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カザルスの指揮には真昼の太陽を思わせる最高の輝きと力強さがある (西村弘治) |
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彼の音楽から聴き手が感じ取る、眩い輝かしさ、燃え上がる生命力。その源泉は何だろう? |
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古楽器派全盛の現在でも、カザルスが指揮するバッハ、モーツァルトを賞揚する評論家は少なくない。嬉しいことだが、その言説には疑問がなくもない。 |
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宇野功芳 |
「彼の指揮はチェリストの余技ではなく、全人的な内容と風格でオーケストラを率いていけたのであろう。」 |
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三浦淳史 |
「天衣無縫なアプローチから素晴らしいヒューマニティが発露している。」 |
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増田隆昭 |
「音楽そのものがもつ生命感とエネルギーをたたえて脈動している。そこが聴くものを圧倒する。それはそのまま、カザルスの『音楽する心』の反映でもあるのだ。」 |
これだけ読むと、カザルスの指揮は無手勝流、腹芸か何かでやっていたかのようである。 |
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フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュのようなデフォルメはない。 |
カザルスの音楽は原則としてイン・テンポ(ただし、自然な伸縮は否定しない)。
極端な加速・減速、停止寸前のアダージョ、演奏不可能なプレスト、あっと驚く特定パートの突出といったものは皆無。
造型はきわめて真っ当、古典的である。 |
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カラヤン&ベルリン・フィルのような磨き上げられたオーケストラの響きはない。 |
マールボロ音楽祭管は名手揃いで結構上手いのだが、そこは臨時編成の悲しさ、多少ゴツゴツ・ザラザラした響きになるのは無理からぬところだ。 |
CDのブックレットに掲載された参加者名簿には、アメリカの主要オーケストラの首席奏者や室内楽の名手、あるいは後年名を為すソリストの卵が名前を連ねている。
年によって異同はあるが、例えば… |
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(Vn) |
ヴェラ・ベス、ピーナ・カルミレッリ、ミリアム・フリード、エルマー・オリヴェイラ、エディット・パイネマン、ジェイミー・ラレード、ミシェル・シュヴァルベ、潮田益子 |
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(Va) |
サミュエル・ローズ、今井信子 |
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(Vc) |
ヘルマン・ブッシュ、岩崎洸、ミクローシュ・ペレーニ |
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(Fl) |
ポーラ・ロビソン |
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(Ob) |
ジョン・マック、レイ・スティル |
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(Cl) |
リチャード・ストルツマン、ハロルド・ライト |
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(Fg) |
ミラン・トゥルコヴィッチ |
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(Hrn) |
マイロン・ブルーム |
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彼の秘法は ― といっても極めて当たり前のことだが ― リハーサルにある。 |
残された録音や記録(*)によれば、カザルスのリハーサルは実に綿密、隅々まで自分の意志を徹底していたことがわかる。
彼はしばしばフレージングやアクセントを歌ってみせて、いわば、口移しに教えこんでいるのだ。 |
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(*) D・ブルーム;『カザルス』(為本章子訳、音楽之友社、1985年) |
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平井丈一郎氏の回想 |
「急所急所をとらえて、そこを徹底的に指導される。
一を聞いて十を知る、という言葉がありますけれど、そういう感じなんです。
その一というのが、一つのことを徹底的にやるわけです。
完全にできるまで。自分の思う通りにいくまで。
一小節に三〇分かけられることもありました。」 |
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とりわけ彼が熱心に指示したのが、アクセントである。
フレーズの冒頭、アウフタクト、トリルの開始音、装飾音、長い音符の頭、シンコペーション等には、原則としてアクセントを置くことが徹底された。「装飾音は音の昂揚なのだ! だからアクセントをつけねばならぬ。」と彼は力説した。 |
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メンデルスゾーン;交響曲第4番第1楽章の第1主題「タリ〜ラ、タリ〜ラ…」は、アウフタクトで始まっているし、楽譜にも「リ」の音にアクセントが付されているのだが、カザルスは叫ぶ。
「アクセント・オン・ザ・ファースト! エッヴリ・アクセント・オン・ザ・ファースト!」 |
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これに関連するが、カザルスが徹底して注意しているのは、まず、フレーズの第1音を明確に弾き、冒頭から音楽の性格付けをはっきりさせることである。例えば楽譜の指定が "p" であっても冒頭は "mp" で弾かせること、あるいはアクセントを指示することが常であった。 |
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カザルス曰く |
「最初の音符でこの曲の悲劇的な性格を感じ取らねば!」
「音符を音にするのではない、音符の意味を表現するのだ!」
「いま弾いている音楽に性格を与えるほうが、美しい音を出すよりも大切なことだ!」 |
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同時に「ディミヌエンドは音楽の生命である」と説き、アクセントにはディミヌエンドを続けることによって、またクレッシェンドにディミヌエンドを前置することによって、より強力で、自然な表現が得られるとした。
同様にクレッシェンドやデクレッシェンドも、旋律の流れに沿って、実に細かく指示されている。 |
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カザルス曰く |
「フォルテのままだとアクセントは聞こえない。
強いアクセントにはディミヌエンドを伴わねばならぬ。
そのほうがはるかに強力で自然なのだ」
「ディミヌエンドはすばらしい、音符がことごとく生きてくるではないか!」 |
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また、彼が強く求めたのは、歌うことである。
CDはすべてライヴ録音であるが、カザルスが「ウゥ〜」と唸っている声がよく入っている。これは全て「歌って!」という意味だ。
リハーサルでも始終「歌って、歌って、自然に、愛らしく(lovely)!」等と言い、走句や音階をも歌うべきことを強調した。 |
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カザルス曰く |
「『経過的な楽句』ではない、すばらしい旋律なのだよ!」 |
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まことにカザルスの音楽は、けっして人間性だけで指揮した結果ではなく、綿密なリハーサルを通じて、彼の音楽美学が細部にわたって積み重ねられた精華なのである。 |
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