きはじめたとき、寝室に通奏低音チームは居なかったのでは?」

3月21日(土): 演奏会で眠らない・眠気を催さない秘法がないものだろうか? 今日も、休憩直前の頃は眠気を撃退するのに必死だったのだ。
 これまで、いろいろ試してきた。開演前に食事をしない、ロビーでコーヒーを飲む、ミント系の錠剤(「FRISK」等)を舐める…。どれも決定打にはならなかった。
 2、3日前から睡眠時間を十分取っておく、というのが正攻法なのだろうが、無理だな、これは。(^^;

 

クリスティアン・テツラフ(Vn)バッハ;無伴奏Vnのためのソナタとパルティータ(Virgin)
本日の演奏会に向けて、昼のうちにソナタの「予習」。

 寺神戸亮バッハ;無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全6曲演奏会(第1日)

バッハ;無伴奏Vnのためのソナタ第1番
バッハ;無伴奏Vnのためのソナタ第2番
バッハ;無伴奏Vnのためのソナタ第3番
午後6時開場、6時半開演なのだが、自由席のため、5時半過ぎに会場に着いて並んでおく。時間的にはもったいないが、やむを得ない。まぁ、おかげで2列目中央と極上の席に座れたが。
フルに使えば500人くらいまでは入るホールだが、ステージをホール中央くらいにセットして(フロアが全面可動式なのだ)、客席をかなり削っている。それでも満席とはいかず、七分入りで約200人くらい。ちょっと寂しいなァ。
寺神戸氏は燕尾ではなくグレーのスーツに蝶ネクタイ。もちろん楽器には顎当ても肩当てもつけていない。譜面台は置いている。
第1番の第1楽章アダージョは、ヘンリク・シェリング「ヴァイオリンによる受難曲です」と言ったとかいう音楽なので、そんなつもりで聴き始めたら、そうした劇的色彩は、まるで無し。「バッハは、無伴奏Vnという厳しい形式を通じて、人生を語りかけてくれる云々」(@宇野功芳*尊師*)という面は、削ぎ落とした演奏である。
とにかく高音の美しさは言語に絶する。古楽器演奏の醍醐味だろう。ヴィブラートは、ごくごく控えめにしか用いないが、使ったときの音色の変化は極めて効果的。重音奏法の和音も耳に快い。
第1番第3楽章シチリアーノも、やや素っ気ないフレージングだが、音色が歌っているのでカンタービレに聴こえるのだ。
また、寺神戸の演奏は、リズムが確実なのが素晴らしい。リズミックというのではなくて、基本リズムが崩れないのである。現代楽器奏者の実演だと、重音奏法等に足を取られて、リズムがガタガタになってしまう場合もある。これは寺神戸の資質・実力であるとともに、古楽器の特質である発音の軽さが活かされているのだろう。
今日のような演奏で聴くと、この曲集は「汗と熱気と迫力で勝負」ではなく、高度な技巧を要求する音の運動の中から、音楽そのものが立ち現れるのだ、ということを悟ることができる。3つのソナタの第2楽章はいずれもフーガだが、どれも明晰な再現であった。
アンコールは多分ないだろうと思っていた。この曲集の後に何が弾けるだろう?
寺神戸氏も「アンコールもバッハということになるのですが、全曲演奏会ですから明日弾くものが無くなります。」と言って笑わせた後、「いろいろ探したところ、無伴奏フルートのパルティータの中にヴァイオリンで弾けそうなのがありましたので、編曲してみました。」と、1曲。(帰宅してからBWV1013を有田正広さんのCD(DENON)で聴き直したが、同じ音楽が見つからない。斉諧生の記憶が曖昧で同定できないのか、BWV1013以外にもフルートのパルティータがあるのか?)
アンコールの2曲目は、テレマン;無伴奏Vnのための幻想曲から。これも帰宅後、アンドルー・マンツェのCD(HMF)で復習したところ、第9番ロ短調;シチリアーナであったと確認できた。

3月20日(金): 今日は一日中、研修を受けていた。
 今度、職場にLANが入って、ゆくゆくはグループウェアをやることになっているのだが、課ごとに担当者を1人置いて、ヨロズ相談ごとを承らせようということで、うちの課では斉諧生に白羽の矢が立ってしまった。その担当者研修というのである。
 最初の話では、そこそこデキる者を選べということだったのだが、人数の少ないところではそういうわけにもいかなかったようで、ワープロ専用機しか使ったことのない人もいたりして、結局、「パソコンの基本的な使い方」から教わる羽目になってしまった。
 フリーセルで遊んでいようと思って最後列に席を取ったのだが、まだその後ろにLANシステム担当課の連中がいるので、それもならず。
 で、「実際にメールを送ってみましょう。隣の席の人へ送ってください。」という段になったのだが、斉諧生の隣は空席。インストラクター@綺麗なお姉さんに送らせてもらえることになった。
 「あ、『あとでお食事でも』とか書いたんだろう」と思ったあなた、私と一緒で考えが浅い。インストラクターのディスプレイ画面はプロジェクターで映写されてるんです。ヤラナクテヨカッタ…(^^;;;

 京都の十字屋三条店で今日から日曜まで輸入盤/中古盤セール。勤務時間終了を待ちかねて駆けつけるが、10時半から開店しているのだもの、あまり面白いモノはなし。とはいえ、例によって大量に買い付け。まだまだ、この倍くらい買いたかったが…

ギュンター・ヴァント(指揮)ケルン放送響、ブルックナー;交響曲第5番(EMI)
ヴァントの最初のブルックナー・シリーズ。LPでも買っていたかもしれないが、中古盤CDで揃え直している。DHMはBMG系へ移籍したが、なるべく初出のEMI盤で買いたいので、喜んで購入。あと7・9番を残している。
エド・デ・ワールト(指揮)オランダ放送フィル、マーラー;交響曲第9番(BMG)
ワールトのマーラーは前にやはり中古で3番を買ったまま、ろくに聴けていないのだが、3番の次に好きな9番があったので、これも購入。
アレクサンダー・ギブソン(指揮)ロイヤル・フィル、シベリウス;交響曲第1番・「エン・サガ」(Collins)
ギブソン晩年のCollinsへのシベリウス録音のうち、買い損ねていた1番を見つけたので狂喜して購入(残りは第2番、「4つの伝説曲」の2枚で架蔵済み)。
ギブソンは第1番を3回録音している。前2回はいずれもスコットランド国立管で、1回めは1973年録音のCFP盤、2回目は1983年録音のCHANDOS盤。CFP盤がCD化されていることは、あまり知られていないかもしれない(英EMIの"CFP SILVER DOUBLES"シリーズ、7243-5-68960-2-4)。
エマヌエル・フォイアマン(Vc)ユージン・オーマンディ(指揮)ほか、R・シュトラウス;交響詩「ドン・キホーテ」ほか(Biddulph)
エマヌエル・フォイアマン(Vc)ほか、「1939年ヴィクター録音集」(Biddulph)
斉諧生思うに、SP録音期の最も重要なチェリストはフォイアマンではなかろうか(カザルスではなく)。現在につながる新古典的な演奏スタイルを作ったのは彼だろうし(カザルスが次代に伝えたのはスタイルではなく精神的なものだ)、残されている録音も全盛期のもの(1930年代にはカザルスの全盛期は終わっていた)。演奏自体も見事なものばかり(ジェラルド・ムーアとのアルペジオーネ・ソナタなど)。
「ドン・キホーテ」にはストコフスキー(指揮)ブロッホ;シェロモをフィルアップ。「1939〜」にはベートーヴェン;「魔笛」変奏曲メンデルスゾーン;第2ソナタショパン;序奏と華麗なポロネーズ等を収録。
ブロニスラフ・フーベルマン(Vn)ほか、「ブランズウィック録音全集」(Biddulph)
ハイフェッツを「ヴァイオリンのトスカニーニ」に譬えるならば、さしずめ「ヴァイオリンのフルトヴェングラー」と呼ぶべき芸術を持つのはフーベルマンであろう。イグナツ・フリードマンと共演したベートーヴェン;第9ソナタの巨大さと熱狂的な陶酔は、フルトヴェングラーの第九交響曲演奏に通じる。
この2枚組CDは、1920年代前半に米ブランズウィック社にアコースティック録音したすべてを収録したもので、「G線上のアリア」等の小品、メンデルスゾーン・ラロ・チャイコフスキーの協奏作品の断章(ピアノ伴奏)のほか、クロイツェル・ソナタの旧録音(ピアノはジークフリート・シュルツェという人)を収める。買わざるべからず。
以上のBiddulph3点は、いずれも@700円。
ヤーッコ・クーシスト(Vn)アリ・ラシライネン(指揮)、トゥーッカネン;Vn協第2番ほか(FINLANDIA)
トゥーッカネン(1909〜79)はマデトヤの弟子で、1945年にフィンランド作曲家協会が創設されて以来、事務局長を務めた人だそうだ。
メインは交響曲第3番「海」だが、北欧の弦楽作品には目のない斉諧生にとって、カプリング曲の方が重要。
ちょっと前に国内盤でも出たときにも、『レコ芸』で宇野功芳*尊師*が「一度聴いたら忘れがたい印象を残す。シベリウスのコンチェルトが好きな人ならなおさらだろう。」と書いていた。
これは一聴すべしと思っていたところ、中古@700円で見つけたので購入。
エルッキ・ラウティオ(Vc)ユハ・カンガス(指揮)ノルドグレン;Vc協第1番・弦楽のための協奏曲(FINLANDIA)
ノルドグレンは小泉八雲『怪談』に取材したピアノ曲を館野泉が録音している人。
フィンランドの重鎮ラウティオのVcも聴いてみたいし、カンガス&オストロボニア室内管の弦楽合奏曲も期待できそうなので購入。
ライモ・サリオラ(Vc)フイイン・リウ(P)シベリウス;Vc曲集(FINLANDIA)
オリジナルのVc曲は1曲目の「メランコニア」作品20だけで、あとは管弦楽曲やVn曲からの編曲だが、シベリウスの弦楽作品集を見つけたからには買わずにいるのは難しい。なおサリオラはアルト・ノラスの弟子とか。
ジュヌヴィエーヴ・シュヴァリエ&クリスティーヌ・フライシュマン(Hp)、ハープ二重奏曲集(CASCAVELLE)
「愛惜佳曲書」で取り上げたフランク;前奏曲、フーガと変奏をハープ2台に編曲したものが収録されているので、これは面白いかもと購入。
アーフェ・ヘイニス(Alt)シモン・ゴールトベルク(指揮)ほか、バッハ;カンタータ第170番ほか(Philips)
ヘイニスは以前に畑中良輔氏が褒めていたが、このディスクを買ったのは、一にも二にもゴールトベルクの指揮を聴くため(BWV170だけだが)。
他の曲目もすべてバッハで、カンタータ第169番やクリスマス・オラトリオやミサからのアリア。
中山悌一(Br)山田和男(指揮)東響、マーラー;「さすらう若人の歌」&バッハ;マタイ受難曲(抜粋)ほか(山野楽器)
「山田一雄の世界第1集」の2枚組。宇野*尊師*絶讃盤なので、定価の半額程度の中古を見つけたチャンスに購入。

3月19日(木): 今日、2冊の雑誌を買った。
 クラシック音楽関連Webにとっては『レコード芸術』4月号に、佐々木直哉Volkerの部屋さんが「ウィンナ・ホルンの魅力」という見開き2頁の記事を執筆しておられることは大きなニュースだろう。
 斉諧生にとっては、『TVぴあ』の「音楽番組ガイド」からクラシック番組の曲目紹介が消えたのも、重大なニュース。
 今のところ、クラシック番組の扱いが一番ていねいなのは『BS-fan』@共同通信社だろうが、月刊誌の悲しさ、月末頃には随分変更が入っている。週刊又は隔週刊誌でのフォローが不可欠なのだ。
 『TVぴあ』は、唐沢商会(唐沢俊一&なをきの兄弟コンビ)の連載も終わったし、もう買わないにしても、替わりがねぇ…。うーん、どうしたらいいのだろう。
 しかし考えてみれば、Web上で曲目まで完備した番組情報が入手できないのも、おかしなことですよね。

 

タウノ・サトマー(指揮)カンドミノ合唱団、シュッツ;「十字架上のイエス・キリストの七つの言葉」ほか(FINLANDIA)
バッハを除けば、バロック期の作曲家で愛好するのはモンテヴェルディ、テレマン、そしてシュッツ。『レコード芸術』誌4月号で、シュッツには点の辛い皆川達夫先生が「気迫と輝きにみちた祈りの歌(中略)ただただ感動し感嘆しつつ、これを聴いた。」と絶讃しておられるので、一聴すべしと購入。

3月17日(火): 『自伝フィッシャー・ディースカウ 追憶』@メタモル出版を、ようやく読了。
 正直申して、あまりの誤訳・珍訳・悪訳に辟易して、途中で他の本へ逃げたりしていたためである。
 もちろん原書に当たったわけではないから、どこがどうと言えるわけではない。褒めているのか腐しているのか分からない指揮者の人物評は、たぶん、フィッシャー・ディースカウの原文自体が持って回った言い方をしているのだろう(この本に舞台裏の曝露話を期待するのは無理ですよ。歌唱同様、きわめて理性的です。)。
 とはいえ、例えば、

ミュンヘンの「ムジカ・ヴィーヴァ」の会報が郵便局に置かれていた頃は、…(332頁。「ふるさと小包」のチラシじゃあるまいに。)
ジェラルド・ムーアは『恥知らずな道ずれ』など、何冊もの著書で…(379頁。邦訳なかったかな? もちろん『恥じざる伴奏者』。)

なんてねぇ。

 

エサ・ペッカ・サロネン(指揮)ロサンジェルス・フィルほか、マーラー;交響曲第3番(Sony Classical)
お待ちかね、サロネンのマーラー。これは、彼がティルソン・トマスの代役でフィルハーモニア管を指揮して大成功したときの曲目。大いに期待したい。
6楽章合計で24ものトラックが付されていることは高く評価したい。でも2枚目の収録時間は37分、ここは何かフィルアップが欲しかったところだ。
アンドレ・クリュイタンス(指揮)パリ音楽院管、ラヴェル;「ダフニスとクロエ」全曲ほか(TESTAMENT)
クリュイタンスは良質の復刻で聴きたかったので、このリリースは大歓迎。できれば継続していってもらいたい。モノラルのフランク;「プシシェ」組曲をカプリング。
それにしても不思議なのは欧米CD業界でのクリュイタンスの冷遇。
カール・シューリヒト(指揮)シュツットガルト放送響ほか、フレスナー;Vc協・P協・Org協ほか(MELISMA)
ヴィースバーデンはシューリヒトが音楽総監督を永く務めた街だが、これはヴィースバーデン出身の作曲家(1899〜1972)の作品集を、ヴィースバーデン所在のレコード会社が発売したもの。南ドイツ放送による録音。P協のソリストは作曲家の妻。

3月16日(月): 斉諧生の地元紙京都新聞の夕刊、家庭面に「親子で聴く音楽」というコラムがある。自社原稿か、共同通信あたりの配信記事かは承知していないが。
 本日の同コラムはヴィヴァルディ;『四季』を取り上げたが、推薦盤は懐かしのイ・ムジチ@アーヨ

薫るような若々しさにあふれ、ベストセラーになったのはこの盤。元祖「四季」の魅力はいまも薄れていない。

 とのコメント付き。
 それにしても、今どきアーヨ盤ねぇ。でも、きっと、*敢えて*の選定なんだろうなぁ。
 そこで、斉諧生ならば、と考えてみたが、うーん、どうにも心当たりがない。(^^;

 

フランス・ブリュッヘン(指揮)18世紀オーケストラ、ラモー;組曲「アカントとセフィーズ」「エベの祭典」(GLOSSA)
このコンビでは久々のラモー、大いに期待したい。
ヴォルフガング・シュナイダーハン(Vn)カール・ゼーマン(P)モーツァルト;VnソナタK.454&シューベルト;デュオD.574ほか(Orfeo)
シュナイダーハンは必ずしもよく聴くヴァイオリニストではないが、Orfeoのライヴ・シリーズは、ついつい買ってしまう。ライヴならではの「2度と起こらない瞬間」を期待してしまうのだ。
これは1964年6月15日シュヴェツィンゲン音楽祭での、南ドイツ放送による録音。残念ながら、モノラル。

3月15日(日): 朝は少し遅めに起きて(音楽を聴いている最中に眠くならないように)、食事等を片付けて、さあディスクを聴こう、と思ったところへ郵便屋がやってきた(近頃は日曜も配達するんですね)。
 「書留です」というから何かと思ったら、前に浮月斎@Pseudo-POSEIDONIOS大人から御教示いただいたザルツブルク音楽祭のCDROMChocolate Multimedia社が届いた。
 さっそくインストールして(実行ファイルをHDDに置くのである)、さあさあ、データベースを使ってみよう、と、まず"schuricht"を入れたら、6項目出てきた。
 いよいよ!とダブルクリックしたのだが、あら不思議、CDROMドライブにアクセスしたまま、止まらない。…結局、リセット。
 どうも98とは相性が悪いようだ。(T_T)
 データベース以外の機能は、試した範囲では正常に動作しており、フルトヴェングラーがドン・ジョヴァンニ序曲を指揮する映像や、若いころのヴァルター・ベリーがパパゲーノを歌っている映像などが楽しめた。

 

ハンス・シュミット・イッセルシュテット(指揮)北西ドイツ放送響、モーツァルト;交響曲第38番(米DECCA、LP)
SPからの転写なので、音は貧しい。SPUのような古い型のカートリッジに重い針圧をかけて、音を掘り出すようにするのが本当かもしれないが、斉諧生のアナログ・システムは普及品のプレーヤー+オルトフォンでも新しい軽針圧のものに過ぎない。
それでもイッセルシュテットのモーツァルトは実に明晰に聴こえてくるから、これは指揮者の腕だろう。快速テンポで古典的なモーツァルトである。
オーケストラも、弦合奏の精度は高く、木管の音色も清澄で好もしい。
ベンジャミン・ブリテン(指揮)イギリス室内管、シューベルト;交響曲第8番(英DECCA、LP)
チャールズ・マッケラス(指揮)エイジ・オブ・エンライトゥメント管、シューベルト;交響曲第8番(Virgin)
トン・コープマン(指揮)オランダ放送室内管、シューベルト;交響曲第8番(ERATO)
中古音盤堂奥座敷試聴会向けに「未完成」をいくつか聴く。
異彩を放っているのはマッケラス盤である。実に元気。古楽器派の名手が集まったオーケストラをガンガン鳴らしている。Flのリザ・ベズノシウクなど、上手いものである。
ベートーヴェンの交響曲と違って、Trbを始終鳴らすのが「未完成」の特徴の一つだが、マッケラス盤では、第1楽章の170小節以降など、実に効果的。
第2楽章でも32・173小節でバスを1音早くffで鳴らすのも、「元気!」という感じ(楽譜校訂上の根拠でもあるのかな)。
とても「未完成」の雰囲気はないのだが、それもそのはず、ニューボールドによる4楽章完成版を演奏しているのである(3楽章はシューベルトのスケッチに補筆、4楽章は「ロザムンデ」のロ短調の間奏曲を流用)。
コープマンは、なぜか現代楽器オーケストラで録音しているが、奏法等は古楽器派そのもの。小ぶりの編成なので、木管の和音がくっきり聴こえる。
異色なのはテンポで、第1楽章の序奏はともかく、第1主題を支える弦の刻みが流れてきた瞬間、エッと思うくらい遅い(これはこれで心地よい面もある)。第2楽章の基本テンポも、かなりゆったりしたものである。なるほど古楽器なら保たなかったかもしれない。
とはいえピッチは現代楽器なので、肝心のところで和音が濁るのは残念。
ブリテン盤は隠れた名演として知る人ぞ知るものだったが、今となっては演奏上の特色も薄れ、イギリス室内管の弱さも目につく。
クリフォード・カーゾン(P)ラファエル・クーベリック(指揮)バイエルン放送響、モーツァルト;P協第21番・24番(audite)
本日随一の期待盤。
録音状態は極めて優秀、1970年代のスタジオ録音一般よりも良い音で聴ける。
カーゾンの美しいタッチ、清楚なピアニズムが十分に録音され、クーベリックの付けも音楽的にぴったり寄り添っている感じ。とてもライヴとは思えない完成度の高い演奏である。
24番には、ほぼ同時期のスタジオ録音(ケルテス&ロンドン響)もある。独奏はスタジオとライヴの違いはあるものの、ほぼ互角の出来。指揮もまず互角だろうが、オーケストラはやはりバイエルン放送響が格段に上。木管の音色など、惚れ惚れする。
仲地牧子(P)武藤英明(指揮)ショスタコーヴィッチ;P協第1番(STUDIO FROHLA)
これは少々期待外れ。確かにヨーロッパのピアニストが弾くショスタコーヴィッチとは違う音楽を奏でているのだが、ちょっとショスタコーヴィッチの音楽として共感することは難しかった。
どうもヒューウェル・タークイ氏@『In Tune』とは相性が悪いようだ。
オケ(プラハ・ターリヒ室内管)は上手、Trp(カレル・ムニェック)は東欧独特の中音域が充実した(あまりキンキラしない)音色が好もしい。
アイザック・スターン(Vn)ユージン・オーマンディ(指揮)ヴィオッティ;Vn協第22番(米COLUMBIA、LP)
マリー・アントワネット御贔屓のヴァイオリニストだったヴィオッティ。最近の録音は早目のテンポが多いが、スターンとオーマンディは、ロマン派の曲のように、ゆったりと、嫋々とメロディを歌う。この曲はこれくらいの方がいいなぁ。
トール・マン(指揮)ステンハンマル;Vnと管弦楽の「センチメンタル・ロマンス」第1曲ほか(BIS、LP)
「イェーテボリ交響楽団;1930〜1978の録音」から少しだけ摘み聴き。
ステンハンマルは独奏Vn(フランチェスコ・アスティという人)がポルタメントだらけの甘ったるい弾き方なのでがっかり。
ところが、その続きに入っているレフグレン;スウェーデン狂詩曲で、Vn2本とHrnがソリに入るのだが、Vnの1人が、なんとカール・フォン・ガラグリなのである。
のちに指揮者として活動するガラグリだが(Berlin Classicsにシベリウスの名演が残っている)、この録音が行われた1930年にはイェーテボリ響のコンサートマスターだったのだ。
この曲でVnが活躍するのは、ごく短い時間だし、2本重なっているのでシカとは分からないが、しっかりした音を出している様子だった。
弦楽四重奏のSP録音でも残っていてCD復刻してくれればと思うが、まず有り得ないだろうなぁ。(^^;
ルイ・ド・フロマン(指揮)コンセール・コロンヌ管、モーツァルト;歌劇「魔笛」(抜粋、フランス語歌唱)(仏PATH驕ALP)
抜粋版なので、まず「おいらは鳥刺し」から始まるのだが、弦の前奏の羽毛のような軽さ! これがフランスの弦、という感じだ。歌をピックアップした録音で、オーケストラが隠されがちだが、いい音を出しているようである。
フランス語で歌ってもモーツァルトはモーツァルト、いや「モザール」か(昨日のグッドール盤でのワーグナーは、やはりドイツ語が欲しいところ)。もっとも夜の女王のアリアなど鼻にかかった発音だから、全然怖くない。(^^)
初期LP*ながら*というか、*だから*というか、残響も美しい、いい音の盤だったが、B面の夜の女王のアリア(「復讐の心は〜」の方)だけ、ガサガサ。きっと、前の持主がこの曲だけ繰返し繰返し聴いたのだろう。

3月14日(土): 浮月斎@Pseudo-POSEIDONIOS大人から御教示いただいた、米国議会図書館の検索ページを試す。
 なるほど、これは凄い。指揮者の名前を入れたら音盤のデータが返ってくるのだ。
 細かなところで多少精確さに欠けるところもあるが、それ以上に情報が得られる。ディスコグラフィの穴埋めに最適だろう。
 ぜひ、お試しください。

http://lcweb2.loc.gov/catalog/ これが議会図書館の検索システム。
http://lcweb.loc.gov/z3950/ こちらは他図書館のデータベースへのリンク。

 通販業者からLPが届く。

アイザック・スターン(Vn)ユージン・オーマンディ(指揮)ヴィオッティ;Vn協第22番&バルトーク;Vn協第1番(COLUMBIA、LP)
フランス革命の頃、パリで活躍したヴィオッティ。20数曲のVn協を作曲しているが、一般に聴かれるのは22番くらいだろう。特に第1楽章で次々に繰り出される美しく、ちょっと愁いを帯びた旋律に魅了されぬ者はないだろう。
このディスクは、斉諧生にとってヴィオッティとの出逢いになった。その記憶から、初出盤を購入したもの。
オーマンディの指揮もよい。特にオーケストラのみの部分で、冗長な箇所を思い切ってカットしているのが痛快。
ただしヴィオッティはB面、A面はこれが世界初録音となったバルトークの習作。
エリック・タピー(T)ジャン・フランセ(P)ほか、リリー・ブーランジェ;歌曲集「空のひらけたところ」ほか(仏EMI、LP)
「愛惜佳曲書」に『ピエ・イェズ』を掲げたリリー・ブーランジェも斉諧生にとって全録音収集の作曲家。
フランシス・ジャメの詩による歌曲集「空のひらけたところ」(訳題は自信ない。原題は"Clairieres dans le ciel"。CDではhyperionにマーチン・ヒルの録音がある。)のエリック・タピー(T)ジャン・フランセ(P)の録音は、未CD化のはずなので、購入。
カプリングのイェフディ・メニューイン(Vn)クリフォード・カーゾン(P);VnとPのための3つの小品はCD化されているが(EMI)、初出LPでどんな音が聴けるか、楽しみである。
ライナーノートは姉ナディア・ブーランジェが書いているが、悲しいかな、フランス語は読めないのだ。

 

ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ(指揮)アルトゥーロ・トスカニーニ記念エミリア・ロマーニャ響、ワーグナー;管弦楽曲集ほか(ERMITAGE)
まず「リエンツィ」序曲から聴く。クナやパレーの名演奏で聴くと、この初期の作品でも「オランダ人」に匹敵する巨大さを感じとれるのだ。
ところがびっくり、これはロッシーニだ! 音の重心が高いというのか、ほとんど「ウィリアム・テル」序曲の世界である。
指揮者は唸りまくっているし、力感十分の演奏なので、これはこれで感動ものには相違ない。「裏名盤」として推奨するに足るといえよう。また、初期のワーグナーへのイタリア歌劇の影響を論じるとすれば、最大の論証になりそうな物件である。
あとの「ローエングリン」前奏曲(1幕と3幕)は、元来が重心の高い曲なので、そんなに違和感はない。でも3幕の前奏曲の終わりに「結婚行進曲」の音型がくっつくのは「?」。
で、「ジークフリート牧歌」が最も素直に感心できた。
レジナルド・グッドール(指揮)ENO、ワーグナー;楽劇「神々の黄昏」(EMI、LP)
イタリア人のワーグナーの次に、イギリス人のワーグナーを聴く。全6枚は長いので、最後の1枚だけ(ジークフリートが刺された直後から)。
グッドールは、クナに可愛がられて、50年代のバイロイトに通いつめ、クナのピットに入れてもらって勉強したというだけあって、葬送行進曲など、深々とした呼吸が素晴らしい。これこそ、ワーグナーの世界である。
とはいえ、これは本当のライヴ録音(3日分の公演から編集しているようだが)。ホールのデッドな音響のせいで、サウンド的にはワーグナーにならない。オケの仕上がりもライヴ的な傷だらけ、舞台ノイズも盛大に入っている。
で、一般にはお薦めしづらい録音だが、クナのワーグナーが大好きな人には見逃せないだろう(CDもある)。
この人にはドイツのオーケストラでスタジオ録音を遺してほしかった。
モーリス・アブラヴァネル(指揮)ユタ響、ガーシュウィン(ラッセル・ベネット編);交響的絵画「ポーギーとベス」ほか(VANGUARD)
いつも思うのだが、この編曲は良く出来ている。日本のオーケストラも一般向けのポップス・コンサートあたりで掛ければよいのに。
まぁ、最近は原典志向の風潮だから、「ポーギー〜」の管弦楽編といえばガーシュウィン自編の「キャットフィッシュ・ロウ」組曲を、となるのだろうが、あれはつまらない。
アブラヴァネルの指揮は、まずまずといったところ。
サルヴァトーレ・アッカルド(Vn)ブルーノ・カニーノ(P)モーツァルト;VnソナタK.379・380・547(NUOVA ERA)
アッカルドというとパガニーニを連想する向きが多いだろうが、このシリーズでは室内楽の骨法を踏まえた、見事なモーツァルトを聴かせてくれる。
セミー・スタールハンマル(Vn)ロヴ・デルヴィンゲル(P)「スウェーデンにおける世紀の変り目1900」(nosag)
これは佳かった。 大当たり! の1枚である。
このヴァイオリニストはストックホルム国立歌劇場のオーケストラのコンサートマスターだそうだが(ライナーでは"1st Concertmaster"とあるがメンバー表では次席である)、音は綺麗だし、センスも抜群。特に、北欧音楽独特の不安定な和声の活かし方が上手い
収録されている曲も、ヤルネフェルト;「子守唄」(これは『名曲アルバム』で聴いたことがある)以外は初めて聴くものばかりだが、1曲目のアルヴェーン;「眠れる森」をはじめ、抒情が胸に沁みる佳曲揃いである。
録音も上乗。ディトリック・デ・ゲアールのカスタム・メイド・マイク2本によるワン・ポイント録音で(このマイクは最近、日本のマイスター・ミュージック社も使っている)、自然な響きと音の伸びが素晴らしい。オーディオ・ファイルには是非盤である。
あまり見掛けないレーベルだが、同封されていたカタログに「Webpageから直接オーダーしてください。」とある。ステンハンマルの合唱曲を収めたCDが欲しいのでアクセスしてみたが、それらしいフォームも何もない。どうやら、E-mailで注文するようだ。
うーん、英語と送金方法に自信なく、断念。(^^;

3月13日(金): 中古音盤堂奥座敷試聴会のログが公開されておりますので、どうぞ御覧ください。

第9回:ポール・パレー(指揮)ベルリオーズ;幻想交響曲
第10回:セルジュ・チェリビダッケ(指揮)チャイコフスキー;交響曲第5番

 義理ホワイト・デーの買物をするはずが、街へ出るとやはりディスクを買ってしまうのだった。

「イェーテボリ交響楽団;1930〜1978の録音」(BIS、LP)
新譜で出たときも知っているのだが、その時は、名前を知らない北欧の作曲家ばかり(シベリウスやグリーグは入っていない)だと敬遠して買わなかった。
先日送られてきた通販業者のカタログを見てびっくり、ステンハンマルの作品が収録されているようである。この作曲家は斉諧生にとって「全録音収集」扱いなのだ。
で、BISのWebpageでカタログを検索してみると、Vnと管弦楽の「センチメンタル・ロマンス」、カンタータ「イタカ」、スウェーデン狂詩曲「冬至祭」が入っているらしい。これは入手せねばと思い、たしか京都の”La Voce”さんに在庫があったはずと駆けつけたところ、通販業者より2割方安い値段だったので、いそいそと購入。
主な演奏者と曲目は次のとおり(カッコ内は録音年)。
トール・マンステンハンマル;Vnと管弦楽の「センチメンタル・ロマンス」第1曲(1930)、アッテルベリ;Vn、Vaと弦楽のための組曲第3番(1940)
イサイ・ドブロウェンニュストレム;協奏交響曲(1949)
ディーン・ディクソンソレンセン;弦楽シンフォニエッタ(1955)
セルジュ・コミッショーナペッテション;交響曲第4番(1970)、ステンハンマル;スウェーデン狂詩曲「冬至祭」(1971)
シクステン・エールリンクニールセン;交響曲第4番(1975)
シャルル・デュトワローセンベリ;交響曲第6番(1977)、ドビュッシー;牧神の午後への前奏曲(1978)
LP5枚組だが番号はLP301/3と3枚扱い、箱にも「値段は3枚分」とある。また、同響のディスコグラフィつき。
ヤン・パスカル・トルトゥリエ(指揮)BBCフィル、ルーセル;バッカスとアリアーヌ・蜘蛛の饗宴(CHANDOS)
かねて御贔屓のトルトゥリエがルーセルのバレエ音楽を録音したもの。新しいものではないが、なぜか試聴機に入っていたので一聴したところ、良さそうだったので購入。
「蜘蛛の饗宴」(1913年初演)は、名前が災いしているのだろう、演奏頻度は低いが、パレーレイボヴィッツも録音を残している佳曲である。「マ・メール・ロワ」より上ではなかろうか。
なお、両曲とも20〜30のトラックが付されている。バレエ音楽のCDは、こうあってほしい。
ジョゼフ・シルバースタイン(指揮)リンカーン・センター室内楽協会、ウォルトン;ファサードほか(ARABESQUE)
妙な名前のアンサンブルだが、デヴィッド・シフリン(Cl)、フレッド・シェリー(Vc)ら名手が揃っており、Webpageもある。
モーツァルトの名演盤(DELOS)以来、贔屓にしているシフリンの新譜なので購入。
モーリス・アブラヴァネル(指揮)ユタ響、ガーシュウィン(ラッセル・ベネット編);交響的絵画「ポーギーとベス」ほか(VANGUARD)
「愛惜佳曲書」掲載の交響的絵画「ポーギーとベス」の未架蔵盤を中古屋で見つけたので購入。その他、ジェローム・カーンの「ショーボート」の管弦楽編等も収録。
クリフォード・カーゾン(P)ラファエル・クーベリック(指揮)バイエルン放送響、モーツァルト;P協第21番・24番(audite)
”La Voce”さんで、入荷して整理しておられる手許から強奪(?)してきた注目盤。
カーゾンのライヴで、しかも正規音源からのCD化。DECCAやDGGにも話をつけているという、さすがドイツ人の仕事。
また、カデンツァが注目される。第24番第3楽章ではセルのものを弾いているし、第21番はブゾーニによる。
ジョルジュ・プリュデルマシェ(P)シューベルト;Pソナタ第21番(LYRINX)
プリュデルマシェは、中古音盤堂奥座敷同人の野々村さんが「ディアベリ変奏曲」の録音(LYRINX)を強力に推薦しておられるピアニスト。ディアベリは探しているが見つからないので、代り(?)にシューベルトの遺作ソナタを買ってきた。

3月11日(水): 昨年・一昨年と3月には東京へ買出しに行ったものだが、今年は時間的にも資金的にも難しい。残念。
 もっともネットの通販サイトで買うようになったので、京阪地方で入手できないCDを東京でまとめ買いする、という必要も無くなったわけだが。

 

ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ(指揮)アルトゥーロ・トスカニーニ記念エミリア・ロマーニャ響、ワーグナー;管弦楽曲集ほか(ERMITAGE)
ガヴァッツェーニはDGGあたりにイタリア・オペラの録音をしていたので名前は覚えていたが、このCDは初発時の記憶がない。
ところが、鈴木@Syuzo's Homepageさんが3月1日付けの更新でレポートしてくださり、「『リエンツィ』序曲、『ジークフリート牧歌』はなかなか素晴らしい。暖かみのある演奏で、イタリアの指揮者のワーグナーを堪能させてもらったような感じだ。」とのことだった。今日、中古屋で見かけたので、買ってきたもの。
オリヴィエ・シャルリエ(Vn)マティアス・バーメルト(指揮)ロベルト・ジェラルド;Vn協・交響曲第1番(CHANDOS)
フランス系若手の期待株シャルリエの新録音なので、とにかく購入。
ジェラルドはカミュ;「ペスト」に付曲したオペラにドラティの録音があるので、名前だけは知っている。シェルヘンが初演の指揮をとったVn協、ロスバウトが初演した第1交響曲、はたして、どんな曲であろうか?

3月10日(火): 職場の生協で@953円のCDワゴンセール(いわゆるキオスク物)、クラシックの曲名が見えたので手に取ってみると、
 「マーラー;第9、ワルター&ウィーン・フィル」
 「ドビュッシー、モントゥー&サンフランシスコ響」
 「春祭&ペトルーシュカ、ストコフスキー&フィラデルフィア」
等、歴史的録音ばかり。
 いくら名演奏とはいえ、キオスク物を買う人が知っているのかなぁと首をひねっていたら、ハハンと気がついた。
 著作権切れの演奏なのだ。

 

ジョス・ファン・インマゼール(指揮)アニマ・エテルナ、シューベルト;交響曲第9番(Sony Classical)
8日(日)に中古音盤堂奥座敷試聴会向けに聴いた「未完成」が非常に良かったので、「グレート」も購入。
セミー・スタールハンマル(Vn)ロヴ・デルヴィンゲル(P)「スウェーデンにおける世紀の変り目1900」(nosag)
聴いたことのないレーベルだが、Webpageあり→NOSAG RECORDS
アルヴェーン、アウリン(「4つの水彩画」他)、イエネフェルト(「子守唄」)、ラングストレムらのVn曲のアンソロジーで、ソリストはストックホルム国立歌劇場管(?)のコンサートマスターらしい。
北欧の抒情小曲集というだけでも"聴き欲"をそそられる上に、北欧のマイナー・レーベルというと、不思議と好印象を持ってしまい、ついつい手を出してしまった。

3月8日(日): 今夜の『知ってるつもり』@日本テレビ系ショパンだというので、誰かピアニストがゲストで出るんじゃなかろうか、まさか中村紘子大先生@ショパン・コンクール入賞歴ありということはなかろう、田部京子さんあたりだったら嬉しいのに、とチャンネルを合わせてみたが、何のことはない、なかにし礼池田理代子だったので、がっかり。
 仕方がないので、裏でやっている『まかせてダーリン』@TBS系吉本多香美さんのOL姿を拝見することと相成った。
 そういえば(つまりショートカット系美女といえば、である)、昼間にはバレーボール・Vリーグ女子決勝、斎藤真由美選手の活躍でダイエー・オレンジアタッカーズが見事優勝、これも嬉しかった。(^^)

 通販業者からLPが届く。

ナタリー・リシュナ(P)イスラエル・ベーカー(Vn)アルマン・カプロフ(Vc)、ルクー;ピアノ三重奏曲(日ワーナー)
ルクーは全録音収集を目指している作曲家。これは米Society for Forgotten Music原盤の1958年録音で、幻の名盤として有名だったもの。1984年に日本のワーナー・パイオニアが復刻したのだが(谷戸基岩さんの仕事じゃなかったか)、その時には同時発売されたピアノ四重奏曲(未完成)ほかの1枚だけしか買えないまま(あの頃は−今もだが−金欠だった)、入手不可能になってしまっていた。
永らく探求していたものの、ほとんど諦めていたところ(この盤を手放す罰当たりなルクー・ファンがいるとは思えない)、通販業者のカタログで発見、半信半疑でオーダーしたところ、幸運にも落手できた。
しかも、送料+送金手数料の方が高くついたくらいの超バーゲンプライス。

 

ジョス・ファン・インマゼール(指揮)アニマ・エテルナ、シューベルト;交響曲第6・8番(Sony Classical)
フランス・ブリュッヘン(指揮)18世紀オーケストラ、シューベルト;交響曲第8番(Philips)
エフゲニー・ムラヴィンスキー(指揮)レニングラード・フィル、シューベルト;交響曲第8番(英EMI、LP)
シャンドール・ヴェーグ(指揮)ザルツブルグ・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ、シューベルト;交響曲第6番(CAPRICCIO)
インマゼールのシューベルトが中古音盤堂奥座敷試聴会の課題CDなので、同曲異演盤と比較しながら聴く。
ブリュッヘン盤は意外に巨匠風の粘りを見せ、ムラヴィンスキー盤(「ウィーンのムラヴィンスキー」のセット中の1枚)は第2楽章の孤絶感が凄まじい。
第6番は滅多に聴かないが、ハイドン風の書法にシューベルトのメロディが乗った愉しい曲。ヴェーグ盤はもっと評価されるべきだろう。
ハンス・ロスバウト(指揮)バーデン・バーデン南西ドイツ放送響、ブルックナー;交響曲第7番(英Turnabout、LP)
昨日に続き、今日もブルックナーを聴く。
実は全く期待していなかったのだが、どうしてどうして、掘出し物といっていい演奏だった(録音は1959年頃)。
少し速めのテンポながら、響きに清澄さがあり(Trpなど明るすぎるくらいだ)、やや小ぶりの編成のオーケストラだが、バランスが絶妙、対位法や楽器の絡みは上手に再現されている。妙なアッチェランドや変な粘り気といった、ブルックナー・ファンにとって嫌なところが皆無なのである。
ところが、ゾクゾクするところも、また全然ないのだから妙な演奏だ。(^^;
いわゆる「ブルックナー休止」の間をはしょっているので、楽想の転換がいかにも唐突に響く。オケを轟々と鳴らすこともなく、第2楽章のクライマックスも、きわめて淡泊なものだ。その直後の、ワーグナー・チューバの和音にホルンの吹奏がかぶさるところも、全く拍子抜けするほどあっさりしている。
国内盤では出なかった録音らしいが、これだけの興味深い演奏、ぜひCD化してもらいたいものだ。また、ロスバウトのブルックナー、4番・8番あたりも是非聴いてみたいが、録音は残っているのだろうか?
ハンスイェルク・シェレンベルガー(Ob)ジェイムズ・レヴァイン(指揮)モーツァルト;Ob協&R・シュトラウス;Ob協ほか(DGG)
シェレンベルガーは、いつものとおりの美音で立派な出来栄え。特にR・シュトラウスはオーケストラの出来も素晴らしく、過不足ないお手本的な名演といっていいだろう。
シュトラウスにセッションの時間とエネルギーを取られたのか、モーツァルトやベッリーニではバックの磨き上げが不足している感じがあり、少々残念な出来。
ファビオ・ビオンディ(Vn)オルガ・トヴェルスカヤ(Fp)モーツァルト;VnソナタK.306・380・454(OPUS111)
古楽器ならではの素晴らしいモーツァルト演奏だった。
3曲とも3楽章構成だが、1楽章では輝かしい音色で積極的な表現、VnとFpの競奏の趣を見せ、2楽章では一転してインティメイトな音色(たぶん弓の縁を軽く使っているのだと思う)でしんみりと、3楽章では暖かい音色で愉しい世界を、聴かせてくれる。
現代楽器でこういう演奏をすると、モーツァルトの様式を壊しかねない厚化粧になったり、ピアノがヴァイオリンを圧倒してバランスを崩したりしてしまう。矩を越えず、2つの楽器の対等な対話を聴けるのは、古楽器の大きなメリットだ。
3曲の中では、K.454が曲自体の成熟もあって最も聴きごたえがあるが、K.306第1楽章のコンチェルタンテな華やかさも素晴らしかった。

3月7日(土): 『文學界』@文藝春秋(4月号)を読む。
 例によって立花隆「武満徹・音楽創造への旅」がお目当て。
 今回はピーター・ゼルキンとの関わりが中心だが、武満の発言をいくつか。

ロジャー・ウッドワードが演奏したぼくのピアノ曲集なんか、レコードが出てから送られてきたんですが、あんまりひどいので、聞いてからぶっ壊しましたよ(略)ことあるごとに「あのレコードはだめだ」といって歩いたんですが、「あれはすばらしかった」なんていう人もいるから困ってしまうんです。
自分が思っていたよりずっといい演奏ってあるんです。ぼくがそれをつくづく感じたのは、エッシェンバッハがたまたま「ピアノ・ディスタンス」を弾くのを聞いたときです。(略)それは、ぼく自身が全く予想もできなかったような仕方で演奏されたものだったけど、音楽全体が生き生きしていた。自分の作曲した曲の中に、ああいう音楽を作れる余地があったんだと思って、すごく嬉しかったです。
さる高名な女流ピアニストの場合は、何でもない音符をものすごく文学的に解釈しちゃって、ただサラッと弾いてくれればいいのに、こんなになってやるんですよ(と、手をゆっくり頭の上にあげて、全身を官能的にもだえるような感じでくねらせながら、その手をふりおろす)。ぼくの音楽はそういう音楽じゃないんです。体をくねらせる必要なんてないんです。(略)そうしてるあいだに、譜面の指定と音の長さや休止の長さが狂ってくるから、逆に官能性がぶち壊しになるんです。
              斉諧生注、3番目は、引用部分には出てこないが、直前の発言からして、日本人ピアニスト。「高名な女流」で、武満に手を出して、体をくねらせるっていうと、たぶん、あの人だな。(^^;

 木・金とCD屋を覗けなかったので、買出しに赴く。

ジネット・ヌヴー(Vn)ヴァルター・ジュスキント(指揮)シベリウス;Vn協&ジョン・バルビローリ(指揮)NYPO、シベリウス;交響曲第2番(DUTTON LABORATORIES)
ヌヴーは有名なレコーディング、DUTTON LAB.の復刻技術に期待して購入。
バルビローリのシベリウス;第2番は、ハレ管とのモノ(52年)・ステレオ(66年)、ロイヤル・フィル(63年)録音が知られているが、これは40年6月のSP録音。
イリヤ・グルベルト(Vn)コンスタンチン・オーベリアン(指揮)プロコフィエフ;Vn協第1番ほか(CHANDOS)
聞き覚えのある名前だが、よく知らないヴァイオリニスト。でもプロコフィエフの1番は収集している曲なので購入。
カプリングは交響曲第1番と「束の間の幻想」の弦楽オーケストラ版(バルシャイ編)。
最近、CHANDOSはロシア系演奏家の新録が目立つなぁ。
小林武史(Vn)野平一郎(P)エネスコ;Vnソナタ第3番ほか(LIVE NOTES)
エネスコの第3ソナタは佳曲だが演奏・録音頻度が低い。実力派・小林武史が新録してくれたので、狂喜して購入。
カプリングは野平の自作ほか。
ヴィタ・ウォレスス(Vn)イシュマエル・ウォレス(P)ワルター;Vnソナタ&プフィッツナー;Vnソナタ(VAI AUDIO)
『レコ芸』3月号で宇野功芳尊師が「海外盤試聴記」で紹介していたブルーノ・ワルター33歳の作品の世界初録音が入荷していたので購入。
斉諧生には指揮者の作曲を集める趣味があります。ドラティの交響曲(BIS)、スクロヴァチェフスキーのイングリッシュ・ホルン協奏曲(Phoenix)なんてのも。
サルヴァトーレ・アッカルド(Vn)ローラ・マンツィーニ(P)「ハイフェッツを讃えて」第1巻、第2巻(fone)
最近アッカルドは小品集ばかり出しているが、新録はヤシャ・ハイフェッツの愛奏曲を集める企画。
foneは音のいいレーベルで、この録音でも特にノイマンの真空管式マイクを使用している。アッカルドがジノ・フランチェスカッティ旧蔵のストラディヴァリウスを弾く美音の洪水にも期待。
ハンスイェルク・シェレンベルガー(Ob)ジェイムズ・レヴァイン(指揮)モーツァルト;Ob協&R・シュトラウス;Ob協ほか(DGG)
御贔屓のシェレンベルガー、旧譜だが未架蔵のモーツァルト、ベッリーニ、R・シュトラウスの協奏曲集を購入。
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)ウィーン国立歌劇場管、ピツェッティ;歌劇「大聖堂の殺人」(DGG)
カラヤン&ウィーン国立歌劇場のライヴ録音が店頭に並んだ。斉諧生はアンチ・カラヤンなのでボイコットも考えたが、ピツェッティはVnソナタやレクイエムを愛好している作曲家なので、オペラ作品も無視できない、と購入。
歌い手はハンス・ホッター、アントン・デルモータ、ゲルハルト・シュトルツェ(この性格テノールの声は大好き)、パウル・シェフラー、ヴァルター・ベリー、クリスタ・ルートヴィヒ等々、綺羅星のごとし。
1960年3月9日のライヴ、オーストラリア放送によるモノーラル録音。

 

ギュンター・ノイホルト(指揮)フランダース・フィル、ブルックナー;交響曲第4番(NAXOS)
先週のサロネンに続き、「ロマンティッシュ」を聴く。
録音が拙いのか、ホールが悪いのか、オーケストラが下手なのか、あるいは小さめの編成で無理しているのか、どうにも響きが満ち溢れてこない。
FlやHrnのソロは下手ではない。しかるに、弦合奏や金管の吹奏が、きれいな和音にならないのである。一頃の日本のオーケストラ(というか以前の京都市響)みたいだ。
テンポ感や、細部の音型への目配り、対位法の浮き上らせ方などは悪くないので、別なオーケストラでのブルックナー演奏を聴いてみたい指揮者である。ドイツの地味な指揮者が好きなN響あたりが呼ばないものかしらん。

3月6日(金): 本業が年度末繁忙期、少々残業して地下鉄に乗ると、先客が手に手に"Mostly Classic"やチラシを持っている。 そうそう、今日は京都市響の演奏会、曲はR・シュトラウス;最後の四つの歌マーラー;交響曲第5番で、井上道義が音楽監督として指揮する最後の定期。

 ネットで注文したCDが届いた。

仲地牧子(P)武藤英明(指揮)ショスタコーヴィッチ;P協第1番(STUDIO FROHLA)
『In Tune』3月号でヒューウェル・タークイ氏が「作曲者自身のレコーディングをも上回っている。」と絶讃していたが、このレーベルは扱っている小売店がほとんど無いので、STUDIO FROHLAのWebpageからメールで注文したもの。代金は後払い銀行振込み。
カプリングはモーツァルト;P協第23番。オケはプラハ・ターリヒ室内管、ヴァーツラフ・ターリヒの孫が音楽監督兼コンサートマスターとか。

3月4日(水): 『自伝フィッシャー・ディースカウ 追憶』@メタモル出版に取り掛かる。
 訳文はどうにも生硬で閉口だが(「戦後ベルリン放送局とレコード会社がこの土地へのゲストとして入植して来て録音を通じてここの自治体にお金を落とした」というのが、ベルリン・イエス・キリスト教会の説明文なのだから恐れ入る。)、索引がついているのが有難い。
 とりあえずマルケヴィッチの項を拾い読み。
 1954年、フィッシャー・ディースカウのバイロイト・デビューとなった「タンホイザー」は、当初、マルケヴィッチが指揮するはずだった。もともとオペラ経験の薄いマルケヴィッチ、バイロイト祝祭劇場の特殊構造に手も足も出ず、歌手連中からボイコット署名を集められたあげく、最終リハーサルの直前に解雇されたとか。
 フィッシャー・ディースカウいわく、

この署名には、私は余り協調的でなく賛同しなかった。なぜなら、私自身は、マルケヴィッチのオリジナルのタンホイザーの音楽的構成について行くのに何の難しさも感じなかったからである。

 なお、このとき代わって指揮を引き受けたのがヨーゼフ・カイルベルト

 また散財してしまった。

レジ・パスキエ(Vn)ジャン・クロード・ペネティエ(P)ベートーヴェン;Vnソナタ全集(VALOIS)
先日、ボッケリーニを聴いて感心したパスキエの新録音。
このセット、4枚組なのだが、8,800円で売る店と「4枚で3枚の値段」というシール(製造元作製)を貼ったものを6,600円で売る店とがある。奇々怪々。
斉諧生はもちろん安い方の店で購入。
フランス・ブリュッヘン(指揮)18世紀オーケストラ、バッハ;マタイ受難曲(Philips)
礒山雅@I教授の部屋先生は、かなり消極的な評価を下しておられたが、ブリュッヘンだし、「マタイ」だし、輸入盤が店頭に出てきたし、買わない手はない。

3月3日(火): 河原忠彦『シュテファン・ツヴァイク』@中公新書を読了。
 ツヴァイク(1881,ウィーン〜1942,ブラジル)は『ジョゼフ・フーシェ』、『マリー・アントワネット』等の伝記作家として知っていたが、R・シュトラウス;歌劇「無口な女」の台本作者でもあった(シュトラウスがホフマンスタールの死後に組んだパートナー)。
 この本は、両大戦に対するツヴァイクの生き方を中心に叙述しているのだが、上記『無口な女』(1935)成立の状況も多少触れられている。
 また、ツヴァイクは有名作家の自筆原稿蒐集を趣味としており、モーツァルトやベートーヴェンの楽譜の原稿も多くコレクションしていた。亡命(ユダヤ系だった)に際して彼はベートーヴェンの手稿を売却したが、ロマン・ロラン(ツヴァイクが師事していた)は「なんでワシに声をかけんのや」と激怒、両者訣別の一因となったとか。

 退勤後、思い立って大阪へ遠征、中古LP・CDを漁る。

ハンス・シュミット・イッセルシュテット(指揮)北西ドイツ放送響、モーツァルト;交響曲第38番(米DECCA、LP)
イッセルシュテットの「プラハ」交響曲は、ACCORDからCDも出ているが、これはSP末期のドイツ・グラモフォン録音がアメリカで初期LPとして出されたもの(1951年頃。ACCORD盤は1959年録音のステレオ。)。オーケストラ(というか放送局)の名称は、まだ「北西ドイツ〜」、NWDRと略されている。
モーツァルトを得意にしていたイッセルシュテットだが、残したディスクは多くない。この「プラハ」は最初の交響曲録音に当たり、草創期の北ドイツ放送響の音が聴ける点でも、貴重なものといえよう。
なお、フィル・アップはケンプ(P)ケンペン(指揮)モーツァルト;コンサート・ロンドK.382
ジノ・フランチェスカッティ(Vn)ユージェニオ・バニョリ(P)シューベルト;幻想曲&ソナチネ第1・3番(米COLUMBIA、LP)
フランチェスカッティ最後期の録音らしい。名人枯淡の境地が聴けるのではと期待。
ルイ・ド・フロマン(指揮)コンセール・コロンヌ管、モーツァルト;歌劇「魔笛」(抜粋、フランス語歌唱)(仏PATH驕ALP)
「魔笛」には目のない斉諧生、初めて見るフランス語盤に思わず手を出した。
夜の女王;マド・ロバン、パミーナ;ジャニーヌ・ミショー、タミーノ;ジャン・ジロードー、パパゲーノ;ミシェル・デンス、ザラストロ;ザヴィエル・デプレといった、アンゲルブレシュト・ディスコグラフィでお目にかかるような面々。
コロンヌ管の古き佳き仏蘭西の音色にも期待。
ヴァルター・ヴェラー(指揮)フィルハーモニア管、メンデルスゾーン;交響曲第3・4番(CHANDOS)
ここからはCD。
ヴェラーのメンデルスゾーンは第5番を「愛惜佳曲書」の推薦盤に掲げた。残りも聴ければと思っていたが、単発では入手しづらくなっていた。中古格安で「スコッチ&イタリア」を見つけたので購入。
ウィリアム・ボートン(指揮)イギリス弦楽管、バターワース;交響詩集ほか(NIMBUS)
バターワースは「愛惜佳曲書」に掲げており、見つければ買うようにしている。
ボートンはエルガーの小品なども宜しく、この録音にも期待。
サルヴァトーレ・アッカルド(Vn)ブルーノ・カニーノ(P)モーツァルト;VnソナタK.379・380・547(NUOVA ERA)
アッカルドのモーツァルトは、前に聴いたK.526が素晴らしく、残りも探しているのだが、NUOVA ERA自体を見なくなってしまった。中古屋で新品を見つけたので、購入。全6枚のうち、やっと2枚目。
キム・カシュカシュアン(Va)ロバート・レヴィン(P)エドゥアルド・ブルンナー(Cl)シューマン;「おとぎの絵本」ほか(ECM)
バシュメトが指揮者づいてしまった現在、御贔屓のヴィオリストは、今井信子とこの人。ECMらしく半分程はクルタークで埋まっているので新譜の時は手が出づらかったが、中古格安で見つけたので購入。

3月2日(月): 『東京人』@教育出版(株)という雑誌がある。
 粕谷一希の編集、前に丸谷才一を中心とした鼎談「ジャーナリズム大批判」シリーズ(青土社から単行本が4冊出ている)を連載して名を揚げた、なかなかセンスのある雑誌だ。首都圏外では置いている本屋が限られているのが玉に瑕。
 今日発売の4月号、ちょっと興味を持っている近代建築関係の特集だったので買ってみたところ、「東京人インタビュー」という巻頭のコーナーに大野和士が登場していた。興味深い発言を2、3拾ってみる。

本来だったら、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場に匹敵するような歌劇場が日本にもドーンとあってしかるべき時代なんですよ。それだけの個人の才能はいる。技術もある。ところがそれを束ねようとする動きがないんです。(中略)あと二十年かかりますね。いろいろ淘汰されなければならないものがあって、それは時間によってのみ解決されるというのが私の意見ですけれど。
日本のオペラ劇場の音楽監督というのは今の時点では若杉弘さんをおいてほかにいないと私は思います。(中略)音楽的な実力以外にも、実務面での蓄積がないと、大きな予算を動かすオペラ劇場のチーフとしては適任と言えません。
指揮者や歌劇場の音楽総監督というのは、ヨーロッパでは社会的に影響力を持ちうる職業であって、音楽を通じて人間性と社会が交差するというところまで考えて行動していかなければならない。そういう形で、音楽を身近にできるし、していきたいと思うんです。

 

ヴラディーミル・デルマン(指揮)アルトゥーロ・トスカニーニ記念エミリア・ロマーニャ響、ブルックナー;交響曲第9番(ERMITAGE)
なんとも長くて聞いたことのないオーケストラの名前(上記の日本語表記にはあまり自信がない)、ジャケットの指揮者のポートレートはサンタクロースの如き白髯、これは昔グレン・グールドが扮したナイジェル・トゥイット・ソーンウェイト卿もどきの架空の演奏家によるパチ盤ではと思って、初出の時には手を出さなかった。
ところが、鈴木@Syuzo's Homepageさんが昨日付けの更新でレポートしてくださり、「音楽は『冗談音楽』ではなく、いたってシリアス。(中略)劇的な音楽で(華々しくて、派手だと言う意味ではないので念のため)、ブルックナーファンにはお薦めできる。」とのことだったので、さっそく探して買ってきたもの。
エレーヌ・グリモー(P)クルト・ザンデルリンク(指揮)ブラームス;P協第1番(ERATO)
クルト・ザンデルリンク&シュターツカペレ・ベルリンという懐しの顔合せ、曲がブラームスのニ短調協奏曲なら、ソリストはエミール・ギレリスかペーター・レーゼル、はたまたハンス・リヒター・ハーザーか、といきたいところだが、あっと驚くエレーヌ・グリモー@美少女→美女移行中。
1997年10月のベルリン・シャウシュピールハウスでのライヴ録音、52秒分の拍手トラック付き、さてはて演奏は如何に。

3月1日(日): 先日来、サーバー上のスペース不足のためにパレー・ディスコグラフィのジャケット画像を外していましたが、別サーバーにスペースを確保して、とりあえず画像へのリンクを復活させました。
 まだ前のままの画像ですが、いずれ、スキャナで取り込んだ、もう少し綺麗なものに取り替える予定です。

 サッカー中継(ダイナスティ・カップ日韓戦)を見たりしていましたが、これだけ聴けたのは久し振りかと思います。

エサ・ペッカ・サロネン(指揮)ロサンゼルス・フィル、ブルックナー;交響曲第4番(Sony Classical)
国内盤発売直後の新譜を聴くなどとは珍しい。(^^;
先のラトルの7番といい、これといい、若手が急にブルックナーを振り始めたが、いったいどうしたのだろう? マーラーの次のターゲット、ということかなぁ? いずれにせよ、あとヴァントと朝比奈がいなくなったらブルックナー指揮者は絶滅の危機に曝されるので(スクロヴァチェフスキー、ハイティンク、ギーレン、インバルではいかにも寂しい。シノポリは論外。)、新しい人材の出現を望むや切である。
サロネンがブルックナーを振るという、下敷きというか、原体験は何なのだろう? まさか「少年時代に聴いた朝比奈&大フィルのヨーロッパ演奏旅行(1975年)での7番に感動して…」なんてことはあるまいが。
そんなことを思うのも、このディスクに聴くサロネンのブルックナー・サウンドが、きわめて珍しいものだからである。これほどクライマックスを外す演奏は初めてだ。
いわゆるブルックナーのオルガン・サウンドが全開するはずの、トゥッティのフォルティッティッシモで、金管のテクスチュアが妙に薄い。バスが響いてこないのである。むしろ、弦合奏の和音がよく聞こえるくらいだ。ロス・フィルの金管が弱いわけはないし、これは指揮者の意図的な音造りであろう。
実際、1楽章のホルンなど、惚れ惚れするような見事な吹奏で、実力の一端を垣間見せる(289〜302小節や楽章終結部が好例)。
また弦合奏はヨーロッパのオーケストラが裸足で逃げ出しそうなくらいに美しい。また木管、特にFlの、シベリウスを聴きたくなるほどに清澄な音色が素晴らしく、これだけのためにでも、このディスクを買ってよかったと思うくらい(1楽章359小節以降など最高!)。
テンポ設定も悪くなく(時々楽譜に忠実にアッチェランドをかけるのが残念なのと、スケルツォのトリオは大疑問だが)、彼のブルックナーの今後には期待できそうだ、…と思っていると、クライマックスの「宇宙的巨大さ」(宇野尊師みたいだがやむを得ない)が、まるで欠けているのでコケてしまう。その連続だった。
サロネンは作曲もよくする人だけに、この音造りには、きっと意図があるはず。どこかの雑誌で談話でも取ってくれないものか。
ラトルとは別な意味でだが、彼のブルックナー演奏は聴き続けていきたい。
附記:2月27日の項に「BBS"ナニワ音盤道"には「サロネンの部屋」というのもあるそうだが、」と書きましたが、正しくは「サロ様と彩ちゃんの部屋」でした。謹んで訂正申し上げます。
姫、何卒お許しくださりませぃ。m(__)m
ジョス・ファン・インマゼール(指揮)アニマ・エテルナ、シューベルト;交響曲第8番(Sony Classical)
中古音盤堂奥座敷試聴会の課題CD。次回に備えて一聴する。
ユッタ・ツォフ(Hp)ジークフリート・クルツ(指揮)ヒナステラ;Hp協(Berlin Classics)
初めて聴く曲だが、不思議な和声と色彩的な管弦楽法が、なかなか面白い。その上、オーケストラがシュターツカペレ・ドレスデンなので、オーケストレーションの色彩が抑制されるのが、また面白い。
とりわけ第2楽章の夜の音楽が印象深い。このディスクでは独奏Hpの録音がオンマイクすぎて雰囲気を損なっているのが残念。
たしか吉野直子が一時期よく演奏会に掛けていたと記憶するが、水戸室内管あたりと録音してくれないものか。
ファビオ・ビオンディ(Vn)オルガ・トヴェルスカヤ(Fp)モーツァルト;VnソナタK.454(OPUS111)
ビオンディ初のモーツァルト・アルバムから1曲聴いてみる。
買ったときには少々不安だったが、至極まともなモーツァルトだった。
アリシア・デ・ラローチャ(P)モンポウ;「歌と踊り」(BMG)
「愛惜佳曲書」に掲げた「歌と踊り」、そこでの推薦盤は作曲者自演盤だった。世評の高いデ・ラローチャの新盤が取って代わるか、比較試聴する。
ピアノはデ・ラローチャが圧倒的に上手いし、録音も素晴らしい。作曲者のは指が上手く回っていないと思われるところも散見されるし、低音がろくに録音できていない。ひょっとしたら楽器自体が小さいのかもしれないという気さえする。
ただ、モンポウが敢えて破調を投じたところを、デ・ラローチャは聴きやすくまとめてしまっているところがある。例えば、斉諧生が最も好きな第6番の後半(「踊り」の部分)など、タランテラ的な熱狂が消し飛んでいるのだ。
もちろん比較しなければデ・ラローチャ盤も好演には違いなく、現在入手が難しいはずの自演盤よりも、こっちを聴いてほしいという思いもある。
さんざん迷ったが、推薦盤の入替えはしないことに決めた。

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