11月30日(日): 「『チェリスト長谷川陽子の部屋』10,000アクセス記念キャンペーン」で、長谷川陽子さんのデビュー演奏会の録画ビデオを頂戴できることになった。実はこの週末、風邪をこじらして半分ほど寝込んでいたのだが、病も吹き飛ぶ嬉しい報せである。
 昨日、『森と湖の響−フィンランド音楽紀行−』(NHK総合)を、床から起き出して見ていた甲斐があったのかもしれない。

 中古音盤堂奥座敷の試聴会で取り上げられるギュンター・ヴァントのブラームスを聴く。なお、前回のマルク・アンドレ・アムランによるロスラヴェツの議論のログもアップされているので、どうぞ御覧ください。

ギュンター・ヴァント(指揮)北ドイツ放送響、ブラームス;交響曲第1・2・3番(BMG)
ヴァントはケルン放送響と録音したブルックナー全集以来、好きな指揮者である。また、北ドイツ放送響はシュミット・イッセルシュテットが育てたということもあって、好きなオーケストラ。前にザ・シンフォニー・ホールで実演(ブルックナー;交響曲第8番)を聴いたこともある。
このコンビのブラームスはデジタル初期(LP末期)にスタジオ録音の全集があったが、今回はハンブルク・ムジークハレでのライヴ録音。
まず2・3番から聴く。一言で評価すれば、「モダンで緻密なドイツ風の好演」というところだ。
音楽の運びはドイツの伝統に忠実で、いかにも巨匠風のテンポの粘りや金管の強奏は避け、弦の泣き節や木管のメロディの強調を排し、ブラームスの書き込んだ対位法や内声部・低弦の動きをちゃんと鳴らしているところが、いかにもヴァントらしく、好感が持てる。
ヴァントにフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュのような音楽を期待するのは間違いだ(そういう演奏を新しい録音で聴きたい方には朝比奈隆をお勧めする。)。「ドイツのトスカニーニ」というとオーバーかもしれないが、オーケストラの隅々まで彫琢を加えた端正な音楽づくりをするタイプなのである。
実際、この演奏でもオーケストラにもヴァントの目が行き届いており、気の抜けたような音は、まったく出していない。
強いて難点を挙げれば、年齢のせいか少々リズムが重く感じられること、聴く者を圧倒するような音楽エネルギーの噴出には欠けることであろう。
また、これらの曲では、もう少し効果を狙った聴かせる工夫があってもよいのでは、と思う(クナッパーツブッシュの3番あたりの聴きすぎかもしれないが。)。
一方、1番の演奏は、3つの中ではベストだろう。
冒頭のテンポが早目で、主部に入って遅くなるくらいに感じられるのは、ヴァントのこれまでの録音(82年の北ドイツ放送響スタジオ録音、89年のシカゴ響ライヴ録音)と同じだあが、ティンパニの堂々とした鳴り方は、今回が随一。
やや腰の重いリズムが、この曲ではあまり難点に感じない。ほどほどの粘りと、ほどほどの素っ気なさが斉諧生には心地好く、決め所ではしっかり決めてくれるので溜飲が下がる。
2楽章のオーボエや独奏ヴァイオリンの音色も美しく、オーケストラの出来もこの曲が一番(もちろん各曲ともライヴ的な傷はある)。
4楽章のアニマートでテンポを上げるところは好悪が分れるだろうが、これも前2回の録音で同様の処理をしていたので、予想していたところ(別なドイツ人指揮者でも聴いたことがあるので、そういう型もあるのだろう。)。とはいえ、表情は今回の演奏が最も徹底されており、ティンパニの最強打と頭の音(第93小節の4拍目)の思い切った粘りは、極めて新鮮な驚きを与えてくれる。
最も感銘を受けたのは第1主題が再現するところ(185小節)のテンポの良さ! 指揮者ごとにいろんな設定の仕方があるだろうが、この広々とした足どりを聴くと、これ以外にないような気さえする。
最後の減速とアッチェランドは無くもがなだったかもしれないが、久々に大きな満足をもって聴き終えることが出来る「ブラいち」だった。

 先週末、名匠列伝に掲載したデジレ・エミール・アンゲルブレシュトのディスコグラフィにその他篇作品篇を追加しました。


11月28日(金): 24日に悔しい思いをした長谷川陽子さんのフィンランド紀行が、明日(29日)午後に放送される。必ず忘れずに見て、録画もしておかねば!

 昼休みに抜け出してCD屋を覗くと、大物が入荷していた。

チェリビダッケ・エディション(Box)(EMI)
十数年前、FM放送で聴いたベートーヴェンで、終結和音をことごとくディミヌエンドしていたのに興醒めして以来、斉諧生はチェリビダッケの熱心な聴き手ではない。イダ・ヘンデルに付き合ったブラームス;Vn協を架蔵しているだけで、一連の海賊盤は、店頭で手に取ったこともないくらいだ。とはいえ、気になる指揮者には違いない。今回のエディションはハイドン、シューマン、ワーグナー等、気になる曲目も多く、当初からBoxを購入するつもりで待っていた。11枚組15,990円だが、要するにまとめて函に入っているだけで、特段のプレミアム−例えばブックレット−は、無い。
ヨハンネス・ヴァルター(Fl)ドレスデン室内合奏団、クヴァンツ;Fl協集 (BerlinClassics)
以前、モーツァルトの良かったヴァルターの新譜(といっても1985〜86年録音)が入荷していたので購入。

11月25日(火): 今日発売の『週刊朝日』に「クラシックの『聴き上手』5氏が薦める年末恒例『第九』はここが面白い」という記事が出ていたので、久しぶりに購入。誰が「聴き上手」と認定されたのか、その人はどの指揮者・オーケストラを推奨したのか、興味津々。詳しくは同誌を御購入いただくとして(「CDのこの1枚」も選定されています。)、ハイライトを。(文責:斉諧生)

選 者 選 定 寸 評
島田雅彦 大友直人&ジャパン・ヴィルトオーゾ オーソドックスな指揮とパワフルな独唱者
福島明也(バリトン) いま日本でいちばん美声のバリトン
朝比奈隆 古色蒼然、かえってアヴァンギャルド
大野和士 往年の名指揮者の解釈をよく勉強している
朝岡 聡 十束尚宏 高校で同じブラスバンド部の2年後輩
オーケストラアンサンブル金沢 金沢でカニを食べて「第九」を聴く
許 光俊 宇宿允人 ちょっとアマチュアっぽい燃え方が期待できる
飯守泰次郎 ドイツ音楽の肝(きも)がわかっている
小林研一郎 何も聴いたことがない人でも、迫力が見える
砂川しげひさ 特になし。 朝比奈隆&群響&中丸三千絵でもあれば…
池田理代子 小林研一郎&日フィル 東京音大(池田先生在学中)が合唱
大野和士 ヨーロッパ風の音で感激

 MusicBoulevardからCDが届く。

マルセル・ミュール(Sax)「サクソフォンの『恩人』」(Clarinet Classics)
マルセル・ミュールは1901年生れのフランスのクラシック・サクソフォン奏者。斉諧生思うに「サクソフォンのカザルス」と称すべき、巨匠である。単なる名人上手ではなく、カザルス同様、その楽器に現代的生命を付与したと言える人物。このディスクは1930年代のSP復刻、即ちミュール30歳代の演奏で、イベールの室内協奏曲を筆頭に、ミュールが開拓したサクソフォンの有名レパートリーを20曲収めている。

11月24日(休): 今朝、NHK総合TVで『森と湖の響き−'97フィンランド紀行−』という、長谷川陽子さんと館野泉氏が出演する番組が予定されていたので、録画の用意をした上でテレビの前で待ちかまえていたら、山一證券廃業関連の臨時報道番組が入ってきて、延期されてしまった。残念至極であります。

 19日の項に書いた、長谷川陽子さんがコメントしていた2曲を聴く。

ヨーヨー・マ(Vc)シャルル・デュトワ(指揮)ゴルトシュミット;Vc協(DECCA)
1950年代の作品だが、極めて保守的な作風。それを別にすれば、わりと面白い曲で、もう少し取り上げられてもよいだろう。Vn協でいえば、グラズノフやヒンデミットくらいには演奏・録音されても悪くない。
ヨーヨー・マ(Vc)ヴァーノン・ハンドレー(指揮)フィンジ;Vc協(Lyrita)
1979年頃、ヨーヨー・マ最初期の録音。緩徐楽章のイギリス風抒情味が心地好い。

 名匠列伝にドビュッシーのスペシャリスト、デジレ・エミール・アンゲルブレシュトを追加。小伝ディスコグラフィを掲載。ただし、ディスコグラフィは、まだドビュッシー篇しかできていません。その他の作曲家分と自作分は、次の週末を目標に、工事中です。m(__)m


11月23日(日): この週末で更新を一つ仕上げたく、スキャナで画像の取込み・PaintShopProで加工など。とはいえ聴きたいCDも多く、なかなか捗らない。

 

パーヴォ・ベルグルンド(指揮)ヨーロッパ室内管、シベリウス;交響曲第7番(FINLANDIA)
やっとベルグルンドのシベリウスを聴けた。弦合奏の透明感、木管の音型やトロンボーンのソロ(これが重要)がくっきりすること等、室内管編成が成功している。とりわけ、終結近く、トロンボーンの主題が再現して盛り上がった迎えたあとにラルガメンテになり弦合奏だけになってアフェトゥオーソの指定がつくあたりの浄福感は素晴らしい。この曲の特徴は、従来の交響曲が直線的な構成(例:対立→闘争→勝利(稀に敗北))をとっているのに対し、円環的な構成をとり、解決のない永劫回帰というか、無限の世界へ溶けこんでいくような終結を迎えることである。ベルグルンドの演奏では、こうした曲のムードを十分に感得することができる。欠点としては、特に曲の前半で荘厳さがややもすると、もたれる感じにつながることだろうか。
コリン・デイヴィス(指揮)ロンドン響、シベリウス;交響曲第7番(BMG)
比較的好調と思えるデイヴィスのシベリウス全集再録音だが、この曲では−ベルグルンドと比較したせいか−残念な出来である。弦合奏の透明感が落ちること、トロンボーン・ソロなどが埋もれがち(奥深さを意識したのかもしれないが)であること等、大編成の弱みが耳についた。
ラインホルト・フリートリッヒ(Trp)マルティン・ハーゼルベック(指揮)ハイドン;Trp協ほか(CAPRICCIO)
有鍵トランペットという過渡的な形態の古楽器による録音。メカニカルなハンディを感じさせない演奏で、音質・音量バランスとも刺激的なところがなく、気持ちよく聴ける。
マルタ・アルゲリッチ(P)カジミシュ・コルト(指揮)ワルシャワ・フィル、チャイコフスキー;P協第1番(CD accord)
1980年10月1日のライヴ録音で、ムザの正規録音らしく、ピアノの音は鮮明かつ力強く、メジャー録音顔負け。演奏もノリノリで、第1楽章ではオーケストラを尻目に猛然と突進する。第2楽章は一転して密やかに、第3楽章ではオーケストラともども燃え上がる。コンドラシン盤(Philips)を凌ぐとは言えないだろうが、一聴の価値あるスリリングな演奏。録音上、オーケストラのバランスが弱く、合奏もあまり美しくないのは残念だ。
ルルー(Ob)プーランク;Obソナタ、Ob・FgとPの三重奏曲(HMF)
ルルーはバイエルン放送響の首席奏者だが、音はフランス風(あまりヴィヴラートはかからない)。とてつもない美音で、茫然とする間に曲が終わってしまう。早くモーツァルトのOb協や四重奏の録音を聴きたいものだ。
ヨーヨー・マ(Vc)バッハ;無伴奏Vc組曲第1〜5番(SonyClassical)
15日の項で第6番について書いたのと同様、ヨーヨー・マが完全に自分の音楽を奏でている。バッハの音楽に自分の想いを溶かしきっているのだ。その意味で、これはカザルス以来の重要な録音といえよう。斉諧生自身の好みは、もう少しバロック風味を効かした演奏にあるが(トルトゥリエ新盤あたり)。
エマニュエル・アックス&パブロ・シーグレル(P)ピアソラ;「ロス・タンゲーロス」(SonyClassical)
バンドネオンもヴァイオリンも無いが、それでいて、まったく不満を感じない。世評どおりの名盤。
ダウンサイド寺院聖歌隊、「グレゴリオ聖歌風」(Virgin)
これは「外れ」。1曲目のラシーヌの雅歌から聴き出したが、オルガン前奏のだらしなさにまず失望、歌唱も縦の線が曖昧(残響過多の録音が輪をかけている)。2曲目のグレゴリオ聖歌もオルガン伴奏が付された現代風の演奏。それ以上聴く気を失ってしまった。

11月22日(土): 職場の共済会から只で貰ったチケットで演奏会へ行く。

 須川展也(Sax)のリサイタル(P:小柳美奈子)に行く。場内ほぼ満員、吹奏楽関係らしい、若い女の子がほとんど。曲目の詳細は演奏会出没表を御覧いただきたいが、有り体に申せば、「販促ミニ・コンサート2回分」といった趣の、CD録音済み有名小品によるニコニコ大会。とはいえ、美音だし巧いし男前だし、結構なものなのだが。斉諧生思うに、サクソフォーンの美音というのは、どうも存在感がないのである。麩のような感じなのだ。そんな中で、やはりピアソラの曲は聴き応えがあった。偉いものだ。

 

ヤシャ・ホーレンシュタイン(指揮)ウィーン響、マーラー;交響曲第9番ほか(VOX)
ガリー・ベルティーニ(指揮)ケルン放送響、マーラー;交響曲第9番ほか(EMI)
ホーレンシュタインのマーラーは3・4・6番が良かった記憶があるが、9番が−モノラルながら−あるとは迂濶なことに知らなかった。ベルティーニは平成3年のサントリー・ホール・ライヴ。いずれも中古格安で購入。
ミハエル・ルディ(P)マリス・ヤンソンス(指揮)ショスタコーヴィッチ;P協第1番ほか(EMI)
愛惜佳曲書掲載の曲、新譜の時にも気になったがとりあえず買わずにいた盤。最近ルディに興味があるので、購入。交響曲第1番とのカプリング(メインはこっちだよね、普通。)。
エマニュエル・アックス&パブロ・シーグレル(P)ピアソラ;「ロス・タンゲーロス」(SonyClassical)
上記須川の演奏会のあと、どうにもピアソラのいい演奏が聴きたくなって、遅まきながら購入。

 今日の演奏会のデータを演奏会出没表に掲載。


11月20日(木): こんなタイトルの演奏会、どんな曲目だと思われます?

佐渡裕 20世紀の交響楽展

 佐渡ならバーンスタインを入れているだろう、まさか交響曲じゃなくて「キャンディード序曲」か渋めに「Vnと管弦楽のセレナード」あたりかな? フランスで活動しているからデュティユの「メタボール」とかメシアンの何かでも? とか考えた方、残念でした。

@ラフマニノフ;P協第3番、ショスタコーヴィッチ;交響曲第5番平成10年6月28日(日)午後3時
 
Aバルトーク;P協第3番、マーラー;交響曲第5番平成10年9月6日(日)午後3時
 
会場;いずれもザ・シンフォニー・ホール

 そりゃあ作曲年代は20世紀ですけどねえ…。ほとんど「19世紀の残り火」展じゃ、あーりませんか。シンフォニー・ホールの企画力の低さを露呈してるなあ。前から朝比奈隆;3Bチクルスとフェドセーエフ;ロシア名曲集くらいしか独自企画のないホールだったけど。

 国内盤新譜3連発。

宇野功芳(指揮)新星日響、ベートーヴェン;交響曲第7番ほか(KING)
もちろんライヴ録音(平成9年7月9日、サントリー・ホール)。演奏会出没表のとおり、東京までこのコンサートを聴きに行っておりました。宣伝文句のような豪演ではなかったと思うけど、まあ、おつき合い。斉諧生思うに、宇野功芳オーケストラ・リサイタルのライヴCDの白眉はワーグナー;指環ハイライトと『功芳の艶舞曲』中、「こうもり」序曲「金と銀」
寺神戸亮(Vn)シギスヴァルト・クイケン(Vn)、モーツァルト;Vn協第1・2番ほか(DENON)
昨日も御案内した寺神戸亮の新譜。ソロよりコンチェルトーネK190の方が期待できるかもしれない。なぜかワルシャワでの録音。
村治佳織(G)「パストラル」(VICTOR)
大ファンの村治佳織嬢の新譜。もちろん巧いし音楽性も良いけれど、何といっても美形! 「徹子の部屋」録画しておいてあるもんね。販促のミニ・コンサートも行ってきたもんね。…パリで悪い虫がついてないか心配だなぁ。

11月19日(水): 演奏会情報を一つ。

寺神戸亮、バッハ;無伴奏Vnソナタとパルティータ全曲演奏会
平成10年3月21日(土)午後6時30分
ソナタ第1・2・3番
 
平成10年3月22日(日)午後3時
パルティータ第1・2・3番
 
会場;いずれも京都府立府民ホール・アルティ
   (京都市上京区烏丸通一条下ル、(075)441-1414)
12月6日(土)前売開始
前売=2,500円(当日3,000円)(自由席・税込)
2日通し券=4,000円(府民ホールのみ取扱い、限定50枚)

前回のVnとCemのソナタ全曲も良かったので、今回もぜひ聴きに行くつもりです。

 

イーゴリ・マルケヴィッチほか(指揮)スペイン放送響、ストラヴィンスキー;詩篇交響曲よりほか(rtve Musica)
スペイン放送響の30周年記念CDシリーズの第10巻。もっとも創立は1965年、95年に製作されたCDが今頃になって店頭に並んでいたという次第。この巻は歴代音楽監督シリーズで、創立指揮者:マルケヴィッチのほか、就任順に挙げると、アントニ・ロス・マルバ、エンリケ・ガルシア・アセンシオ、オドン・アロンソ、ミゲル・アンヘル・ゴメス・マルティネス、アルパード・ヨー、セルジウ・コミッシオーナの演奏を収録。したがって、詩篇交響曲全曲ではなく第3楽章のみとなっている。とはいえ、録音は1982年12月5日、亡くなる3月前の記録である。これは買わずにはいられない。ここで気になるのが、第1〜9巻の中にマルケヴィッチだけで1枚あったのではないか?! ということ。胸騒ぎが…
ヨーヨー・マ(Vc)シャルル・デュトワ(指揮)ゴルトシュミット;Vc協ほか(DECCA)
マのVc協のほか、ザビーネ・マイヤーのCl協、シャンタル・ジュイエのVn協を収める。少し前の新譜だが、チェリスト長谷川陽子の部屋の「おしゃべり広場」で長谷川さん御自身が「Finziよりはシャープですが、なかなかファンタジックでチャーミングな素晴らしい曲です。」とのメッセージを寄せておられるのを見て、急遽、購入したもの。

11月18日(火): ここしばらく風邪を飼っているような状態だったところ、ディスクの濫獲が祟ったのか、ついにダウン。それでも少し気分が良くなると起き出して、昨日・一昨日の記事を書くのだから業が深いといえよう。おまけにスキャナの使い初めまでしてしまった。

 MusicBoulevardからCDが届く。

シュロモ・ミンツ(指揮&Vn)ストラヴィンスキー;兵士の物語(VALOIS)
ジェラール・ドパルデューが息子ギョームと共演したディスク、新譜で見たときにはドパルデューの名前で売るのかと敬遠したが、アンサンブルにパスカル・モラゲス(Cl)がいる等、期待できそうなので注文したもの。
ラインホルト・フリートリッヒ(Trp)マルティン・ハーゼルベック(指揮)ハイドン;Trp協ほか(CAPRICCIO)
フリートリッヒはエドワード・タール、ピエール・ティボーらに学び、現在はフランクフルト放送響の首席。現代曲も得意とする一方、古楽器の有鍵トランペットの名手でもあるそうな。
ソフィー・ランドン(Vn)オーダリン・デ・ラ・マルティネス(指揮)エセル・スミス;VnとHrnのための協奏曲ほか(CHANDOS)
『レコード芸術』11月号(295頁)で「このレーベルのベストCDのひとつ」と谷戸基岩氏が絶讃していたので、聴いてみたくなったもの。Vn、指揮、作曲と女性である(Hrnだけ男性)。余談ながら、指揮者のファースト・ネームは"Odaline"、作曲家のファミリー・ネームは"Smyth"、谷戸氏は「オダリーネ」・「スマイス」とされている。もとより人名の発音(カナ表記)は難しいもの、典拠の有無は承知しないが、あえて自分の考えで上記のように書いておく。

 小林研一郎&チェコ・フィルのデータを演奏会出没表に掲載。

 スキャナを使って「マルケヴィッチとディアギレフ」コクトーによるディアギレフのスケッチの画像を2点追加。また、ネットで見つけたカザルスの画像を「指揮者としてのカザルス」冒頭に追加。


11月17日(月): 産経新聞の月曜日の夕刊には音楽之友社も裸足で逃げ出すような楽壇情報のページがあるが、それによればセミョン・ビシュコフがハンス・フォンクの跡を襲ってケルン放送響のポストに就くのだそうな。好きなオーケストラに好きでない指揮者の組合せ、ちょっと残念。

 

ヤシャ・ホーレンシュタイン(指揮)ウィーン響、マーラー;交響曲第1番&ブルックナー;交響曲第9番(VOX)
ホーレンシュタインはマーラーとブルックナーを得意とし、オーケストラから客演の話が来ると「Mか? Bか?」と尋ねたという。斉諧生の持論として、マーラーとブルックナー両方をよくする指揮者はいない(ドビュッシーとラヴェルも同じ)と考えている。ホーレンシュタインがUnicornに録音したマーラー;交響曲第3・6番が良かったので、これまでブルックナーに手を出すつもりがなかった。ところが、中古音盤堂奥座敷の賓客野々村さんによれば、ブルックナーもベストを争うだろうとのこと、これは一度聴いてみたい、と購入。
ダヴィード・オイストラフ(Vn)ラロ;スペイン交響曲&プロコフィエフ;Vn協第1番(TESTAMENT)
ダヴィード・オイストラフ(Vn)ベートーヴェン;Vnソナタ第9番「クロイツェル」&モーツァルト;VnソナタKV454ほか(TESTAMENT)
ダヴィード・オイストラフ(Vn)プロコフィエフ;Vnソナタ第2番&シマノフスキ;Vnソナタほか(TESTAMENT)
ダヴィード・オイストラフ(Vn)タルティーニ;「悪魔のトリル」&シューベルト;八重奏曲(TESTAMENT)
オイストラフのモノラル録音が一挙4点もTESTAMENTから復刻、嬉しい悲鳴である。前にも書いたが(11月12日の項)、ベスト・コンディションのオイストラフはモノラル期までと言われているところ、大いに期待したい。
クリフォード・カーゾン(P)シューベルト;Pソナタ第21番&ブラームス;Pソナタ第3番ほか(DECCA)
一昨日聴いたK488に感銘を受けたカーゾンで、ぜひシューベルト遺作のソナタを聴いてみたく、購入したもの。
ダウンサイド寺院聖歌隊、「グレゴリオ聖歌風」(Virgin)
グレゴリオ聖歌と、ラッススからエルガーまでの合唱曲を交互に演奏したCD。一見したところ、一頃のグレゴリアン・ブームの残渣みたいで感心しないコンセプトのアルバムだが、冒頭に愛惜佳曲書のフォーレ;ラシーヌの雅歌が収録されているので、つい買ってしまった。

11月16日(日): 大阪へ出かけ、CD屋を覗いて、演奏会の後、日本橋筋へ回る。今日の目的はスキャナの購入。このページを作ろうと思ったとき、デジタル・カメラで画像の取込みをする心算だったが、実際には解像度不足等でLPジャケットの撮影程度にしか使えないことが判明。以来、ずっと気にかかっていたのだが、やっと資金の手当てができた(CD買う量を抑えれば一発なんて言わないでくださいよ。)。
 お目当てはアウトレットにあったのだが、いかんせんスキャナには出物が無く、結局、キャノン;CanoScan300DXの新品を購入。斉諧生は98NOTEを使用しているのでSCSIカード(Adaptec;APA1460A)も必要、あわせて税込48,000円弱の買物となった。EPSON;GT5500WINSも検討していたのだが、人気機種らしく品薄で、パラレル・モデルしか在庫がなく、断念。

 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演(指揮:小林研一郎)に行く。場内満員、補助席に加え、立見まで出ていた。

スメタナ;『わが祖国』より「ヴィシェフラード」・「モルダウ」
ハープ2台を弦合奏の真中に据えて、冒頭のカデンツァは棒を振らずに奏者に委ねていたように、演奏全体がオーケストラの伝統を尊重した風で、あまりコバケンらしい色は出さなかった(でないと振らしてもらえないだろうが)。とはいえ、「モルダウ」の中間部、夜景の弦合奏のデリケートなニュアンスは、チェコ・フィル固有の音色を指揮者が磨き上げたものだろう。
マーラー;交響曲第5番
この曲から登壇した首席Trp奏者ミロスラフ・ケイマールが冒頭のソロを吹奏したとたん、なるほど彼が吹けなければ録音はキャンセルだ(昨日の記事で引用した江崎友淑さんのWebpage参照)、と納得。使用楽器はいわゆるドイツ式ではなく縦型のピストン・タイプだが、その音色の深いコクには感歎するほかなく、終演後も盛大な拍手とブラヴォーを浴びていた。指揮者も、贈呈された花束を、あらためて彼に渡したくらいである。
閑話休題、実は正直申して、斉諧生はマーラーの5番という曲をあまり聴いたことがない。本来のマーラー・ファンではないのである。3楽章のスケルツォでは幾度となく時計と舞台を見比べて、「アダージェットはまだかいなぁ」と思ってしまったことも告白しよう。指揮棒を飛ばしたほどの熱演に対して誠に申し訳ないのだが。(後で知ったが、この楽章の長さにはクレンペラーも難色を示し、シェルヘンは3分の1にカットして演奏したとか。)
小林研一郎は俗に「炎の指揮者コバケン」などと称され、この日も例えば5楽章などその異名にふさわしい指揮振りであったが、斉諧生思うに、それは彼の一面で、静謐な音楽で見せる練り上げの美しさや熾烈な緊張感にこそ真骨頂があろう。2楽章展開部冒頭のチェロの嘆きの歌では場内が凍りついたし、例のアダージェットの美しさは説明する語彙に困るほどである。
さて、終演後、コバケン恒例のスピーチがあったが、「引退」問題(11月7日の記事参照)についての言及はなく、チェコ・フィルの音を褒め称え、最後に「みなさんお立ちいただければ、国際交流に…」。これで聴衆全員がオーケストラにスタンディング・オヴェイション。

 

イヴァン・フィッシャー(指揮)ブダペスト祝祭管、リスト;ファウスト交響曲(Philips)
あまり馴染みのある曲ではないが、御贔屓のコンビの新録音ゆえに購入。
今井信子(Va)ローランド・ペンティネン(Hpsi)バッハ;ガンバ・ソナタほか(Philips)
今井信子の録音はなるべく買うことにしている。ヴィルヘルム・フリーデマンの同種曲が1曲入っているのが珍しい(カール・フィリップ・エマニュエルのも収録)。

11月15日(土): Yahoo!をうろうろしていたら、キャニオン・クラシックスのプロデューサー江崎友淑さんのWebpageを発見。公開から3か月ほどだそうだが、同レーベルの録音現場裏話は、新譜の予告情報としても貴重。

先月、小林研一郎&チェコ・フィルマーラー;交響曲第5番の録音セッションが予定されていたところ、当日になって首席Trp奏者が口内炎で吹けなくなり、結局、3月に延期になったという。

 明日は、その小林研一郎&チェコ・フィルでマーラー;交響曲第5番を、ザ・シンフォニー・ホールへ聴きに行く予定。

 

クリフォード・カーゾン(P)イシュトヴァン・ケルテス(指揮)ロンドン響、モーツァルト;P協第23番(DECCA)
今まで聴かずにいたのが悔やまれるような名演であった。カーゾンの玲瓏高潔な音色のゆえに、例えば2楽章冒頭のモノローグでけっこう粘っこい間のとり方をするのだが、下品にならず却って堪えられない情感の深まりを示す。ケルテスの指揮も、カーゾンの音楽を敏感に理解したもの。惜しむらくは、当時のロンドン響の力量低下(イギリス室内管あたりだったら、と思わなくもない)と録音が意外に貧しいこと(1968年。真空管からトランジスタへ移行した頃でシステムの完成度が低かったのか)。
内田光子(P)ジェフリー・テイト(指揮)イギリス室内管、モーツァルト;P協第23番(Philips)
リチャード・グード(P)オルフェウス室内管、モーツァルト;P協第23番(Nonsuch)
ダニエル・バレンボイム(P)オットー・クレンペラー(指揮)ニュー・フィルハーモニア管、モーツァルト;P協第25番(EMI)
ワルター・クリーン(P)S・スクロヴァチェフスキ(指揮)ミネソタ管、モーツァルト;P協第27番(VOX)
カーゾン盤に触発されて、いろいろ聴いてみたが、カーゾンに及ぶ人はいない感あり。晩年のクリーンが最も佳く、グードがこれに次ぐ。ただし、クレンペラーの棒は別格。これは凄いです。ぜひ御一聴を。
ララ・セント・ジョン(Vn)、バッハ;無伴奏Vnパルティータ第2番・同ソナタ第3番(WELLTEMPERED)
ララ・セント・ジョン(Vn)、「ジプシー」(WELLTEMPERED)
近頃若手女流ヴァイオリニストの売出しには食傷気味で、誰彼といわずあまりディスクも買わないのだが、これを聴いてちょっと後悔。メカニックはしっかりしているし、「ジプシー」に聴く蠱惑的な音色には高い存在価値がある。何よりも思い切りのよい音楽づくりが光っている。バッハも、変にバロックを意識したり肩に力を入れたりしない、伸びやかで堂々としたもの。パルティータのクーラントやジーグの速いテンポの鮮やかさ、シャコンヌの各変奏ごとの色彩の変化等、感心した。とはいえあまりに陰がなさすぎる、というのは贅沢な苦情か(使用楽器の問題かもしれない。「ジプシー」のライナーノートによると1996年製のヴァイオリンを使用しているとのこと。)。
ヨーヨー・マ(Vc)バッハ;無伴奏Vc組曲第6番(SonyClassical)
一番好きな第6番から聴き始めることにした。ヨーヨー・マが完全に自分の音楽を奏でている。古楽器派の奏法も随分研究したというが、そういう匂いを感じさせず、バッハの音楽に自分の想いを溶かしきっているのだ。その意味で、これはカザルスの録音に匹敵するものと言えるかもしれない。なお、録音が少し埃くさいのは、映像作品として製作されたせいだろうか。残念である。

 通販業者からLPが届いた。

イーゴリ・マルケヴィッチ(指揮)パリ管、プロコフィエフ;「ピーターと狼」&ブリテン;青少年のための管弦楽入門(EMI)
結成間もない頃のパリ管を、久々にEMIに復帰したマルケヴィッチが振った録音。これはイギリス盤で、ナレーションをエリック・ポーターという俳優が担当している。国内盤ではブリテンだけがプレートルの「動物の謝肉祭」と裏表で出ていた。

11月13日(木): 今日買ってきたGlossaのディスクにサンプラーが付いていて、その中にサワー・クリームのCDが掲載されていた。LP末期にフランス・ブリュッヘンキース・ベーケワルター・ヴァン・ハウウェと作ったリコーダー3本のユニットで、確かLP2枚を残して、活動を停止したはず(1枚は『ヘンリー8世の音楽』、もう1枚は現代曲も含んだ小品集だったと記憶している)。
 アルバム・タイトルを「ザ・パッション・オヴ・リーズン」、GCD921102という番号の2枚組。サンプラーには

  William Cornysh "Catholicon a"
  Thomas Preston "Upon la, mi, re"

の2曲が収められている。

 ちょっと気になるのは「ザ・サワー・クリーム・レガシー」との副題が付いていること。良くても、これ以降の活動予定がないことを指し、悪くすれば昔のLPのCD復刻ということを意味するのではないか? 入手できれば、また報告します。

 閉店時間まぎわのCD屋をハシゴ。選択を考える時間がないので、全部買ってしまった。

ミシェル・プラッソン(指揮)トゥールーズ・キャピトル響、マニャール;交響曲全集(EMI)
デジタル初期に交響曲第4番が出たとき話題になったので(アンセルメの録音もあったはず)、ずっと気になっていたマニャール。Vnソナタは2、3入手しているが、プラッソンの全集が廉価盤で出たので購入。なお、マニャールに関してはRICERCARさんのWebページを御覧ください。
フランス・ブリュッヘン(指揮)18世紀オーケストラ、メンデルスゾーン;「真夏の夜の夢」への音楽(GLOSSA)
グルベンキアン合唱団と共演した1997年6月のライヴ録音で、ほぼ全曲を収録。レーベルは異なるが、録音場所・製作スタッフは従来のPhilips盤と同一。うーん、最近ヒット作に恵まれないのでPhilipsに見放されたのかしらん? 
クリフォード・カーゾン(P)イシュトヴァン・ケルテス(指揮)ロンドン響、モーツァルト;P協第23・24番(DECCA)
クリフォード・カーゾン(P)アマデウス四重奏団員、モーツァルト;P四重奏曲第1・2番ほか(DECCA)
ここしばらく中古音盤堂奥座敷がモーツァルトのピアノ協奏曲の演奏論で賑わっており、そこで話題になったカーゾンのCDで架蔵していないものを購入。カーゾンのモーツァルトは没後に出たブリテンとの20番・27番が素晴らしかったので、これらにも玲瓏玉の如き名演を期待したい。なお、1952年録音のP四重奏の盤にはデニス・ブレイン&グリラー四重奏団のHrn五重奏曲をカプリング。
マルタ・アルゲリッチ(P)カジミシュ・コルト(指揮)ワルシャワ・フィル、チャイコフスキー;P協第1番&シューマン;P協ほか(CD accord)
チャイコフスキーは1980年10月1日、シューマンは1979年12月5〜8日のライヴ録音で、ムザの音源を正規に発売するものという。Philipsから出たコンドラシンとのライヴも1980年だったから、これにも白熱の名演(コンドラシン盤発売時のコピーは「そのときピアノは火を吹いた」だったなぁ)を期待したい。コルトもポーランドの実力派で、好きな指揮者の1人だし。
フィリップ・ヘレヴェーヘ(指揮)シャンゼリゼ管ほか、ベルリオーズ;オラトリオ「キリストの幼時」(HMF)
一種のクリスマス企画で、キリストの誕生を恐れたヘロデ王がエルサレム近郊の幼児すべての抹殺を命じ、キリスト親子がエジプトへ避難したエピソードをとりあげたベルリオーズのオラトリオの新録。とりわけ有名なのが「2本のフルートとハープの三重奏曲」で、単独でも演奏され、LP時代のクリュイタンスの「ベルリオーズ;管弦楽曲集」にも入っていた。実をいうと、斉諧生の母校のクリスマス劇に使われていた*想い出*の曲でもある。

11月12日(水): 『日経Click』12月号に紹介されていた”Excite Japan”という検索エンジンに「斉諧生」を入れて試してみると、14件を出力してくれた。
 速くて強力、これはお薦め。

 Compact Disc Connection からCDが届く。

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(指揮)ミネソタ管、ブルックナー;交響曲第9番(REFERENCE RECORDINGS)
ポリグラムIMSが代理店をしているのでCD屋の棚に並ぶのを待っていた新譜だが、REFERENCE RECORDINGSのWebpageでは「リリース済み」になっていたので、CompactDiscConnectionに発注したもの。”Mr.S”ことスクロヴァチェフスキは、VOXから出たラヴェル集、バルトーク集、IMPから出たウェーバー序曲集やショスタコーヴィッチ;交響曲第5番等が良かったので、集めている指揮者である(来日を大いに期待)。ARTE NOVAからのブルックナー;5・7・8番も好評だったが、9番だけは若杉弘の指揮。アレレと思っていたら、かつての手兵、ミネソタ管と録音してくれた。なかなか楽しみな1枚。
ララ・セント・ジョン(Vn)、バッハ;無伴奏Vnパルティータ第2番・同ソナタ第3番(WELLTEMPERED)
ララ・セント・ジョン(Vn)、「ジプシー」(WELLTEMPERED)
バッハのディスクは、ジャケット写真がヴァイオリンで胸だけ隠したセミ・ヌードという、一種の話題盤だった。その時は、内容を疑って買わなかったが、中古音盤堂奥座敷で工藤庸介さんが評価しておられたので、モーツァルトの協奏曲を弾きこなすヴァイオリニストがおっしゃるなら内容にも間違いないと発注したもの。「ジプシー」は、ワックスマン;「カルメン」幻想曲、クライスラー;ラ・ジターナ、サラサーテ;ツィゴイネルワイゼン、ラヴェル;ツィガーヌ等、ジプシー音楽にちなんだ小曲のアンソロジー。
以下はCD屋で買ってきたもの。
ハンス・シュミット・イッセルシュテット(指揮)北ドイツ放送響、シューベルト;交響曲第9番(ACCORD)
1959年のステレオ録音(エンジニアはピーター・ヴィルモース)。ACCORDは少々高い値付けになるのが難だが、シュミット・イッセルシュテットを出してくれるのが有り難い。最近ではモーツァルト;交響曲第38・40番、以前にはベルワルドの交響曲やR・コルサコフ;「シェヘラザード」もあった。
ダヴィード・オイストラフ(Vn)アレクサンダー・ガウク(指揮)ハチャトゥリアン;Vn協&ミヤスコフスキー;Vn協ほか(Pearl)
両曲の世界初録音SPからの復刻盤で、オイストラフのSP復刻は珍しいのでは? ステレオ録音のオイストラフが下り坂にあったことは、ヴァイオリン・ファンには周知の事実で、トスカニーニが「オイストラフの前にあっては、世界のヴァイオリニストたちは太陽の前の星の如く、その光を失うであろう」と絶讃した実力は、SP期・モノラル期の彼を聴かないとわからない、と言われる。このディスクで、それを確認してみたい。

11月10日(月): 斉諧生は京都在住なので最近まで知らなかったが、東京都が東京文化会館・東京芸術劇場等のホール使用料を、約2倍に値上げする案を出しているとのこと。Yahoo! でも日本オーケストラ連盟のWebページを紹介している。
 1980年前後に学生時代を東京で過ごしたので、まだサントリー・ホールも無く、斉諧生の青春は文化会館の大ホール・小ホールとともにあったようなもの。懐かしいなぁ(→演奏会出没表)。大ホールの音は、けっこう好きだったのだが、もうすっかり使われなくなったみたいで、少々淋しい。

 さて、「クラシック界の美空ひばり」こと中村紘子先生を先頭に立てての反対運動、熱が入っているようだが、ちょっと気をつけてほしいことがある。
 上記の日本オーケストラ連盟のページでもそうなのだが、都側の言い分が、まったく紹介されていないのだ。

 斉諧生按ずるに、役所が値上げを−しかも*2倍*という大きな上げ幅を−提案するからには、相当な理由が、必ずあるはず。想像しやすいのは、現行料金がよほど安いのか、よほど昔から据え置かれているのか、どちらかでは? ということだが、これがわからない(東京在住の人なら新聞報道等で知っておられるのかもしれないが)。
 反対運動への支持を求めるのなら、その理由が(コレこのとおり)事実無根であるとか、都の言い分はそれとしても演奏会運営へのダメージが(コレコレの計算により)大きすぎるとか、具体的に反駁をしてもらいたい。でないと、感情的な−「2倍」という数字に対する雰囲気的な抵抗感だけの−訴えしか残らないので、どうも、すぐには賛同署名(PDFファイル付き)に応じかねるものである。

 

 

パーヴォ・ベルグルンド(指揮)ヨーロッパ室内管、シベリウス;交響曲第5・7番(Finlandia)
待ちかねた1枚がいよいよ登場。楽しみだなぁ。明日の仕事を休んで聴きたいくらい!(BISのヴァンスカ盤、BMGのデイヴィス盤も未聴だし、この際…) オーケストラのメンバー表も載っているが、名手揃いのヨーロッパ室内管、例えばFlの首席は先日キャニオンから出したヴィヴァルディが好評だった、Jacques Zoon。7番の Guest Leader として Lucas Hagen の名があるのも目を引く。
ミハイル・ルディ(P)ピエール・アモイヤル(Vn)ほか、ヤナーチェク;ピアノ作品集(EMI)
昨日パーレニチェク盤で聴いたコンチェルティーノ・左手のピアノと管楽合奏のためのカプリッチオをルディ盤でも聴いてみて、より曲の理解を深めようと考えて購入。アモイヤルとのVnソナタも入っているので、なおのこと。
ミクローシュ・ペレーニ(Vc)ゾルターン・コチシュ(P)ブラームス;Vcソナタ集(Hungaroton)
先日、アルペジオーネ・ソナタの名録音を聴いたペレーニ、Hungarotonにいろいろ録音しているはずだが入手できていなかったところ、今日、CD屋の棚でブラームスを発見、1980年の旧録音ながら、直ちに購入(ジャケット写真のコチシュが若い!)。ベートーヴェンやバッハも欲しいのだが…。
ロベルト・カサドシュ(P)カルヴェ四重奏団員、フォーレ;P四重奏曲第1番ほか(Biddulph)
SP時代のフォーレ室内楽名演奏選、といった趣のディスクで、ティボー&コルトーのVnソナタ、クレトリー四重奏団(27歳のアンドレ・ナヴァラがVcを弾いているらしい)の弦楽四重奏をカプリング。さて、表記に掲げたP四重奏、柴田南雄先生が『私のレコード談話室』(朝日新聞社)で、「カルヴェあたりがフォーレのクヮルテットの演奏者としては理想的」「フォーレの真髄に近い演奏」と絶讃しておられるので、以前からぜひ聴きたかったもの。

11月9日(日): 公開から3か月を過ぎ、アクセス・カウンタも2,000を超えた。23日(祝)を目標に、次の大きな更新を準備中。

 ラトルのブルックナーなど大物が溜っているのだが、どうも手をつけやすい長さのものから聴いてしまう。

ブライデン・トムソン(指揮)ロンドン・フィル、ウォルトン;さまざまな奇想曲(CHANDOS)
1976年に初演されたウォルトン最後の管弦楽作品。およそ前衛とは無縁の作風で、パリッとしたオーケストラ・ピースが楽しめる。5楽章構成だが、第1楽章のがっちりしたアレグロ、ソロを主体にした第2楽章のレントが印象に残る音楽。
エサ・ペッカ・サロネン(指揮)新ストックホルム室内管、R・シュトラウス;「カプリッチオ」前奏曲(CBS)
1941年作の原曲は弦楽六重奏だが、これはサロネン自編の弦楽合奏版による録音。戦火たけなわの頃にもかかわらず−だからこそ、かもしれない−現実離れした音楽美が溢れる佳品である。
ジャン・ジャック・カントロフ(Vn)レオポルト・ハーガー(指揮)ネーデルラント室内管、モーツァルト;Vn協第4番(DENON)
このシリーズすべてに言えることだが、細身の美音による端正なモーツァルトで、特別な魅力はないものの、安定した出来ばえ。
アンドレ・プレヴィン(指揮)ウィーン・フィル、R・シュトラウス;Hrn協第1番・Cl&Fg協(DGG)
Hrn協の独奏はラルス・ミヒャエル・シュトランスキー、Clはペーター・シュミードル、Fgはミヒャエル・ヴェルバというウィーン・フィルの首席連中。Hrn協第1番は最近、ノイネッカー、ブレイン旧盤と続けざまに聴いているが、その中で最も気に入った。これはウィンナ・ホルンの魅力によるところ大。独特の野太い音で、力強く朗々と吹き上げる。バックも「ノリ」のいい積極的な音楽で、聴いていて実に愉しい、若き日のシュトラウスの軒昂たる意気を満喫できる。これはベスト盤。愛惜佳曲書・協奏曲の部に取り上げたCl&Fg協も同様で、肉の厚いウィーンの木管の音と弦楽合奏による美演。ただ、この最晩年の作では侘び寂びの境地も求めたいところなので、ベストには推さず、セカンド・チョイスの最有力盤とする。
イーゴリ・マルケヴィッチ(指揮)ストラヴィンスキー;「兵士の物語」(Philips)
言わずと知れたジャン・コクトーの語りとピーター・ユスティノフの悪魔、ユリス・ドゥレクリュース(Cl)モーリス・アンドレ(Trp)マヌーグ・パリキアン(Vn)等の名手揃いのアンサンブルによるマルケヴィッチ畢生の名演。1962年の録音だが、元来の優秀録音が良好な復刻で聴けるので、音的な不満は全くない。なお、別項に書いたようにコクトーはディアギレフ率いるロシア・バレエ団に出入りしていたこともあり、マルケヴィッチやストラヴィンスキーとは古くから交友がある。
ヨーゼフ・パーレニチェク(P)チェコ・フィル団員、ヤナーチェク;コンチェルティーノ・左手のピアノと管楽合奏のためのカプリッチオ(Supraphon)
中古音盤堂奥座敷(最近、ブリュッヘン&18世紀管のメンデルスゾーンをめぐる議論のログがアップされました)で浮月斎さん、野々村さんのお薦めのあった演奏。これらの曲を聴くのは初めてだが、なかなかに心惹かれるものがある。ミスティックな音楽であるが、シマノフスキのような鬱勃たる音楽ではなく、もっと平明な雰囲気がある(形容矛盾だが)。有名なシンフォニエッタよりもヤナーチェクの真髄に近い曲と見た。
黒澤明映画音楽全集より第4集(FUNHOUSE)
5枚物のうち4枚目、「どですかでん」・「デルス・ウザーラ」・「影武者」の音楽を収める。前2者は映画そのものを見ていない。こうして「影武者」の音楽だけ聴くと、バタ臭さというか、濃厚さに驚く。映画全体としては、もっと縹渺とした哀しみが全体を覆っていたと思うのだが。

11月8日(土): 五味康祐『ベートーヴェンと蓄音機』(角川春樹事務所・ランティエ叢書第9巻)を読了。単行本未収録の短編もいくつか含むが、主なものは『西方の音』(新潮社)等に収録されていた。とはいえいずれも入手しにくくなっているので、新装刊を喜びたい。

 

ウーヴェ・ムント(指揮)CSR響(ブラティスラヴァ)、ワーグナー;『ニーベルングの指環』管弦楽曲抜粋(NAXOS)
一昨日書いたCDを聴く。やはり…手堅くはあるが、それ以上ではない。巨大さ、コク、熱量といったものに欠けるといわざるを得ない。録音が1988年と10年前、この間の音楽の深化に期待を繋ごう。
ダグ・イェンセン(Fg)ヴェルナー・アンドレアス・アルベルト(指揮)ケルン放送響、モーツァルト;Fg協&フランセ;Fgと弦楽五重奏のためのディヴェルティスマン(CAPRICCIO)
イェンセンは、いかにもトゥーネマンの弟子らしい、重くも軽くもない音。モーツァルトのFg協は上手いし安定しているが、ちょっと細工が見えて嫌味が残る。バックも少々食い足りない。フランセはFgが高音域で駆け回る軽妙な曲だが、ほとんどイングリッシュ・ホルンじゃないかと思わせるくらい、巧い。弦楽アンサンブルも積極的で良く、これは愉しかった。
ベルリン・フィル・ホルン・カルテット、ミヒャエル・バーダー(指揮)バンベルク響、シューマン;4つのHrnのためのコンチェルトシュトゥック(KOCH-SCHWANN)
ゲルト・ザイフェルトをトップに、BPOのHrn軍団が唖然とする吹奏を聴かせる。録音がHrnだけオン・マイクという妙な雰囲気で興がないが、贅沢というものだろう。曲も「マンフレッド」序曲とか「序曲、スケルツォとフィナーレ」あたりを思い出させる、シューマンの美質を発揮した佳曲。
デニス・ブレイン(Hrn)アルチェオ・ガリエラ(指揮)フィルハーモニア管、R・シュトラウス;Hrn協第1番(TESTAMENT)
これは旧蔵のCD。1947年のSP録音復刻盤だが、ブレインの美音が満喫できる。期待に違わぬ美演である。
広上淳一(指揮)日本フィル、伊福部昭;Vnと管弦楽のための協奏風狂詩曲(KING)
先週あまりいい印象がなかったので、聴き直してみた。やはり伊福部さんの骨太なリズムにVnという楽器が合わないのではないか、と思える。
デヴィッド・オッペンハイム(Cl)ブダペスト四重奏団、ブラームス;Cl五重奏曲ほか(SONY CLASSICAL)
前に感心したモーツァルトと違って、Cl、Vnともに随分細身で神経質な音に聴こえる。録音年月日は同一だから、CD復刻の問題か、意識的な音色の使い分けか(たぶん前者)。ともあれ、啜り泣きを音化したような演奏になっている。
学生時代、下宿していた阿佐ヶ谷から高円寺まで歩いていって入った名曲喫茶で、この曲をリクエストしたら、周囲の女性客の話題まで一斉に暗くなった。その時はウラッハ盤だったが、この盤だったら、落涙ものだったかもしれない。
塩川悠子(Vn)遠山慶子(P)モーツァルト;VnソナタKV.481(Camerata)
モーツァルトのVnソナタは佳曲揃いだが、これは上記の五味さんの本で「たぐい稀な旋律美」と絶讃されていたので、旧蔵の塩川・遠山盤を掛けてみた。第1楽章はピアノ主導だが、第2楽章以降、とりわけアダージョの中間部でヴァイオリンが歌う短調の哀切な旋律は、モーツァルトが書いたメロディの中でも五指に数えられよう。ぜひ一度耳にしていただきたい。
黒澤明映画音楽全集より第2・3集(FUNHOUSE)
5枚物のうち2・3枚目、「七人の侍」から「赤ひげ」までを聴く。CD2枚に映画10本分が入っているので、どうしても摘み聴き風になってしまうが、何といっても嬉しいものだ。とはいえ、やはり映像と一緒に視聴したくなる。このセットを中古屋に売った人も、そう思ったに違いない。

11月7日(金): 昨日の続きです。
 6日付け産経新聞(夕刊)に「”炎のコバケン”還暦に引退!?」という見出しで、小林研一郎が、60歳を迎える1999年限りで引退をしたいとの発言を行った、と報じました。同紙は「小林は福島県いわき市出身。…ハンガリー国立交響楽団の音楽総監督やチェコ・フィルの常任指揮者として、特に東欧で絶大な人気を博している。国内でも各地のオーケストラに客演し、エネルギッシュな指揮ぶりと、終演後に恒例のスピーチでファンも多い。」と紹介した後、次のようなコバケンの発言を伝えています。

「視力、聴力、体力すべてが落ちて行く。時々エアポケットに入ったような気持ちになることも。新鮮じゃない自分が、まるでこれまで蓄えてきたもので”印税暮らし”するかのようになるのは耐えられない。」
「たくさん知れば知るほど、音楽は難しく、つらくなる。」
「断り切れない仕事など難しい問題は残っているが、自分としては指揮者を引退したい。いずれ自分の口ではっきりさせることになると思う。」
「(引退すれば)自分が捨て石になってでも、未来に羽ばたく人材作りがしたい。小澤さんらを育てた故斎藤秀雄氏による桐朋学園オーケストラの取り組みが理想。」

 嘘だと云ってよ! というのが率直な感想。
 昨日の記事にあるとおり、コバケンは京響と縁が深く、何度も演奏会に足を運んだ。出来も不出来もある人だが、次の3つの名演は忘れられない記憶として残っている。

昭和60年6月14日・京響、マーラー;交響曲第1番「巨人」
平成5年10月11日・京響、マーラー;交響曲第3番
平成7年6月29日・大阪センチュリー響、ベートーヴェン;交響曲第3番「英雄」

 全身没入の指揮ぶりに加え、元来、自己批判の強い人で(この間もベートーヴェン;交響曲全集をライヴ録音しておいて発売を止めたばかりだ。)、体力の衰えに危機感を持っておられることは、想像に難くない。しかしながら、指揮者の60歳といえば、「還暦」とか「定年」どころか、「さあ、やっとこれから」というのが世間の相場。斉諧生愛好のパレー、カザルスといったあたりは、70歳代、80歳代に指揮芸術の全盛を迎えているのだ。
 演奏会の回数が減ってもいいから、もっと、ずっと、指揮台に立っていただいて、素晴らしいマーラー、ベートーヴェンを聴かせていただきたい。そして、できることなら、それぞれ全集を残していただきたい。衷心から願うものである。

 

エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム(指揮)コンセルトヘボウ管、マーラー;「大地の歌」ほか(Philips)
エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム(指揮)コンセルトヘボウ管、ドビュッシー;「海」・「夜想曲」・「映像」(Philips)
"Dutch Masters"という、メンゲルベルクからエド・デ・ワールト、アーフェ・ヘイニスからイザベル・ファン・クーレンまで、オランダ出身のフィリップス・アーティストを特集した蘭フィリップス企画の第3・4巻がベイヌム。メンゲルベルクの個性の陰に隠れて目立ちにくいが、ベイヌムも立派な指揮者だったと思う。架蔵しているものでは、「大地の歌」(再発物LP)のオーケストラの色彩感と巧さが印象に残っている。それをCDで再確認したいのと、黄金時代のコンセルトヘボウをドビュッシーで味わいたいと思い、購入。なお、「大地〜」の独唱はナン・メリマンとエルンスト・ヘフリガー。
このシリーズ、オランダ国内企画とやらで入荷が少ないという。斉諧生が購入したのはタワー・レコード京都店だった。他に店頭ではメンゲルベルクのマーラー;交響曲第4番くらいしか見かけなかったが、ライナーノートの末尾に一覧があり、その中では、ヴィレム・ファン・オッテルロー(ビゼー&グリーグ)とアンナー・ビルスマ(メンデルスゾーン)に食指が動く。
アンドレ・プレヴィン(指揮)ウィーン・フィル、R・シュトラウス;木管楽器のための協奏曲集(DGG)
Hrn協1・2番、Ob協、Cl&Fg協をウィーン・フィルの首席連中の独奏で聴かせようという好企画。とりわけCl&Fg協は見つけたら買う曲なので。

11月6日(木): 本日付け各新聞によれば、桝本・京都市長は昨日の定例記者会見で、京都市交響楽団の次期常任指揮者にウーヴェ・ムント(56)を内定したことを発表しました。就任は来年4月、井上道義・音楽監督は退任し、音楽監督は空席となります。
 ムントは年5回程度来演するらしく、また市としては井上氏にも客演を継続してほしいという意向のようです。
 記者会見での市長のコメントを、各紙は次のように報じています。

京都新聞
「近現代音楽を得意とした井上氏の京響での功績は高く評価している。しかし、京響のさらなる発展のためには、基礎となる古典音楽を集中的にやることが望ましい。」
朝日新聞
「古典音楽の理解者の第一人者で、京響にふさわしい。」
産経新聞
「(井上氏は)近、現代曲を中心に京響のレパートリーを広げた功績者だが、楽団に新風を吹き込みたい。楽団員の入れ替わりもあり、古典派を中心に演奏して、もう一度楽団の基礎をつくるべき。」

 どうも朝日はいいかげんで(日本語としても変)、産経が最も(クラシック・ファンの目で見て)筋のとおった話になっているようですね。
 さて、ムントは再来月の京響定期でブルックナー;交響曲第8番を指揮して京都デビューします。ブルックナー・ファンの斉諧生は前から聴きに行くつもりをしていましたが、これはいよいよ聴き逃せません。
 とはいえ、「まだ1回も京響を振っていない指揮者」を常任に内定するというのも、いかがなものかと思いますね。もちろん、見合であれ恋愛であれ、結婚生活の結果が幸福なものであればよいのですが。

 ムントにはCDもありまして、斉諧生が架蔵しているのは

 Wagner:The Ring (Orchestral Highlights)
  CSR Symphony Orchestra(Bratislava)
  NAXOS 8.550211
  (r.1988.10)

です。次の週末には聴き直してみる予定です。

 音楽之友社『指揮者のすべて』(平成5年)と上記CDのライナーノートによれば、ムントの経歴は次のようなものです。

1941年ウィーン生れ。ウィーン少年合唱団で基礎教育を受ける。ウィーン音楽アカデミーでハンス・スワロフスキーに指揮を学び、後にはカラヤンのアシスタントも勤めた。ウィーン国立歌劇場での下積み生活の後、ドイツ各地の歌劇場の指揮者を歴任、1977年にはゲルゼンキルヒェン歌劇場の音楽監督に就任。1987年からはバルセロナ・リセオ歌劇場の音楽監督。N響にも客演している。

 御参考までに、京都市交響楽団の歴代指揮者は次のとおりです。

常任指揮者@(昭31〜昭36):カール・チェリウス(1908〜1984、独)
常任指揮者A(昭36〜昭39):ハンス・ヨアヒム・カウフマン(1926〜、独)
常任指揮者B(昭39〜昭41):森正(1921〜1987)
常任指揮者C(昭42〜昭45):外山雄三(1931〜)
常任指揮者D(昭45〜昭47):渡邊暁雄(1919〜1990)
常任指揮者E(昭47〜昭51):山田一雄(1921〜1991)
首席指揮者@(昭51〜昭53):ニクラウス・ヴィス(1936〜、瑞→米)
首席指揮者A(昭54〜昭55):スチュアート・カーショー(?〜、英)
常任指揮者F(昭57〜昭60):フルヴィオ・ヴェルニッツィ(1914〜、伊)
常任指揮者G(昭60〜平2):小林研一郎(1940〜)
音楽監督・常任指揮者H(平2〜平10):井上道義(1946〜)

 今日の夕刊に、また指揮者の人事がらみの、ちょっとショックな記事があったが、それについては明日に。

 

ジャン・ジャック・カントロフ(Vn)レオポルト・ハーガー(指揮)ネーデルラント室内管、モーツァルト;Vn協第4番ほか(DENON)
「カントロフのモーツァルト全集を中古かバーゲンで揃えるプロジェクト」、第4弾。これでソロ・コンチェルトは全曲が揃った。DENONだがアメリカ・プレスという妙な盤。

11月5日(水): 本日付け朝日新聞(夕刊)に吉田秀和さんがメータ&イスラエル・フィルのマーラー;交響曲第9番の演奏会評を執筆されている。その中で、同曲の名演奏(実演)の記憶として、まずバーンスタイン&NYP(1960年代)を挙げ、次いで

二つ目は、88年大阪できいたベルティーニ(ケルン放送響)。これまたほとんど名演と呼ぶに値するもので、終わったあと、しばらく口がきけないほどの深い感銘を受けた。

と書いておられる。演奏会出没表外国のオーケストラの部に記したように、この演奏会、斉諧生も客席にいた。
 大阪国際フェスティバル(近ごろめっきり貧相になってしまった)の初日にあたり、ファンファーレつき、タキシードいっぱい、という記憶がある。
 で、肝心の演奏の方だが…。どうも、そんな名演だったという印象は、ないのである。
 吉田さんの文章を鵜呑みにするわけではないが、たぶん、その2年半前に接したバーンスタイン&イスラエル・フィルによる超名演の印象が強すぎて、ベルティーニのマーラーのスタイルは、頭から受け付けなかったのだろうと思う。

 

黒澤明映画音楽全集(FUNHOUSE)
5枚組の大物、新譜の時から欲しかったが躊躇していたところ、中古格安を見つけたので直ちに購入。
斉諧生は、あまり映画を見る方ではないし、少々恥ずかしくもあるのだが、中学生の時に『七人の侍』を見て以来、黒澤は最も好きな映画監督である。大学生の頃、学園祭シーズンになると、どこかで必ずといっていいくらい、『七人〜』をかけていたものだ。
カラー作品はあまり見ていないのだが、白黒時代の『酔いどれ天使』・『白痴』・『隠し砦の三悪人』・『用心棒』・『天国と地獄』あたりは大いに好むものである。
立花隆が『文學界』に連載しているインタビューの中で、武満徹が黒澤明の音楽の好みに辟易した話を喋っていた。『乱』の落城シーンなど、フィルムを『大地の歌』の「告別」の音楽に合わせて編集を済ませてしまって、それから、「マーラー以上の音楽を書いてくれ」と頼むのだそうな。(^^;
『七人の侍』の「侍のテーマ」を口ずさめば茅葺き屋根にはためく「た○○○○○○△」の旗が目に浮かび、『用心棒』の「ズンダンダンダン」のリズムを思い浮かべては三船敏郎が肩を揺すって歩み去る後ろ姿が髣髴とする。

11月4日(火): Real Playerがver.5になったというのでダウンロード、インストールしてみたら、起動時から常駐してメモリを食いつぶす上に、なぜかWindowsそのものが不安定になってしまい、とうとう起動時にフリーズ。とりあえずアンインストールしたが、あれはあれで必須のプラグインだから困ってしまう。

 月初めは輸入盤の荷動きが無いように感じるのだが、何か理由があるのだろうか?

ダグ・イェンセン(Fg)ヴェルナー・アンドレアス・アルベルト(指揮)ケルン放送響、モーツァルト;Fg協ほか(CAPRICCIO)
イェンセンはノルウェー出身でクラウス・トゥーネマンの弟子、24歳の時からケルン放送響の首席を勤める逸材とのこと(『200CD管楽器の名曲名盤』による。)。モーツァルトのFg協は好きな曲だし(彼の協奏曲で好きでない曲があろうか?)、フンメルはともかくジョリヴェやフランセとのカプリングも面白そう。フランセは「弦楽五重奏とのディヴェルティスマン」という曲だが、アンサンブルに四方恭子(Vn)、河原泰則(Cb)と日本人楽団員が入っているのも楽しみ。
フィリップ・グラフィン(Vn)パスカル・ドワイヨン(P)チリンギリアンQ、ショーソン;P、Vnと弦楽四重奏のための協奏曲・P四重奏曲(hyperion)
ショーソンの協奏曲は見つけたら買うことにしている曲の一つ。なかなか決定盤が見つからないので、新盤に期待。

11月3日(祝): 朝刊に秋の叙勲が発表されていた。アイザック・スターンが勲三等旭日中綬章を受けるという。
 「旭三」といえば、日本人なら国立大学の名誉教授クラス相当、うーん、スターンってその程度の評価なのか…? 国立大の学長経験者なら勲二等を貰う可能性もあるから、某日本人ヴァイオリニストが東京芸大の学長を勤めれば、スターンより上位だ?!
 まぁ、今回、藤沢秀行・名誉棋聖も「旭三」授章だから、やはり叙勲は「官」が優位、無官の文化人・芸術家は低め、ということか。
 いいかげんに勲何等というのをやめればどうか、と思う。文化勲章(一種類しかない)と○綬褒章(これはジャンル別でグレードは無い)だけでよいのではなかろうか。

 この三連休を当てにして買い込んだディスクの半分も聴けない。もっとも、買ったディスクを全部聴くためには仕事に行ってられないかもしれないが。

アーノルド・エストマン(指揮)南西ドイツ放送響、ハイドン;交響曲第44番ほか(ARTE NOVA)
ハンス・マルティン・シュナイト(指揮)の第39番も合わせて聴く。両者とも清潔で気持ちのいいハイドン。曲は無名だが、お薦めできる演奏。
ペーター・マーク(指揮)パドヴァ室内管、モーツァルト;交響曲第34番(ARTS)
以前に中古音盤堂奥座敷で論議になったマークのモーツァルトの第4弾。相変わらず、実に芸が細かい。古楽器派の成果を換骨奪胎、自家薬籠中の物にして、個性豊かなモーツァルト演奏を実現している。隅々までマークの意図が反映された、綿密な表情がつけられている。これを煩わしいと見る向きもあろうが、斉諧生は高く評価する。この曲にはセル&コンセルトヘボウの名盤(Ph)があり、そちらの方が、表情はより自然、オーケストラの内的な共感・自発性も豊かに感じられる。マークもセルには三舎を避けるだろうが、バジェット・プライスでもあり、大いに推薦したい。
ヤン・パスカル・トルトゥリエ(指揮)アルスター管、サン・サーンス;交響曲第3番(CHANDOS)
冒頭から重めの音楽におやっと思った。この曲を派手にやると実に軽薄というか、劇伴的に響くのだが、トルトゥリエは堂々と、大きな音楽に聴かせる。オーケストラも上手い。オルガン独奏はジリアン・ウィーア。
ヤン・パスカル・トルトゥリエ(指揮)アルスター管、ラヴェル;マ・メール・ロワ(全曲)(CHANDOS)
前にスペイン狂詩曲・道化師の朝の歌が良かったトルトゥリエのラヴェル、珍しいマ・メール・ロワの全曲版(組曲版がほとんど)を聴く。この北アイルランドのオーケストラから、みごとなラヴェルを引き出す手腕はすばらしい。ただ、この曲ではちょっと大人しくなってしまった。おそらく意図的に表情付けを抑制して、メルヘン的な味わいを出そうとしたのだろうと思うが…。
ジャン・ジャック・カントロフ(Vn)ジャック・ルヴィエ(P)フィリップ・ミュレ(Vc)ラヴェル;P三重奏曲(DENON)
ヤン・パスカル・トルトゥリエ(Vn)マリア・デ・ラ・パウ(P)ポール・トルトゥリエ(Vc)ラヴェル;P三重奏曲(EMI)
ヤン・パスカル・トルトゥリエ(指揮)アルスター管、ラヴェル;P三重奏曲(ヤン・パスカル・トルトゥリエ管弦楽編)(CHANDOS)
トルトゥリエ&アルスター管のラヴェル;管弦楽曲集中、随一の珍品、自編のP三重奏曲。まずカントロフ盤とトルトゥリエ父子(姉弟)盤で原曲を聴く。カントロフ盤の淡彩の描出の方が、曲趣に合致しているようだ。編曲盤だが、まぁ労作には違いなく(パスティシュとしては上出来)、フィナーレの終結など実に壮麗な響きがする。とはいえ、やはりラヴェルの天才的なオーケストレーションのひらめきは無いし(当たり前ながら)、原曲よりも魅力的かと問われれば、首を横に振らざるを得ない。
ヤン・パスカル・トルトゥリエ(指揮)アルスター管、ラヴェル;ダフニスとクロエ(全曲)(CHANDOS)
こういう曲になると、我がオーディオの貧困さを思わずにはいられない。機械だけでなく部屋の問題でもあるのだ…。とはいえ、やはり合唱入りの全曲盤は捨てがたい。演奏も実に緻密、オーケストラも頑張っている。ソロの技量・音色の魅力に今一歩を求めたいとはいえ(高音域のHrn等はちょっと弱い)、1時間弱が瞬く間に過ぎた。
ポール・パレー(指揮)デトロイト響、ドビュッシー(ビュッセル編);小組曲(Mercury)
旧蔵のディスクだが、あらためて聴いてみると、オーケストラの音色美に陶然となる。けだし「フランスのオーケストラよりフランス的」とは、このコンビのためのコピーだろう。
ヤン・パスカル・トルトゥリエ(指揮)アルスター管、プーランク;牝鹿&イベール;ディヴェルティスマン&ミヨー;世界の創造(CHANDOS)
イベールは夏に佐渡裕&大阪センチュリー響で実演に接したが、小編成の楽しい曲だ(サティの「パラード」を想起されたい)。こういう曲ではトルトゥリエの実力全開、オーケストラの色彩感満開という感じ。プーランクにはもうすこし洒落た味わいを、ミヨーには民話的な鄙びた味わいを求める向きもあろうが…。
デュファイ・コレクティヴ、アルフォンソ賢王;聖母マリアのカンティガ(CHANDOS)
ちょっと土俗的なアプローチか。斉諧生がこの曲集に求めるものとは、少し違う。

 愛惜佳曲書の管弦楽曲の部中、パーセル(ブリテン編);シャコンヌにMIDIファイルを添付。まだ音符の打ち込みが終わっただけで、表情も何も付いていないが、この曲を御存知ない方、ぜひお聴きください。愁色を帯びたパーセルの旋律美、きっとお耳を引きつけると思います。


11月2日(日): 朝起きして再度NetscapeCommunicator(ver.4.03ja)のダウンロード。今度は1時間弱で成功。

 いろいろ更新作業と並行して「ながら聴き」。気は咎めるのだが。

アルバロ・カッスート(指揮)新ポルトガル・フィル、アリアーガ;交響曲(movie play)
正直言って正体不明の演奏者とポピュラー系とおぼしいレーベルなので、もう、コレクションとしてのみ買ったつもりのCDだったが、思ったよりは佳い演奏であった。特に上手いわけではなく、優れた表現があるわけでもないが、曲の情趣がそこはかとなく漂うのは、同じイベリア半島の誼だろうか。
ウト・ウギ(Vn)ヴィヴァルディ;Vn協集(BMG RICORDI)
こういう理屈抜きの曲をウト・ウギの美音で聴いていると、何をかいわんや、である。録音も良い。オーケストラ(聖チェチリア・ヴィルトゥオージ)は、まずまずといったところ。
ジャン・ジャック・カントロフ(Vn)レオポルト・ハーガー(指揮)ネーデルラント室内管、モーツァルト;Vn協第6・7番(DENON)
期待に違わぬ美演である。「偽作」とのレッテルを貼られて葬られるには惜しい音楽といわざるを得ない(英語だと"Attributed"と書くから、本当は「擬作(モーツァルト作と*見こまれた*作品)」と表記すべきものではないのか?)。
広上淳一(指揮)日本フィル、伊福部昭;Vnと管弦楽のための協奏風狂詩曲ほか(KING)
カプリングのPと管弦楽のための協奏風交響曲の方が優れた曲だと思われる。まぁ他の曲と同工という批判があるかもしれないが、民俗色とモダニズムがみごとに結合した作品ではなかろうか。大友直人の指揮、館野泉の独奏も過不足ない出来栄え。期待していたVn協奏曲の方は、「ゴジラ」の断片が聞こえるのが面白いとはいえ、Vnの特性が活きていないと思う。もっとも作曲者は「独奏楽器に品格を与える」観点から緩徐楽章を削除したそうだから、こちらの思いとは逆なのかもしれない。
モニカ・ハジェット(Vn)バッハ;無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番・パルティータ第1番(Virgin)
古楽器による「無伴奏」は初めてなので、従来の古楽器によるものとの違いが把握できないのだが、モダン楽器による名演と比べると、やはり聴き劣りがする。緩徐楽章で音楽がもちにくいのと、重音を丁寧に鳴らそうとしてリズムの保持が甘くなるのが、耳につく。

 愛惜佳曲書の室内楽の部に1曲・音楽史の部に1曲を追加、電網四方八通路にオーケストラ7件、レコード会社3件を追加。あいかわらず「CLASSICA」未掲載のマイナー・オーケストラ、マイナー・レーベルを収集しています。


11月1日(土): NetscapeCommunicator(ver.4.03ja)のダウンロードを試みた。2時間近くかかって18MB中16MBまで来たところで、強制終了させられてしまった。(;_;) 

 通販業者からLPが届いた。

ヘルベルト・ケーゲル(指揮)ライプツィヒ放送響ほか、ガーシュウィン;「ラプソディ・イン・ブルー」・「パリのアメリカ人」ほか(AMIGA)
ケーゲルにガーシュウィンの録音があったとは、驚いた。カタログの記載誤りではないかと思ったくらいだが、届いたものを見ると、やはりケーゲルだった。ピアノは良く付き合っているシュテッキヒト、「ライプツィヒ放送ダンス・オーケストラ」というのもクレジットされている。なお、AMIGAはETERNAのポピュラー・レーベル。

 

ヘルベルト・ケーゲル(指揮)ライプツィヒ放送響ほか、ガーシュウィン;「ラプソディ・イン・ブルー」・「パリのアメリカ人」ほか(AMIGA)
溜っているディスクは浜の真砂ほどもあるのだが、真っ先にこれを聴かずにはいられない。案に相違せず、実に面白い演奏だった。基本テンポはやや速め、重くないリズムが狂騒感を伝えて快い。P独奏ともどもジャジーな表情を出そうとしているのだが、うーん、ちょっと違う…。Pが盛大にルバートを掛けるのだが、どこが違うのかな、ジャズっ*ぽく*もならない。で、ケーゲルの面目躍如が例のホルンのオブリガートを伴う弦の旋律が出てから後の盛り上げ方。どんどん減速しながら粘っこく歌い上げること、チャイコフスキーのごとし。ケーゲル・ファンなら狂喜すると思われる。ぜひCD化を望みたい。
ミシェル・ポルタル(Cl)リシャール・ガリアーノ(Accord)「ブロウ・アップ」(DREYFUS)
これはポルタルが気合の入った吹奏を聴かせる。バス・クラリネットがジャズに合うとは思わなかった。アルト・サックスから甘みを抜いたような、いい音色だ。この人のことを良くは知らないが、ジャズの方が本職なのかしらん?

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